817−1.異文化に憧れる4〜6



得丸です。タイでひたすら本を読み、異文化について考えてきまし
た。その一部をお送りします。ご意見、ご質問、ご批判などいただ
ければ幸いです。

4.異文化に憧れる
 書店にたくさん並んでいる異文化交流や異文化間コミュニケーシ
ョンに関する本はどちらかというと異文化交流は難しい、なじみの
薄い社会では異文化ストレスを受けると説明している。

 たしかに、そういう面もある。言葉が通じない相手との意思疎通
はなかなかに大変である。思ったことを言葉にするだけ、相手の言
葉を文字通り受け取るだけでも苦労する。

 表面上の意思疎通がなんとかできるようになってはじめて、その
先の言葉の背景にある基本的なものの考え方や価値観の違いに気付
き、カルチャーショックを受ける。
カルチャーショックというのは、目に見えるものの違いや言葉上の
違いが乗り越えられてはじめて認識されえるものなのだ。

 そんな重層的な体験によって自分自身すら変わっていかざるをえ
ない立場にいる人々に、異文化交流や異文化間コミュニケーション
の技術を教えようと思えば、おのづと悲壮な口調、もったいのある
文体にならざるをえないのかもしれない。異文化本に込められてい
る並々ならぬ意気込みには、敬意を表するべきだ。

 しかし、小野妹子や阿部仲麻呂が遣隋使や遣唐使として、帰国の
保証もなく中国にわたった時代から、ジャンボジェットでひと飛び
で外国に行けるようになった現代にいたるまで、私たちは常にまだ
見ぬ世界への憧れを抱いてはこなかったか。言葉が通じない相手と
目と目を合わせながら、心の通じる瞬間を夢見なかったか。

 論語に「之を知る者は之を好む者に如かず。之を知る者は之を楽
しむ者に如かず」とある。異文化を恐れたり、異文化に体や心をこ
わばらせるのではなく、異文化を素直に楽しむ、異文化を受け入れ
ることを楽しむ、そういった態度を取りたいものだ。

・ 異文化への憧れ
 そもそも異文化は憧れの対象だった。「名も知らぬ遠き島より、
流れつく椰子の実ひとつ」、「私のラヴァさん、酋長の娘、色は黒
いが南洋じゃ美人」や、カスバの女、上海帰りのリルといった童謡
・歌謡曲の中で、行ったことのない遠くの国の名前が歌われ人々の
異国情緒をかきたてた。

 詩人萩原朔太郎は「フランスに行きたしと思えど、フランスはあ
まりに遠し」という詩を残している。知らない世界を覗いてみたい
、今自分が生きている世界とは別の世界があるのならそこに身を投
じてみたい。遠い世界、見たことのない世界に憧れるのは、詩人に
限らず誰にでもある感情ではあるまいか。

・ 異文化に揺すぶられる 現代詩人の試み
 詩人は単なる好奇心だけで異文化を求めるものではないらしい。
異文化の世界に自分自身をまるごと投入することによって、自分の
言語や常識といった文化の体系が揺すぶられて新しい感覚を手に入
れることができるということを本能的に知っているのであろう。

 ほとんど何も理解できない言葉の渦の中にいて、何を読んでも意
味がわからない活字の羅列を前にして、言葉に対する感覚が研ぎ澄
まされるのだろう。ひとつひとつの言葉が発せられるときの音にす
べての感覚を集中させる一期一会の関係。意味を剥奪された音その
ものが自分に与えてくれる感覚。そういうものをいとおしく感じな
がら、言葉に接することができるのだ。

 言葉を理解できない、言いたいことを伝えられないもどかしさ。
「不自由さを手がかりに自由をえる」のがプロの言葉使いだ、と伊
藤比呂美はいう。(伊藤比呂美のインタヴューは国際戦略コラムで
「異文化に揺られて自由」として全文掲載しているので参考にされ
たい)

 山本陽子の詩「遥るかするするするながらIII」は、既存の日本語
言語体系から逸脱している。辞書にない言葉や漢字を使って彼女は
詩を紡ぎだした。その詩を朗読していると、まるで言葉のシャワー
をあびているようなすがすがしい気持ちになる。

 通常の意味の体系から逸脱した言葉の連なり。詩人自身がみずか
らを異文化として位置づけたかどうかは別として、現代芸術は一般
人にとっては異文化である。

 異文化は、自文化の限界を確かめてくれる。そして、つきあって
いくうちに自文化を豊かにしてくれる、心を豊かにしてくれる。異
文化は自文化の領域を広げてくれ、そしていつのまにか僕たちの心
は、異文化に対して心を開くことができるようになる。異文化は自
分を確かめてくれ、自分を磨いてくれ、自分の世界を広げてくれる。

5 異文化は反転する
・ 異文化は恐るるに足らず
 得丸流異文化交流術においては、異文化はけっしてわけのわから
ない、やっかいなものではないということを明らかにする。文化に
ついての複雑で混乱した議論を整理することによって、むしろ異文
化は楽しい、異文化はわくわくするということを、理解していただ
こうと思う。

 異文化を楽しむとはどういうことだろうか。たとえば現代日本に
おいては、日本舞踊よりもフラメンコダンス(元祖スペイン)やフ
ラダンス(元祖ハワイ)を楽しんでいる人が多いのではないだろう
か。

 日本舞踊を国民の文化とみとめると、フラメンコダンスやフラダ
ンスは非国民の文化ということになるのだろうか。長嶺ヤスコは非
国民か。これはあまりにナンセンスな議論だ。

 文化を国家や民族に従属するものだと考えること自体が間違って
いる。文化は、社会的存在である人間が、後天的に身につけるさま
ざまな技術の総称である。日本人であっても、英語を身につけるこ
とはできるし、フラメンコもフラダンスも立派に習得できる。プロ
にもなれる。日本舞踊であろうとフラメンコであろうと、自分の身
につけて実践するものは全て文化である。フラメンコダンスを習う
のと、日本舞踊を習うことの間に大きな差はない。

・ 異文化と自文化の違いは
 ひとりひとりの人間の意識を基準に考えると、異文化と自文化の
違いはたったひとつ。異文化は自分がまだ身につけていない文化、
自文化はすでに自分が獲得した文化。それだけのこと。文化という
点においては、異文化も自文化も同じである。

 以下では、その立場にもとづいて、文化一般について考えを整理
したい。

・ 異文化のダイナミクス
 朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり。異文化を学び獲得し自分
の中で発展させることは大いなる喜びである。生涯を通じた文化の
学習と実践を通じて、自分を文化的に高めていく。そうすることに
よって、他者との対話が成立し、異文化間コミュニケーションや異
文化摩擦の問題もおのずから解決していく。

異文化のダイナミズムは、まずは異文化から自文化への反転にある。

 自分がまったく知らなかった学問や技能を、それを自文化として
もつ他者に学ぶ。
そしてその学問や技能を反復し、工夫し、発展させることによって
、自分のものにすることができる。これを異文化の自文化への反転
とよぶ。ここに文化の最大の醍醐味がある。

 いったん自分が文化を身につけたところで、自文化から異文化へ
の反転がある。

 すなわち自らの文化とした学問や技能を、それを知らない他者に
教え導くと、異文化である他者を自文化へと引き入れることができる。

 これは文化は先輩から自分に、自分から後輩へと伝達される。こ
うして人類は、何世代、何十世代、何百世代にわたって、ある人の
意識から別の人の意識へと、先人から後進へと学問や技能を伝達継
承してきたのである。

・ 人類史上の文化遺伝子として
 この文化のダイナミズムに気付いたときに、人は自らを文化伝承
の役割を担うものとして位置付ける。それはもはや孤立した個人で
はなく、人類の文化史の継続を保証するための欠くべからざるひと
つの遺伝子という位置付けになる。

 孔子が匡の地で災難にあったときに思わず発したとされる自負の
言葉を思い出す。
「文王、既に没し、文、茲にあらずや。天の将に斯文を喪ぼさんと
するや、後死の者、斯文に与かるを得ざらしめん。天の未だ斯文を
喪ぼさざるや、匡人、それ予を如何せん。」(周の文王が死んでか
ら以後、文化の伝統は私の身にあるではないか。天がその文化を滅
亡させる気ならば、おそらく私をここで亡ぼして、後輩が文化の何
ものであるかを知らぬようにしてしまうだろう。しかしもしも天が
この文化を保存する気があるならば、匡の人たちが私に危害を加え
ようとしても何ができるものか)

 我々とて孔子と同じひとりの人間である。何か文化を身につけ、
それを後世に伝えようとするくらいの気構えは必要だ。

・ 養老天命反転地 文化反転のシミュレータ
 比較的短い時間のなかで、異文化反転のダイナミクスを実際に感
じらた場所がある。

 岐阜県養老町にある県立養老公園の中に、養老天命反転地がオー
プンしたのは1995年10月のことだ。これは現代芸術家荒川修作氏が
設計した「心のテーマパーク」で、約2ヘクタールの空間的広がり
をもち、大きなすり鉢のような形をした公園。現代芸術家によって
設計された公園なので、大きな現代芸術作品とよべるかもしれない。

 公園全体が作品となっている反転地に一歩足を踏み入れると、
普通の街や家とはひと味違う環境の中での「生活」が始まる。

 「極限で似るものの家」という建物は、たくさんの壁がゆがんで
入り組んだ迷路のようになっている家で、たくさんある壁と壁の隙
間のそれぞれが、家の中に入るための入り口となっている。一箇所
として水平なところがなく安定感を欠いている床の上には、ベッド
や流し台や便器や冷蔵庫や机などの家具が多数配置されている。
なかには壁によって分断されているものもある。

 同様なつくりの家が上に逆さに覆いかぶさっており、その床を見
上げると下の床とほぼ同じ配列でたくさんの家具が置かれている。

・ 大人の常識と天衣無縫な子供たち
 一般に現代芸術作品は、常識を逸脱した奇妙な造形を提示して、
一般常識や社会通念によってがんじがらめにされて自由な発想を失
っている私たちを戸惑わせる。現代芸術作品を前にして、私たちは
それが私たちの通常の理解を超えていることを直感的に察知する。
なんとなく居心地が悪く、その場にいることが不釣合いな気がして
さっさとそこから立ち去りたいと思う。

 養老天命反転地を訪れる大人の多くがそのように反応する。ある
いは、その居心地の悪さを知性で解決しようとして、自分の目にし
たものに自分なりの意味づけを与えようとする。たとえば、「便器
を展示するという手法は、かつてデュシャンが行ったもので、この
作家のデュシャンとの関係を彷彿とさせますね」と博識振りをひけ
らかしたり、「天井にも家具を置くことの意味は、いったいなんだ
ろう」と悩んだふりをしたり。

 ところが、子供たちは違う。養老天命反転地に行った子供たちは
、途方もなく面白い遊び場を見つけて、そこらじゅうを走り回るの
だ。いろいろな入り口や出口を試してみて、開くドアと開かないド
アがあることに気づいたり、行き止まりになって隠れ家のように仕
える空間を見つけたり、少しずつ確かめながら自分の世界を築いて
いく。そして、思わぬところで友人と再会すると、ケラケラ笑う。

・ 異文化との対話
 みんなが子供たちと同じようにふるまえば話は簡単だ。

 そのような思いが込められている(と思われる)「養老天命反転
地 使用法」がすべての入園者に渡される。この「極限で似るもの
の家」は、

* 何度か家を出たり入ったりし、その都度違った入り口を通ること
* 自分と家のはっきりした類似を見つけるようにすること。もしで
きなければこの家を自分の双子だと思って歩くこと
* 今この家に住んでいるつもりで、または隣に住んでいるようなつ
もりで動き回ること
* 思わぬことが起こったら、そこで立ち止まり、20秒ほどかけて(
もっと考え尽くすために)よりよい姿勢をとること
* どんな角度から眺める時も、複数の地平線を使って見るようにす
ること
(以下略)

 童心を失ってしまった私は、すなおに使用法にしたがって歩き回
ってみた。いろいろな入り口や出口を通って30分ほど家の中を歩い
ているうちに、同じ別れ道や同じ出口を何回か通過する。最初は迷
路のような未知の世界であったものが、だんだんと様子がわかって
既知の道に変わっていく。

 多くの道は外気がそのまま吹き抜けるつくりになっていて、冷た
い風に手がかじかんだ。風の来ない一角を見つけて、ひと休みした。

 ベッドは硬質のプラスチックでできており、電話機の受話器や便
器のカバーは接着されていて持ち上がらないようになっている。も
ちろん電話機のプッシュボタンも動かない。家具は使うためのもの
ではないということを体で感じる。

 するとそこへ私より30分遅れてこの家を訪ねてきた大人たちが通
りかかる。なにげなく彼らが発する言葉「トイレがあった」、「電
話だ」がなぜか奇妙に聞こえる。
「どこにも通じない電話機やおしっこのできない便器を、電話やト
イレと呼んでもいいの。あなたたちはみかけに捕らわれて本質を見
誤っている」と内なる声がつぶやく。

 すでに私は異文化の側に属する人間になってしまったようだ。
これは異文化が自分の中に取り込まれて消化されて、自文化になっ
たということである。

6 異文化に戸惑う
・ パリ症候群 精神的未成熟者たちのぶつかる壁
 パリ在住の精神科医太田博昭氏によれば、「(パリ)に滞在して
いる日本人にある共通する精神現象がある」という。「要するに、
日本が飽き足らない、日本がいやになった、ということでフランス
に憧れをもって飛びだしてきて、いざ生活してみたら憧れとはほど
遠い現実の厳しさに気づく。そこで冷静に自分をとりまく現実を見
つめればいいのに、フランス嫌いになるか、幻ではあっても憧れの
フランス像に固執し続けるか、と両極端になってしまう。過剰に適
応するか、不適応になる。日本もよければフランスもいい、日本も
悪いところがあるし、フランスにもある、という現実的な判断に落
ち着く人が意外に少ない。」(柳原和子著「在外外国人」晶文社、
1994年より)その結果、自律神経失調症や抑うつ状態や妄想状
態になってしまう人が多いというのだ。

「どうしてこういった症状がでるようになったのか?基本的には日
本が急にお金持ちになってしまったということでしょう。一人歩き
できない人が、格安便で大量に海外に出てくるわけです。その脱出
の量とスピードに精神の成熟が追いついていけてないってことです
。(略)異文化を克服できない人は、日本でも社会的な人間として
活動できない人じゃないですか」

 パリは昔から日本人の憧れの都だったから、パリ症候群と呼ぶこ
とが可能なほど異文化不適応の症状に恵まれているのかもしれない
。だが異文化不適応の症状は、重い軽いの別はあるが、誰に対して
も、どこでも、発生してきたはずである。

 郷に入れば郷に従え、所変われば品変わるということわざは知っ
ていても、実際にどれくらい常識や社会ルールが違いのかを理解で
きる人間はほとんど存在しない。論語に「生まれながらにしてこれ
を知るものは上なり。学んで知るはその次なり。困んで知るはその
次なり。困んで学ばず、これを下という。」というのがあるが、
そんな天才はまずいない。

 異文化不適応に悩む必要はない。異文化に不適応なのが普通なの
だ。それと戦後の日本社会においては、敗戦の精神的ショックのた
めか、大人になる、責任ある大人として社会参加するということの
重要性に重きがおかれてこなかった。日本には社会的な人間が育っ
ていないのである。自らの不適応や社会性のなさに絶望する必要は
ない。

 むしろ異文化に不適応な自分を、どのように社会的な人間として
育てていくか、その上でどのように異文化に適応させていくかの
プロセスが異文化との付き合いにおいては大切である。
 
 ちなみに異文化に国内と国際はない。「京都のぶぶ漬けたべてい
かれやす」が「もうそろそろお帰りになりませんか」ということを
意味している。それを知っていない人は異文化摩擦を起こすのであ
る。国際摩擦か国内摩擦かは関係ない。
 
・ 単なるプログラムの未インストールと割り切る
 はじめて外国で語学学校に通ったとき、中東や南米や東南アジア
からの留学生たちが実に堂々と自己紹介したり、自分の意見を述べ
るのを聞いて愕然とした。どうして自分はあいさつひとつ十分にで
きないのか、どうして自分は語ることを思いつかないのか。

 その答えは簡単である。日本で育ったわれわれは、とうとうと自
己紹介したり、自分の考えが間違っていようといまいと、人前で堂
々と意見をいう訓練も経験も持ち合わせていないからである。集団
自由討論とか自分の特技や特徴をアピールする自己紹介など、生ま
れてこのかたやったことがないのだから、できなくて当たり前であ
る。
もしそれを行うのがルールであるとすれば、これから学んで身につ
ければいいのだ。

 ユネスコに勤務していたとき、ベルギー人の同僚が、まったく
成果のあがらなかった会議に肯定的な講評をしたときも、目玉が飛
び出る思いがした。とにかくどこにもほめられる要素が見えないと
きに、それでも褒めたわけで、名人芸だと思った。

 日本人は人を褒めるのも、会議や事業を褒めるのも苦手である。
親が人前で子供のことを褒めると親ばかといって馬鹿にされる。
しかし、国際機関で勤務するにあたっては、まったく何も褒める要
素が見つからない場合でも褒めることができなくてはならないのだ
と肝に銘じた。

 異文化体験で、驚くのは、たいてい自分たちが持ち合わせていな
い行動様式に出くわしたときである。そもそも自分も家族も友人も
会社の同僚も、およそこれまでに取ったことのない行動様式を見せ
付けられれば、まずはびっくりすのが当たり前である。

 しかし、あまり長い間口をあんぐりあけてびっくりしていても始
まらない。自分がもっていない行動様式や思考様式に出会ったら、
それを自分として身につけるにはどうすればいいかを考えればいい
。必要に応じてそのような行動様式を取れるくらいの覚悟でなけれ
ば、異文化交流はおぼつかない。

・ 文化の違いをどう評価するか
 文化相対主義の考え方によれば、文化はそれぞれが民族のアイデ
ンティティーとして、尊厳をもち、文化の間に優劣はない。文化相
対主義は、文化と文化が混交したり相互に影響を与えて進化してい
くことは予定されていない。文化を静的にとらえる考え方である。

 しかし現実には、ポルトガルからもたらされたカステラや南蛮漬
けが日本の料理に取り込まれたり、日本の浮世絵が西洋絵画の印象
派に影響を与えたりと、文化は相互に影響しあっている例は枚挙に
いとまがない。(なお余談だが日本人が印象派の絵画を好きなのは
浮世絵の残滓に惹かれるのではないだろうか。とくにロートレック
などはずばり浮世絵であり、ご丁寧に判子まで押してある)

 むしろお互いに盗みあい技を磨きあってよりよい社会を築くため
に文化を高めていくことが望ましい。カイゼンやテイアンのように
QC活動用語が世界にそのまま流通していることもある。それが文化
の進歩や発展ではないだろうか。

 どちらかが一方的に押し付けるのではなく、相互理解が深まるこ
とによってある特定の文化が広まっていく。
 
・ 地球文明の中ですべての文化は等価である
 文明とは、環境である。文明とは、一定の時間と空間によって区
切られ、その環境において人間は文化を獲得することができる。

 かつては、古代ギリシャ文明、江戸徳川文明と、文明の地理的広
がりには通信・交通による制約がはっきりとあった。しかし、21世
紀の地球社会はもはやひとつの文明圏を構成していると考えられな
いか。

 日本人がスペインでフラメンコダンサーになったり英国の王立バ
レー団のプリマドンナになったり、アメリカ人が日本語で小説を発
表し、ハンガリー人がフランス語で戯曲を書く。人間の移動距離が
大きくなったために、自分が生まれたのではない社会の中にどっぷ
りと浸って文化創造の活動に従事することもできるようになった。
いざ異文化を獲得しようと努力してみると、なにもそれは遺伝子や
「民族」というあやしげなカテゴリーによって制約を受けるもので
はないということを体得する。

 もはや文化は民族や国民国家に従属するものではない。国籍や人
種や民族にかかわりなく、人間はある特定の文化を獲得し、発展さ
せ、伝達できる。文化は人類社会に属する人間が普遍的に獲得可能
な技能である。

・ 全人類が日本文化を身に付けるとき
 そんなことをしたら、日本人離れした日本人が生まれてしまう、
とご心配なさる方もおられよう。日本の文化がそれだけのものであ
ったなら、そうなるかもしれない。

 私は逆に考える。21世紀の地球社会を生きていく上で、恥ずかし
くない人格形成や文化獲得を行いたいと思えば、日本で古来から発
展してきた文化を獲得することが役に立つ。せまっ苦しくて、自由
に振舞うことよりも他人様に迷惑をかけないような生き方が尊重さ
れた日本社会の智恵は、地球という空間の限界がはっきりとしてき
た時代の人類にとって大いに参考にされるべきではなかろうか。
(この点で私は、「世界は江戸化する」という入江隆則氏の主張に
非常な共感を感じる)

 むしろ日本文化を日本民族からも解放して、世界の誰でもが日本
文化を身につけることができるように、日本文化を日本人以外の人
々がインストールして、動作できるように、ヴァージョンアップす
る努力がはらわれるべきであろう。それこそが日本文化に誇りを感
じている人の責務であろう。
(得丸久文、2002.02.17)


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