2806.心と商品



題名:心と商品


                           日比野

1.商品の属性

モノ余りの時代といわれてから久しい。商品は、消費者が満足を得
てこそ売れ行きが伸びる。その対象が何かによって商品の特性が異
なるのは当然の話。

最初は生きるために必要なものから始まって、だんだん文化的生活
を営む人が増えてくるとそれに合った商品が開発されてゆく。

商品の機能が果たす対象を物質的属性と精神的属性に分けて考えて
みると次の二つに大別できると思う。


1)肉体的属性・生命維持、機能を補助する商品  
   水・食料・眼鏡・時計、列車・車・バイク等各種移動機関 
   
 
2)精神的属性・心の満足を得るための商品
   芸術・文化作品・服飾・貴金属・TVメディア、ネット等


豊かになって1)が充足すると、2)のウェートが高まるけれど、
2)が成熟してくると個々人の好みが多様化して、何が売れるのか
判らなくなる。

その理由として、個性の多様化が進んだのが原因だとかよく言われ
るけれど、つまるところ、人の心のかたちがひとつとして同じもの
がないことに起因してる。

芸術家や作家が自分の想い、じぶんの心のかたちを「みえる化」し
て、作品として具現化するように、消費者本人も自分の心のかたち
を意識するようになると、それを具現化した商品や作品に感応して
それを求めるようになってゆく。


 
2.知性の種類

心の言葉は心のかたちを言葉という表現形態で「みえる化」したも
の。勿論、言葉以外のものでも「みえる化」は可能。

現在の認知心理学では、知性は多重構造になっていると言われてい
る。

一九八三年にイギリスの認知心理学者ハワードガーナーが、知性は
ひとつのものではなくて、多数の並列した知性から成り立っている
、多重知性の存在を提唱した。


近年、これを受けて、沢口俊之北海道大学教授は、脳科学の分野か
ら多重知性の本質として、知性を八つに分類している。

1.言語的知性:言葉を見聞きして、理解して記憶したり、話した
        り書いたりすることを司る知性のこと。会話や読
        書・執筆での基本的な知性。

2.絵画的知性:絵画に代表される視覚対象の形態やパターンを理
        解して記憶したり、絵画や図形などを描く知性の
        こと。絵画の鑑賞や画家にとってはなくてはなら
        ない知性。

3.空間的知性:モノがどのような位置にどのような速度や関係で
        存在しているのかという知覚して記憶し、それに
        基づいて行動を組み立てる知性。日常生活で普通
        に使われる知性。

4.論理数学的知性:様々な数学的記号の理解とそれを論理的に操
          作する知性。計算や暗記で使われる。数学者
          には必須の知性。

5.音楽的知性:音楽を聞いて知覚・理解し、記憶して、それに基
        づいて歌ったり、演奏したりする知性。ミュージ
        シャンでは、この知性がよく発達していることが
        実証されている。

6.身体運動的知性:体の姿勢や運動の様子を知覚して記憶し、そ
          れらに基づいて運動を上手くコントロールす
          る知性。優秀なスポーツ選手などで発達して
          いる知性。

7.社会的知性:人間関係に代表される社会関係の知覚・理解・記
        憶する知性。それらに基づいて、適切に社会的行
        動を行う。社会関係を適切に営むのに必要な知性

8.感情的知性:他者の感情・表情や自分の感情を理解・記憶して
        、自分の感情を適切にコントロールする知性。E
        Qのこと。

更に、この上記8つの知性を総括し,コントロールする知性,いわ
ば「超知性」としての「自我」がある。この超知性は多重知性を監
督する役割をもっていて、別格な存在。


「自我」とは「心」のことなのだ、と定義すれば、言葉や絵や音楽
って、心に思ったことを多重知性という表現の種類で「みえる化」
したものになる。

心を言語的知性で「みえる化」すると「言葉」になる。

心を絵画的知性で「みえる化」すると「絵画」で表現される。

心を空間的知性で「みえる化」すると「場所・空間」に対する認識
に表れる。

心を論理数学的知性で「みえる化」すると「抽象論理思考」になる

心を音楽的知性で「みえる化」すると「音楽」ができる。

心を身体運動的知性で「みえる化」すると「動作」にあらわれる。

心を社会的知性で「みえる化」すると「礼儀・節度・常識」にあら
われる。

心を感情的知性で「みえる化」すると「EQ・理解力」にあらわれ
る。

多重知性の論理では、心のかたちを8つの表現形式で区分できるけ
れど、もしかしたら8つではなくてもっともっとあるのかもしれな
い。



3.多重知性の目覚め

個々人がもつ多重知性のそれぞれの要素が、どのくらい発達してい
るかは、勿論個人差があるのだけれど、それぞれの知性を発現させ
、磨いていくためには本人の修養や経験、周りの環境が大きく影響
する。

交通機関や通信手段が発達していない昔であれば、自分と周りの人
の職業や経験に大差がなくて、多重知性を発達させる材料も皆同じ
だった。いきおい、心のかたちも似たり寄ったりになりがち。

さらに、今と比べて、芸術文化や知識に浴する機会も少なかった筈
だから、特に言語的、絵画的、論理数学的知性の目覚めと発達も難
しかったのだろうと思う。一部の特権階級を除いては。

心は経験という外部からの刺激や内観という磨きを経て、練られ、
そのかたちや色合いを変えてゆく。

だから数多くの文化芸術や知識に触れることができる現代人は、そ
れだけ自分の心を豊かにして磨いていける材料に恵まれている。そ
れらによって、様々な多重知性を同時に発現させて、磨いていける
チャンスの時代に生きている。

今の時代は文化芸術もさることながら、職業も多岐に渡っているか
ら、個人個人の経験もひとそれぞれに細分化している。その結果、
今に生きる人々の心もバラエティに富んで、個別に細分化してる。

お笑いタレントの島田紳助は、二十歳くらいの若手時分、京都の実
家に、仲間の若手芸人をいっぱい集めては、「これからの笑いはや
すきよの笑いとは違う、笑いは細分化されるんや」と言い、若い相
手だけを笑わせればいいと割り切って、独自の漫才スタイルを構築
していったと述べている。

これも、社会が豊かになるにつれて、人の心のかたちが個別に細分
化されていくから、すべての人にマッチする笑いはあり得ないと見
抜いていたからなのだと思える。

多重知性を磨いていくには、時代性や環境の制約があって、その条
件下で自らの心を磨くしかない。あまりにその時代を超えすぎた心
のかたちを持つ人は、それを発揮できたとしても、周りに理解され
ずに不遇の人生を託つこともある。


 
4.心がひきつけるもの

人の好みは、その人の心のかたちできまる。心が感応して、多重知
性を介して「みえる化」したものが好みになって表れる。

好きな言葉、好きな絵、好きな場所や形、好きな論理哲学、好きな
音楽、好きな動作、好きな価値観、好きな感情。これらは、その人
の心のかたちが求めて、好みとして表れたもの。

一種類の商品は一種類の好みや心にしか合致しない。だから商品は
いろんな形や色などのバリエーションを持たせて、客の好みに合う
ように取り揃えることになる。

すべての人の心にあわせた商品を揃えたいのはやまやまだけど、無
限のバリエーションなんて持てないから、大まかに区切っていくつ
かのバリエーションを持たせるのが精一杯。

買う人はその中から比較的自分の好みに近いものを選ぶ。自分の心
のかたちにぴたりとはまる商品なんてそんなにない。

人が自分の心のかたちを自覚するレベルには個人差がある。何かの
個展に行って、気にいった作品を見つけた時、どこがいいのって聞
かれてもうまく言葉にできない事ってよくあること。

その作品に心が感応して、自分の心のかたちを代わりに表現してく
れているから気にいるのだけれど、自分の心のかたちを十分に自覚
できていないものだから、うまく言葉にならないだけ。とにかく気
に入ったとしか表現できない。

好みの作家がしっかりと決まっているような人はかなり自分の心の
かたちを自覚してる。だから、もし好みの作家の作風が変わってし
まって、自分の好みと乖離してしまったら、離れてしまうこともあ
る。

そんな、心のかたちに十分自覚的な人の心を表現できる領域がすご
く狭い場合には、普通に世に出回ったりする商品では満足できなく
なる。中には世の中の作品には自分の気に入るものがないからとい
って、自分で作ってみようとしたりする人もいる。ストライクゾー
ンがボール一個分くらいしかなかったり。



5.ゲームにおける個人の表現 

「サッカー選手は芸術家。高給はファンを魅了する活躍に対する報
 酬だ」

英国の文化・メディア・スポーツ省の政務次官が「サッカー選手の
給料は高すぎる」と発言したことに対しての、マンチェスターCの
エリクソン監督の反論。

サッカーに限らず、一流選手のプレーは時に芸術的と呼ばれること
が多い。

一流選手の心のかたちが、本人の身体運動的知性を介して、プレー
に表れるのだろうけれど、これも心の見える化のひとつ。

最近では、家庭用ゲームなどを通じた対戦を「eスポーツ」と呼び
、プロスポーツ競技として育てる取り組みが動き始めているそうだ
。

いくらサッカーが大好きでも、まず運動能力や才能が必要だし、そ
の中でもプロにまでなれるのはほんの一握り。でもゲームだと、好
きなだけ練習できるし、指の動きさえ上達すれば、それなりに巧く
なれる。

リアル空間では、プロにはなれないけれど、ゲームの世界ではスー
パースターになれるかもしれない。身体能力を要求しない分だけ、
ハードルが低い。必要なのは、指の動きと反射神経と創造性。

特に創造性についてだけでいえば、プロの選手を凌駕する創造性を
発揮するゲーマーがいてもおかしくない。

ゲームの自由度があがって、個人の創造性を存分に発揮できるほど
になればなるほど、ゲーム空間内で心のかたちをみえる化できるよ
うになってゆく。

心のかたちの見える化のハードルがどんどん低くなって、その手段
も多様化してきたのが現代。科学技術が心のみえる化を助けるよう
になってきた。



6.「初音ミク」にみる消費トレンドの変化 

自分の曲を声優が吹き変えた声で自動で歌わせるソフト『初音ミク
』が大ヒットしている。

パソコンで自分の好きな曲やオリジナルの曲を作って、『初音ミク
』という仮想アイドルに自分だけの曲を歌わせる。『初音ミク』フ
ァンは全国にいて、YOUTUBEなんかの動画の投稿サイトでは
『初音ミク』に自分の歌を唄わせた作品が続々アップしているとい
う。

これもいってみれば、自分の心のかたちを、ソフトの力を借りて音
楽で表現したもの。それが受け入れられた。

これまでもCG合成されたバーチャルアイドルがいなかったわけじ
ゃないけれど、その多くはメーカー側がキャラ設定して、消費者に
一方的に押し付けたアイドルだった。

『初音ミク』が従来のバーチャルアイドルと決定的に違うのは、ユ
ーザーが自分で作った曲を唄わせるツールとして存在するという点
。ユーザーが自主的に企画して『初音ミク』をプロデュースできる
こと。自分の心のかたちを自分で表現できる手段としての商品にな
ってる。

だから、これからの商品は、従来のメーカーがラインナップをそろ
えていった商品形態と違って、個人の心のかたちを表現する、サポ
ートとしての商品にシフトしてゆくのではないかと思う。無論、精
神的属性・心の満足を得るための商品領域での話だけれど。

ゲームなんかは「創造的なプレー」という心のかたちをゲームとい
うサポートを借りて表現できるし、『初音ミク』は「創造的な曲」
という心のかたちを表現するサポートソフトといっていい。

従来のバーチャルアイドルがいまひとつヒットしなかったのは、こ
の心のかたちの表現という面からみれば説明できるように思う。

つまりメーカーが作ったものの中から比較的自分の心のかたちに近
いものを選ぶ消費行動から、もはや自分で自分の心のかたちを表現
していく消費行動に変わってきているからではないか、と。もう押
し付けでは見向きされない時代になってきているのかもしれない。



7.心のかたちがみえるということ 

カスタマイズもいろいろな分野で当たり前になってきた。カスタマ
イズとは自分に使いやすい、自分好みの、自分だけの設定や形状に
作り変えること。

昔は車やバイクのチューンナップだったり、プラモや電気機器の改
造だったりしたけれど、今はPCの自作や設定変更、ゲームのキャ
ラ設定変更など、バーチャル空間にまで広がっている。このカスタ
マイズが面白いという。

これは、もっとハードルを低くした心のかたちを自分で表現する試
み。そういうサービスがこれからはどんどん当たり前になってくる
と思う。

自分の心のかたちを自分で表現できるのが簡単になってくると、世
の中に個人の心の形がいろんな表現形式で溢れてくるようになる。

それを見た人は、それぞれに対して自分の心のかたちに感応して反
応を返してゆく。なかには多くの人の共感を得て、大いに支持され
るものもあるだろう。

そうなると、個人の心のかたちの質がだんだん問われるようになっ
てくる。

芸術作品で、多くの人の心をうち、のちのちの時代まで残っていく
ものとそうでないものがあるように、個人の心のかたちを表現した
中身、心の質が良いものが求められる。

気高い精神、美しい心とそうでないものが明らかになる時代。人様
に出して恥ずかしくない心のかたちは見える化しても平気だけれど
、お見せして恥ずかしい心はみえる化なんてしないし、したくもな
い。

こうした消費行動がトレンドになってくると、ビジネスを考える上
でも、心のかたちに目を向けるようにならざるを得ない。

みえる化した心のかたちに価値を見出して、それが富を生むように
なるとしたら、人様に出して恥ずかしくない心の人は引っ張りだこ
になる。心のかたちが才能として扱われる。

これからは心の時代だ、なんてよく言われてきたけれど、心のかた
ちが富を生むようになるとますますそれを実感するようになるに違
いない。

(了)


コラム目次に戻る
トップページに戻る