6015.ブータン紀行 その4



ブータン紀行 その4

                 平成30年(2018)7月25日(水)
              地球に謙虚に運動 代表 仲津 英治

 猛暑が続く中、お見舞い申し上げます。
  また、去る6月28日から7月8日まで続いた西日本豪雨で、ご不幸
にも亡くなられた方々のご冥福を謹んでお祈り致し、被害に遭われ
た方々にお見舞いを申し上げ、一日も早い復旧を祈念するるもので
す。当方は幸い被害軽微で御座いました。

  去る5月11日(金)から17日(木)まで、妻の希望もあって国民総幸
福量=GNH(Gross National Happiness)の国と自称するブータン王国
へ行って参りました。ブータン国内では4泊し、国の在り方、国民
生活の過ごし方など、大いに勉強になりました。
表面的だと思いますが、こういう世界があるということと強く認識
した次第です。今回はブータン紀行その4です。

嗜好品;タバコ
 ブータンでは2004年から「禁煙国」となり、国内でのタバコ販売
は違法となっています。しかし外国人の入国の際は、税金を払えば
一人1カートンの持込が許されているそうです。また喫煙場所も人
目に触れないプライベート空間、ホテルの自室くらいとのことです。
確かに今回の旅行中、煙草を吸っている人は見かけませんでした。
かつて煙突と呼ばれるほど煙草を吸っていた私も長男の誕生をきっ
かけに禁煙してから40年以上になります。子供の受動喫煙を避ける
ためです。そして今や飲食店でも禁煙席を選ぶ方です。煙草は万病
の元とも言われますね。国民の健康を考えると、煙草による税収よ
り、病気に掛ける治療費の方が高くついている可能性もあります。
ブータンは禁煙という英断を下した国だと思いました。

酒
 ブータン人はお酒の大好きな国民性のようですね。これは意外で
した。敬虔なチベット仏教徒の国のイメージを持っていたので、ア
ルコール類は控えているだろうと思い込んでいたのです。ところが
昼間から酩酊している小父さん、お爺さんを見かけました。
 観光地の公園でウィスキー類を販売する売店もありました。

宗教
 ブータンはチベット仏教を国教とする敬虔な仏教国です。仏教以
外の宗教としてはネパール系住民に多いヒンドゥー教があるとのこ
とでした。チベット仏教には二大宗派があるそうですが、宗教&宗派
間による争いは全く無いと伺いました。民族構成はチベット系8割、
ネパール系2割とのこと、ゾンと呼ばれる寺院とか公的な建物はチベ
ットのそれらと良く似ていますね。

 ガイドのプブツェリンさんによれば、仏教は、インドからチベッ
トを経てブータンに伝わったそうで、歴史的には日本への仏教伝来
の方が古いとのことでした。
 仏教との密接な関わりは、不要な殺生をせず常に慈悲の心を持つ
など、ブータン人の国民性に現れ、幸福度世界一と言う概念の土台
にもなっています。
 ブータンは立憲君主制を敷いており、初代国王(1907就任)以来
、民主化が進められて来ています。2008年憲法が施行され、初めて
総選挙が行なわれ衆参両議院が発足しているとのことです。

ブータンの政治と仏教
http://www.travel-to-bhutan.jp/about_bhutan/%E3%83%96%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%94%BF%E6%B2%BB

 但し、プブツェリンさんによれば、宗教家(僧侶、尼僧など)に
は選挙権&被選挙権が与えられていないとのこと。これは過去の経
験からそういう制度にしているのでしょうか。宗教的争いが国家レ
ベルで起きないための仕組みだと伺いました。憲法上、「宗教者(
僧侶)は、政治を越えて存続する」とあるところから、参政権(選
挙権)がない、との説明が日本ブータン友好協会のホームページに
ありました。 
 http://www.japan-bhutan.org/archives/617/

山上の大仏
 パロからテインプーへ行く途中、巨大な屋外の黄金色の大仏を見
かけました。クエンセル・ポダン (ブッダ・ポイント) と呼ばれる
展望台にある大仏でした。
 大仏の高さは奈良の大仏に次ぐ高さだそうで、粘土の彫像に金箔
が貼られているようです。シンガポール&香港の大金持ちの寄付で
建立されたとか。その金額88億円とか。まだまだ周囲は工事中のよ
うで、発生土砂、工事の破片が積まれていました。

タクツァン寺院
 タクツァン寺院は、今回観光の最大のメイン目的地です。妻はこ
の寺院を見たくて、今回の旅行を希望したようです。海抜3,000メー
トル級の高山&断崖絶壁の岩場に建てられた寺院です。
8世紀にチベットからブータンにやってきてチベット仏教(ニンマ
派=古派)を伝えたインド人?パドマサンバヴァ(チベット名;グ
ル・リンポチェ)は、この地に虎の背中に乗ってやってきたという
のです。タクツァンというのは、「虎の巣」(タイガー・ネスト)
の意味だそうですね。グル・リンポチェはここで瞑想をしたあと、
パロ地方の人々に仏教を広めたと言います。
 
 この僧院は断崖絶壁に自然に出来た狭い階段状水平広場に建って
おり、1998年全焼し、2004年再建されたとのこと。よくぞこんな場
所に寺院を建てたものだと思いました。機械力が無い8世紀において
は、資機材を人&馬、ロバあるいは牛を使って運んだことでしょう。
大勢のブータン人が労働力を提供したはずです。2004年に向けては
6年掛けた国を挙げての工事だったようですね。この工事ではロープ
ウエイが設置され、それで人・物を運び、僧院完成後ロープウエイ
が撤去されたとの記述がその場所にありました。
 
 一生に一度はタクツァン寺院にお参りするのがブータン人の夢だ
そうです。現地を見て確かにそういう気持ちになるであろうと思い
ました。
 寺院の中は、撮影禁止、カメラを預けての参拝でした。
 海抜2,400■辺りから登り始め、往復7時間の行程でした。世界中
から観光客が来ている感じがしました。しかし飲食店、土産物店に
しても俗化していない印象を持ちました。ブータン人の敬虔さと商
業主義に染まっていない良さを感じました。

 途中までラバ&馬による移動サービスがありましたが、(もちろ
ん有料)、我々はガイドとともに徒歩で登山&下山しました。第一
展望台までの山道はラバ&馬の糞で満々ており、結構臭いもしまし
た。喉が渇きましたが、途中の渓流水、水飲み場の水も我慢しまし
た。
 僧院付近では岩の間から滴り落ちる水を戴き、格別なおいしさで
したね。下山後、崇高な気分になったのを覚えています。

 登下山中には、コガラ、ヒガラ、シジュウカラと言った可愛い小
鳥たちが囀っており、疲れを癒してくれたように思います。

野良犬
 ブータンは、平和的な宗教国家で、むやみな殺生は一切禁止され
ています。街で、観光地で実に多くの野良犬を見ました。人口より
多いのではないかと思いましたが、帰国後調べると10万頭くらいの
ようですね。野良とは言え、餌場もあり、実質人々が飼っている感
じです。猫は、家庭内で飼っているとのことで、私が見かけたには
タクツァン僧院の第一展望台の一匹のみでした。
  
 東京犬猫日和というURLがあり、下記のような記述がありました。
http://tokyoinuneko.com/category/detail.html?no=1302&c=WEB+MAGAZINE
 国民のほとんどが敬虔な仏教徒であるブータンの人々にとって「
命あるものは皆心をかけられなくてはならない」という仏教の教え
が深く浸透している。
 ブータン人は、輪廻転生を信じており、自分の前世は虫であった
という人もおり、来世にどうなるかは、現世の行いによって来世に
何に生まれ変わるかが決まるという信念を持っているようですね。
 しかし、いくら犬を大事にするにしても自然の任せていては増え
すぎて困った事態になりましょう。
   
 実際、上述の東京犬猫日和のURLによれば、2008年の新国王戴冠式
を控え、何とかしなければという事態に至り、ブータン政府はかね
てから相談していたHumane Society International(HSI 国際動物保
護協会)のアドバイスを受け、全国で約10万頭に登ろうかという犬
たちに避妊・去勢手術とワクチン接種を施す計画に着手したとのこ
とです。
 避妊&去勢された犬は、耳の一部をカットされています。実際、
現地で多数の犬を見かけましたが、一部耳をカットされた犬ばかり
だったように思います。
 人々に大事にされているからでしょう、全く人に吠えたり、対う
犬はいませんでした。去勢されているせいか犬同士も喧嘩しないよ
うです。しかし朝方一斉に啼きます。目覚まし代わりでした。

国王
 私は、ブータンが王政を敷いていることは存じておりましたが、
その歴史は日本の天皇制ほどでは無いにせよ、数百年単位の歴史を
持っているはず、との認識を持っていました。実際は、100年強の歴
史しかないとのこと。ガイドのプブツェリンによれば、20世紀初め
、国民が国を統一した聖者ウゲン・ワンチュクに国王就任を求めた
というのです。ジグミ・ケサル・ナムゲム・ワンチュク現国王は5代
目です。

 日本外務省のブータン基礎データに拠れば、19世紀末に至り東部
トンサ郡の豪族ウゲン・ワンチュクが支配的郡長として台頭し,
1907年,同ウゲン・ワンチュクがラマ僧や住民に推され初代の世襲
藩王に就任,現王国の基礎を確立、とあります。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/bhutan/data.html

 国民に推され、世襲の国王制が導入されたとの事ですから、それ
までは地域間の対立、宗派間の対立等が続き、内乱状態だったので
しょう。初代国王は相当の識見・統治能力等を持った人物だったと
思われます。
 そして2006年、第4代ワンチュク国王が、総選挙を行ない、憲法も
制定し、立憲君主制に移行すると表明したのです。続く2008年3月ジ
グミ・ケサル・ナムゲム・ワンチュク現国王の時、普通選挙による
国民議会(衆議院)選挙を行なわれ、立憲君主国となりました。		

 国王と皇室は、国民から敬愛されていますね。公共施設、ホテル
、レストランなど至る所に王と王妃の肖像画、皇室の写真が掲示さ
れているのです。もちろん強制では無いとのこと。
 
 1979年第4代前国王は、4人姉妹を妻に娶っていました。ある農家
で食事を戴いたときにその写真を見かけました(ブータン紀行その3)。
しかし、世の中は大きく変わりつつあるようです。テレビ、インタ
ーネットの影響です。
 
下記のようなURLを見つけました。
 終わり迎えるブータンの複婚制度
 2011年10月17日発信地:ティンプー/ブータン  http://www.afpbb.com/articles/-/2835402?pid=7920745

 実際ブータンでは男性が数人の姉妹を妻にする一夫多妻や、女性
が数人の兄弟を夫にする一妻多夫が続いてきたが、王国が近代化す
るにつれてこの複婚制はなくなりつつある。前週のロイヤル・ウエ
ディングも同制度の終わりを示唆する出来事の1つとなった。

 2011年、現国王、ジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク
(Jigme Khesar Namgyel Wangchuck)は31歳の時、民間出身の航空
機パイロットの娘、ジェツン・ペマ(Jetsun Pema)さん(21)と結
婚し、「死が二人を分かつまで人生を捧げあうことを誓う」と議会
で演説しています。議会で誓えば、国民に約束したことになります。
             以上 ブータン紀行 その4 終わり


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