836−2.知的社会のインフラ



知的社会のインフラについて。

F さんの意見を拝見している途中に、思わずソニーの井深大先輩の
名前が出てきたので、少しばかり氏の旧制高校時代の様子で聞いた
ことのある話を披露したく思います。

なんでも、高校時代から井深氏は非常に電気系統の回線などをいじ
る趣味が昂じておられたそうで、部屋など遊びに行ったら、とにか
く部屋中に電気コードやらなにやら、至る所に張り巡らされている
状態だったと聞きます。また、最初のテープレコーダーを完成させ
た当時(おそらく昭和60年代)には、母校に多くの完成品を寄贈
したり、大変に愛校心が強い方だったという話を、母から聞かされ
ました。

実際、日本のどの地域でも、おそらく昔の旧制高校というのは独特
の雰囲気があったのだと思います。この高校は当時から、かなり古
風で非常に先輩後輩の関係が厳しく、どんなに寒い日でも後輩は外
に立って弁当を食べさせられ、また、ちゃらちゃらと異性と交際す
るような者は、見つかったら、先輩から屋上で鉄拳制裁が下される
ような、今考えると相当厳しい校風だったようです。

しかし、この時代にこの地域から輩出した偉大な人物は、ほとんど
といっていいほど、この旧制高校出身者で、また、「質素剛健・自
重自治」という校訓を厳しく守らせる、そのスタイルが、まさに
井深氏の独立心と、自分が正しいと信じることはなにがあっても譲
らなかった態度、そのものという気がします。

校舎の移転や建替えなどの問題が起きたときも、地元の出身者や
関係者が、公共の資金など当てにせずに、一等地を確保して、最高
の建築物を建てるという気概を持っていたほどでした。

しかし、現在は残念なことにごくごく平均的な県立高校にまで落ち
てしまい、ほとんど以前のような気概や、それまであった独特の
雰囲気を失い、今になると、卒業生の多くは失望しています。
このような建築の歴史的な価値、学校の伝統を無視した教育制度は
、非常に疑問です。
また、それに追い討ちをかけるように大地震でも健在だった校舎を
半分以上取り壊し、せこい現代風に形だけ、旧校舎の部分を残した
平凡な校舎に建て直すという強行策が、県の教育委員会の反旧制高
校勢力の圧力によって、断行されました。
(ちなみに、このメンバーは悪評高い同県教育委員会を牛耳る農業
高校出身者の面々だったという話です)

これは、おそらく某県だけの問題ではなく、多くの地域で同じよう
な個性ある地域の旧制高校の平均化が行われているのではないかと
危惧するところです。井深氏のような人物は、やはり独特の環境の
もとで、一方では非常に伝統的で古風、かつ厳格な校風のもと、
青春時代を送りつつ、個人的な生活では「自分の好きなこと」に打
ち込むことを許される理解ある家庭に恵まれ、また、友人たちも、
それに刺激を与えるような人物が多かったお陰でしょう。

だからこそ、愛校心、郷土愛が大きなものを、生み出す原動力にな
ったのではないかと思います。
いまどきの、小さく固まった個人主義で、おそらく、大きな発想を
するのは無理です。その場で、使い捨てられていく程度の発想くら
いで、せいぜいではないかと思います。

やはり、なにか大きな目標を掲げてこそ人生、という気概を(こん
なことを言うと、ついつい、同校の校歌の歌詞を思い出してしまい
ますが)若い時代には常に持てるような、理想を高く持つ教育が必
要になってくる気がします。

井深氏の例だけでなく、関西地域にはあるカメラの中小企業は、
「カメラ好き」しか採用しない、という方針を常に創業以来、貫い
てきているそうです。そのお陰で、大手の会社の開発などから、
依頼が絶えず、製作試作段階などのかなりの部分を請負、常に最先
端の開発を行っているということです。

そのような、「好きこそものの上手なれ」という教育、または環境
は非常に大事だと思います。そのためには、個人の趣味、あるいは
、秀でているところ、個性、特徴を的確に理解して、伸ばしてやる
ような周囲の大人、教師、友達など、自由で活動的、交流が広がる
ような人間関係作りが大事かと思います。

いつどきかの、「おたく」ではありませんが、お互いに同じ趣味を
持つ人たちが集まって、好きなことができるようなそういう場所を
どんどん、子供時代から提供して、学校以外でもそれぞれの才能、
長所を発揮できる場所を確保するといいと思います。

学習塾などで、小学生低学年から詰め込み教育をしたところで、
おそらく、井深氏や本多氏、松下氏のような偉大な発明家は育つわ
けがありません。まず、親からして子育てや本当に子供を伸ばす環
境というものを理解できていないことを、もっと反省せねばならな
い気がします。

CHOCO


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