2797.日米関係の潮目はなぜ



歴史的に見て、日米関係には何度かの潮目があった。  Fより

米国下院議員での「対日慰安婦非難決議」がどうも日米関係が悪化
に向かう潮目になったように感じる。その後、米国は「北朝鮮のテ
ロ指定国家解除」に向かい、日本の拉致問題を考慮しない方向にな
り、日本は「インド洋での燃料補給活動停止」になり、欧米の中東
地域での活動を支援しない方向になり、両国の利益を相互に阻害す
る事態になっている。

この状況を見ると、ハリマン事件を思い出す。YSさんの記事から
引用すると、
1905年9月、鉄道王として知られたユニオン・パシフィック鉄
道のエドワード・H・ハリマンがクーン・ローブ・グループの代表
として日本を訪れる。

目的は日本政府との間に南満州鉄道の共同経営に関する合意によっ
て、ユーラシア大陸横断鉄道を実現させるためである。しかし、1
0月13日の離日の際にハリマンが手にしていたのは正式調印では
なく覚書だけである。そして、その覚書も10月27日には日本側
からの電報一通で破棄される。 

米国から500万ポンドを引き受けたのがドイツ系ユダヤ人のジェ
イコブ・シフに率いられたクーン・ローブ・グループである。
そして、この引き受けの理由にはユーラシア大陸横断鉄道への目論
見もすでに存在していた。しかし、シフと親密な交流を結んだ高橋
の配慮も虚しく、電報一通で彼らの野望を打ち砕いたのである。

 日露戦争を勝利に導いた恩人であるクーン・ローブ・グループに
対する理不尽な事件として、日本では感情論的に解釈されてきた。
そして、この事件こそが太平洋戦争勃発の原因であると語り継がれ
てきた。  (以上)

このハリマン事件後、日米関係はだんだん険悪になる。勿論、この
事件がなくても日米両国の利害は対立して、険悪になった可能性が
高いが、しかし、この事件がきっかけで日米の関係は急速に悪化し
た。その意味では日米関係の潮目であったように感じる。

これに相当する事件が米国下院議院の慰安婦非難決議であったよう
な気がする。

それでは、なぜ、米国は日本との関係を見直すのであろうか??
米国は、すでにイラ戦争での勝利はない。戦争の理由は石油確保で
あったが、失敗している。サウジ世界最大のカジフ油田の産出量が
年々減っている。一時は世界の半分を生産していた油田であるが、
すでに油田の寿命が尽きている。

今後期待できる油田は、イラクとカスピ海の油田であるが、カスピ
海の油田は中国とロシアに占められているために、米国は手が出せ
ない。手を出せないように上海協力機構を作り、中国とロシアは中
央アジア諸国利権を守ったのだ。米国はイラク戦争に悩殺されて、
これに対応できなかった。このため、米国は石油から原子力にエネ
ルギーを変換させる必要に迫られている。

石油の時代は確実に終わり、石油獲得競争もなくなる。このため、
石油資源確保の戦争は無くなることになる。戦争の時代も終結する。

原子力は戦争を嫌う。ウランの資源争奪戦争が起きると考える人も
いると思うが、ウランはプルトニュームを生み、それも燃料をして
使えば、まだ尽きることを考える必要がない。そして、原子力は平
和な時代にしか存在できない。戦争が起きると被害が甚大過ぎるし
、世界的な影響が出る。チェルノブイリ原発の事故でよく分かって
いる。

このため、米国も敵対的な対応を終結する方向にシフトしている。
これが北朝鮮との紛争を集結する動きに繋がる。
もう1つ、温暖化の原因をCO2であると認めたことでも石油や石
炭から原子力にシフトすることを宣言しているようなものである。

米国は、ロシアや中国が反米的な対応をしても、それに乗らないで
説得をしている。米国の力がなくなったことにもよるが、石油利権
の確保に動く中ロとは違う戦略にシフトしたために、冷静に見てい
る。もう1つ、米国が石油価格上昇を認めているのも、石油離れを
加速させることではないかと見ている。

米国自動車会社のGMやテスラモータなどが中国と組んで電気自動
車を開発している。この方向にシフトしているのも気になる動きで
ある。

米国は経済的な側面で日本の自動車会社との対抗上、中国と組む必
要性もあり、米国と中国の連携を強化して、中国対応の日米安保を
破棄する必要がある。特にヒラリー・クリントン候補は明確に中国
と関係を強化するとしている。親中非日の立場を明確にしている。
その民主党クリントンが大統領になる可能性が高い。

日本は、日米安保破棄・米中経済同盟に対応した国際関係を構築す
る必要に迫られている。米国とも中国とも欧州とも良好な関係を結
び、日本文化に根ざした商品やサービスを作り日本の存在感をアピ
ールするしかないのでしょうね。

さあ、どうなりますか??

1783.最新日本政財界地図(17)トラウマとしてのハリマン事件
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k6/161019.htm

==============================
エピソード 『小村寿太郎と桂・ハリマン覚書』
http://www.geocities.jp/michio_nozawa/episode12.html

 小村寿太郎が、明治日本が生んだ天才外交官であることは言うま
でもない。現在の宮崎県日南市出身で、15才で東大へ入学、20
才で文部省派遣でハーバード大学へ留学した。

 ポーツマス条約では、考えられる限り最もいい条件で話をまとめ
た。引き分けの戦争で、しかも日本には継戦能力がなく、相手の国
力の方が上という中で、あれだけ分捕っていたきたのは見事という
しかない。実情を知らされてない国民からは、条約交渉の失敗と言
われ、家を襲われたりしたが、身長143pのこの男が、180p
を越えるヴィッテを相手にした姿は、古代中国の晏子を彷彿とさせ
る。しかも1911年に不平等条約の改正に成功して、同年に死去する
など明治に殉じた感すらある。小村を悪く言う書物をほとんど見た
ことがないが、このハリマン覚書をめぐる小村の判断は、その後の
日本の運命を大きく変えることとなった。
 アメリカの鉄道王ハリマンは、ポーツマス条約締結後、桂首相に
南満州鉄道の共同経営を提案した。ハリマンには夢があった。南満
州鉄道をシベリア鉄道につなげ、バルト海へでる。そこからアメリ
カ東海岸へと結んで、世界一周鉄道をつくるというものであった。

 伊藤博文や井上馨は、この申し出に賛成した。特に井上は、北満
州に依然として大軍を擁しているロシアを牽制するために、アメリ
カを抱き込む妙案だと考えた。その意見に従って、桂はハリマンと
共同経営の覚書を交わした。しかし、ポーツマスから帰国した小村
は、血も流さなかったアメリカに、満鉄の権益を渡すのは外交上の
恥だと訴えた。そして北京へ飛び、清国との間で、満州に第三国が
資本投下するのを阻止する条約を結んだ。1906年1月、日本は覚書
の廃棄を正式に通告。南満州鉄道株式会社を設立した。これと時を
同じくして、カリフォルニアで日本人の排斥運動が議会や教育委員
会で決定されたのは、本編で記した通りである。
 アメリカは、日本がハリマン覚書を無効にしたのは、日本が中国
大陸からアメリカを締め出すためだと理解した。その報復手段をと
ったわけである。同時にオレンジ計画に着手して、対日戦略に取り
組み、太平洋に大艦隊をつくっていく。太平洋戦争への端緒は、こ
の時開かれたとも言える。

 歴史に「もし」はないので、小村と井上の判断のどちらが正しか
ったかは分からない。小村の主張にも井上の考えにも、ちゃんと筋
は通っていた。まぁ、確かなことは、アメリカの、自国の利益に反
する姿勢をとる国は、全て悪であり、潰すべきだと考える姿勢は、
今も100年前も変わっていないという点であろう。

 ところで、受験関係を1つ。小村寿太郎は、ポーツマス条約→
第1次桂太郎内閣の外相。関税自主権の回復に成功した→第2次桂
太郎内閣の外相である。  



コラム目次に戻る
トップページに戻る