6089.著名な天皇一覧



著名な天皇一覧
                      秋好修
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代    天皇       事績
 1   神武       ハツクニシラス 葛城に大和地方政権を建てたのか?
  欠史8代=2綏靖、3安寧、4懿徳、5孝昭、6孝安、7孝霊、8孝元、9開化
10   崇神       ハツクニシラス 纒向にヤマト王権を建てたのか?
              磯城瑞籬宮
11   垂仁
12   景行       オオタラシヒコ  長男:日本武尊(ヤマトタケル)
              九州巡幸:瞭然たる目的をもつ軍事行動
13   成務       景行天皇の次男、日本武尊の第二子を皇太子にして仲哀天皇へ
14   仲哀              神功皇后が仲哀天皇の皇后で摂政、明治時代までは一部史書で女帝
              (女性天皇)とされたが大正15年の皇統譜令により歴代天皇から外
              された。天皇の熊襲征伐に随伴、天皇崩御後征伐達成、三韓征伐
15   応神       八幡神
              弓月君(秦氏の先祖)に援軍して、弓月君と民を渡来させた。
              これにより、秦氏の宇佐神宮の神になった。
                            71歳での即位まで母の神功皇后が摂政
              河内に宮を移す。
16   仁徳       宋書に「倭王:讃」と
                            倭の五王とは「讃・珍・済・興・武」
17   履中
18   反正       仁徳の第3子、履中天皇の弟、兄弟での継承が始まる

19   允恭
20   安康
21   雄略       ワカタケル大王、「倭王の武」
              吉備の乱を平定して、政権を安定させた。
22   清寧
23   顕宗
24   仁賢
25   武烈       書記に「暴帝、子なしで夭折」王朝交代か?
26   継体       大和に入らず即位、近江王朝 、越前から来る
27   安閑       528年磐井の乱(継体崩御後、直ぐに反乱)66歳即位、4年で崩御
28   宣化
29   欽明       562年任那滅亡で、新羅討伐軍を送るが、敵の罠にかかり退却
              任那復興を夢見ながら亡くなる
-------飛鳥時代
30   敏達       廃仏派寄りで、廃仏派の物部守屋と中臣氏と崇仏派の蘇我馬子が対立
31   用明       長男:聖徳太子、敏達の弟
32   崇峻       馬子に謀殺される! 用明の子飛鳥時代
33   推古(女帝)   用明の長女
34   舒明       第一回遣唐使を派遣
35   皇極(女帝)   敏達の曾孫、近江大津京
37   斉明(女帝)   重祚(35代・皇極天皇)百済滅亡
38   天智       敏達の曾孫、鎌足と組み蘇我氏を滅ぼす
              中大兄皇子、白村江の戦いで負け、大津に近江大津宮
40   天武       672年に壬申の乱で大友皇子を倒し、即位
              天智の弟
              藤原京造営、『日本書紀』と『古事記』の編纂開始
              神道を整備し、仏教を保護して国家仏教を推進
              以後の持統天皇が皇后
41   持統(女帝)   天智の長女、式年遷宮、藤原京へ遷都
--------奈良時代
43   元明(女帝)   天智の次女 奈良へ遷都=平城京
44   元正(女帝)   天武の孫娘 不比等が養老律令、日本書紀
45   聖武       天武の曾孫 東大寺建立
              光明皇后(父:藤原不比等)
              :貧しい人の施設「悲田院」、医療施設「施薬院」を設置 
46   孝謙(女帝)   大仏開眼
48   称徳(女帝)   重祚(46代・孝謙天皇)道鏡を大政大臣、法王とし、和気清麻呂を流刑
-------平安時代
50   桓武       4代目:高望から平氏へ、平安京へ遷都
56   清和       孫:経基から源氏へ、藤原良房が摂政、渤海入貢、石清水八幡宮創建
59   宇多       猫好き
72   白河       上皇となり、院政を始める、源義家が陸奥を征す
75   崇徳       保元の乱に敗れ讃岐に配流、怨霊伝説
81   安徳       幼児、壇ノ浦で溺死
--------鎌倉時代
82   後鳥羽      承久の乱後、隠岐に配流
83   土御門      承久の乱後、土佐に配流
84   順徳       承久の乱後、佐渡に配流
88   後嵯峨      子は6代目、孫は7代目の鎌倉将軍
--------室町・戦国時代
96   後醍醐      南朝を建て、4男:護良親王、大塔宮
     南北朝並立 南朝:97後村上、98長慶、99後亀山
           北朝:光厳、光明、崇光、後光厳、後円融、後小松
     『大日本史』が採った立場に基づき、南朝が正統として、1911年(明治44年)には明治天皇の裁定により
     、南朝の義良親王と熙成親王を正統な天皇と認めた。
100  後小松      北朝が勝ち、南北朝合一
103  後土御門     応仁の乱が始まる。将軍足利義政の邸宅(花の御所)に避難。
106  正親町      織豊政権の保護のもと、元亀元年(1570年)の朝倉義景・浅井長政
              との戦い、天正元年(1573年)の足利義昭との戦い、天正8年(1580年)
              の石山本願寺との戦いにおける講和は、正親町天皇の勅命によるもの
107  後陽成      天正16年(1588年)室町幕府滅亡で豊臣政権成立、
              慶長8年(1603年)徳川家康を征夷大将軍に任じ江戸幕府開始
--------江戸時代以降
108  後水尾      慶長16年(1611年)即位、
              朝廷の行動全般が京都所司代を通じて幕府の管理下に置かれた
109  明正(女帝)   7歳で即位、徳川秀忠の外孫
110  後光明      和歌を拒み、剣術に励み、徳川にさからい、22歳で暗殺か?
117  後桜町(女帝)
121  孝明       公武合体(佐幕)を唱え、倒幕派に暗殺か、岩倉犯人説
122  明治(陸仁)   孝明は北朝系であり、南朝こそ正統として、博文がすり替えた説
              以後、南朝の正統と認定することになる。『大日本史』の影響力は大きい。
123  大正(嘉仁)   10年目に長男;裕仁親王が摂政
124  昭和(裕仁)   「熊野天皇」南朝の末裔と称して、皇位返還を要求される
125  平成(明仁)   生前退位
126  今上天皇






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