943.意味の相対化の後につづくニヒリズム



意味の相対化の後につづくニヒリズム  得丸

ーーー『持続可能な開発』という記号のあとには、何もコトバが
用意されていない−−−

 6月17日から南ア・ヨハネスブルグで、8月に開催される「持続可
能な開発のための世界サミット」のNGO関連の行事やロジの準備状況
の事前調査を行い、27日の夜帰国した。

 行きにバンコックで乗り換えとなり一泊することになったので、
かつて私がユネスコ(UNESCO, 国連教育科学文化機関)に勤務してい
たときの上司で、今はチュラロンコン大学(東大と学習院をあわせ
たようなタイ随一の大学)で教鞭をとるH博士と朝食をごいっしょし
た。

1 意味の相対化
「持続可能な開発」が概念矛盾であるということが、なかなか人に
理解してもらえない、みんな言葉の意味を求めないと私は彼に報告
した。

「『持続可能な開発』ねえ。ユネスコでは、科学セクターの○○と
いう男が、1980年代から言っておったなあ。」

 H博士の言葉に、ユネスコ勤務時代の記憶がよみがえった。

 当時アソシエート・エキスパートであった私がH博士といっしょに
仕事をしたのは、1991年からの2年間。今思えば、世界の知性の本部
を自認するユネスコは、世界の知的状況を10年以上先取りしていた
のかもしれない。

 私がユネスコにいるときに一番頭を悩ませたのは、言っているこ
ととやっていることが違っていること。言葉と現実の乖離だった。

 多くの職員がすばらしいことを語る。途上国は工業化すべきだ、
途上国が先端技術の恩恵を蒙るべきだ、世界から戦争の悲劇はなく
なるべきだ、うんぬん。しかし、そんなことを喋っている本人が全
く信じていない。だから喋るだけで、何もしない。今ユネスコは
お金がないから、自分は仕事に追われてそれどころではない、と
逃げ口上ばかり。

 さまざまな言葉が、その意味を裏付けられることなく使われると
いう状況に、私たちは振り回され、戸惑い、悩みぬいた。結局私が
2年かかってたどりついた結論は、当時ユネスコで起きている現象は
、『言葉の意味の相対化』あるいは『言葉の意味の無相関化』とよ
ぶべきだということであった。

 そこにいた人はみな、言葉をシラブルの連続する記号以上として
は受け取らないのだ。記号が何か現象や具体的な行動に結び付けな
いことが暗黙の了解事項となっていた。むしろ何もしないでいる
状況を、飾り立てるため、カモフラージュするためにコトバは使わ
れていた。

 そのためひとつの言葉に対する意味は、なんであっても許された
。TPOに応じて、意味が万華鏡のように変わってもかまわないのだっ
た。だから、意味を尋ねる、意味を特定するなんて、誰もしないこ
と、野暮の骨頂、暗黙のタブーであった。

 人々は、そのときどきに、その場かぎりで、自分の都合のいい
解釈を行うことが許される。そして、とにかく何も行動しないとい
うことによって、その言葉を自ら抹殺するのだ。

 H博士の言葉で、私は、私が「持続可能な開発」について、はじめ
から懐疑的であるのも、ユネスコのおかげだったのだということを
、教えられた。おそらくヨハネスブルグサミットに興味をもってい
るNGOの人たちは、そこまで言葉がないがしろにされる状況がありう
るということを、まだ体験したことがないのだろう。だから、「持
続可能な開発」というコトバ記号に期待をしている人がいる、コト
バがいまなお大手を振ってまかり通っているのだろう、と思った。

2 ニヒリズム
 ユネスコ勤務のあと、ユネスコ勤務の経験を反芻するうちに、
あれはニヒリズムと呼ぶ現象だったということに気付いた。理想や
夢、希望というものが一切存在しない、何も信ずるものがない世界
、他人をはなから信じようとしない、自分の口から発せられる言葉
すら信じていない。

 ユネスコの若い同僚から1994年1月にもらった手紙。
「結局のところ、現代社会をおおっている価値概念というのは、
『価値の相対化』であり、それの行きつくところは、『価値の多様
化 → 価値の希薄化 → 価値の喪失(=ニヒリズム)』、、、
イスラム原理主義にせよ、最近のメージャー首相のback to basic 
policyにせよ、ロシアの超保守主義にせよ、頼りどころのない現代
の倫理・思想に対する異議申し立て」として、「僕らは『全ての
価値を平等に認める』という安全パイを捨てて『新たな価値の創造
』という危険な作業をしなくてはいけない、、、」

 価値の多様化が、価値の相対化となり、それが最後には価値の
喪失=ニヒリズムになるという流れの図式はあたっていると思う。

H博士は、「むしろ問題は、『持続可能な開発』に続く新しい概念
が何も生まれていないということ」だと言葉をつないだ。

 たしかに、そうだ。なにも新しいコトバが用意されていない。

 これから10年、20年先にやってくるのは、やはりニヒリズムの
時代なのだろう。
1980年代のユネスコ危機の影響が、世界にも及びつつあるのだろう
か。ユネスコの存在が大きかったというよりも、知的活動を行う
機関がほかになにもないという現実の反映だろう。誰を批判しても
はじまらない。それは人類が自ら招いたことなのだ。

 持続可能な開発というコトバを表層的に信じて、サミットの騒乱
に加わることは各人の自由だが、お祭り騒ぎが終ったあとに、そこ
には何も信ずるべき言葉が用意されていないということ、ニヒリズ
ムの時代がすぐ先にまっていることの意味を、一度ゆっくり考えて
いただきたいものである。

得丸久文@ヨハネスブルグサミット提言フォーラム
2002年6月29日 土曜日、東京にて

ヨハネスブルグ・サミット提言フォーラムでは、会員を募集してい
ます。会員は、会員専用のメーリングリストに参加することができ
ます。南アから、随時送られてくるサミットの準備状況や、現地報
告を受けられます。
今回の事前調査の結果報告も、会員に配布されます。

次の報告は現地報告「南北問題の縮図としての南アフリカ」です。

事務局 teigen@bj.wakwak.com あてにお名前と所属、電話番号、
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い。会費は運営資金として使わせていただきます。

振込先: 
銀行 東京三菱銀行 赤坂支店 普通口座 1466622
郵便局 記号10110 番号 75712011

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 米田明人」です。


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