2756.仏教思想史4



日本の仏教思想史を見よう。       Fより

日本の仏教は欽明天皇が538年に百済から導入したとあるが、そ
れより前に、帰化人たちが仏教を持ち込んでいたはず。後に593
年に推古天皇が即位し聖徳太子が皇太子になると、遣隋使を中国の
隋に送り、直接中国から仏教を導入し始める。

日本仏教も神道との融合が行われて、祖先崇拝や山岳信仰などに結
びついていく。神仏混合を推し進めたのが、宇佐八幡宮を起こした
秦氏である。その後日本全国に広まり、多くの神社に神宮寺を建て
られたが、明治政府の神仏分離令で廃寺にされた。

奈良時代の仏教は、国家鎮護を目的とした学問仏教と言われている。
聖武天皇は、各地に国分寺を建立、奈良には大仏を建立する。聖武
天皇の光明皇后は貧しい人に施しをするための施設「悲田院」、医
療施設である「施薬院」を設置して慈善を行った。 

また、遣唐使がさかんに派遣された。奈良仏教は南都六宗で、空の
哲学である三論宗、唯識論の法相宗、大小乗を総括した成実宗、有
の哲学である倶舎宗、人は皆繋がっているという華厳宗、戒律を研
究する律宗である。

戒律は日本の社会では小乗仏教と思われているが、中国大乗仏教で
も戒律は守ることが普通である。日本仏教の戒律軽視を心配して、
鑑真は日本に来ることを決意する。律宗が日本では亜流になり、仏
教の僧として日本以外では考えられない、親鸞のように妻帯まで許
すことになる。

794年からの平安時代の仏教は、鎮護国家の仏教という位置づけ
であるが、国家とは一定の距離を置く意味も含め、都から離れた山
岳に寺院を作り、みずからを開祖とする新仏教宗派を開いた。この
唐帰りの天才が開いたのが、最澄の天台宗、空海の真言宗である。

真言宗の空海は、7世紀頃のインド密教を習った。空海が唐で師事
した人物は「恵果(746-805)」。恵果の師匠は不空金剛でインド名
アモーガヴァジュラである。そして、中国では唐末(9世紀末頃)
には早くも密教が途絶えた。

このため、密教はチベットと日本で生き残ったことになる。チベッ
ト密教は12世紀のインド密教であり、日本の密教より有相唯識や
時輪タントラなどの理論化がなされている。このチベット密教が、
最新の心理学に大きな影響を与えている。

最澄の天台宗は智ギの天台教学で仏教全体を俯瞰する宗派であり、
法華経が中心法典であるが、四宗相承の教えを説き、比叡山は密教
や仏教理論を広く研修する場になった。

鎌倉時代、この比叡山から法然や親鸞、日蓮、栄西、道元が出てく
る。

法然は、中国浄土宗の善導の観経疏「散善義」の教えで専修念仏に
真理を見出し比叡山を下りて、1175年に浄土宗の立教開宗する。
その法然の理論を発展させたのが親鸞で、他力本願と「悪人正機」
と呼ばれる思想を独自に作り、広めた。

日蓮は、比叡山の本流である法華思想を継承して、「南無妙法蓮華
経」を唱えて善行を積むことが救いになるとした日蓮宗を1253年立
教開宗する。現世における仏国土の建設を目指し、現世重視の考え
が武士・町人から圧倒的支持を受け、現代も創価学会のような日蓮
宗が盛況の理由のようだ。

栄西は比叡山で受戒した後1168年渡唐し南宗禅(臨済宗)を学び、
1202年建仁寺を開山し、臨済禅を行う。幕府から帰依・保護を受け
、臨済禅風の五山文化を築いた。この五山水墨画の担い手の中心に
南宋滅亡時、日本に逃げてきた貴族がいたと見ている。如拙などで
、日本は古来から中国王朝滅亡時に貴族が亡命する先と感じる。

道元は比叡山で天台教学を学んだ後、1223〜1227年中国に渡航し
曹洞宗を学び、1244年永平寺を開山し曹洞禅で、釈迦の坐禅成道と
して「只管打坐」による「即身是仏」を説いた。

室町時代では、臨済宗が室町幕府の「官僧」と化し、全国的に貴族
・武士に広まった。蓮如(1415-99)が出て、浄土真宗は爆発的な
発展を見せた。日蓮宗は武士や商工業者の支持を得て多いに発展し
た。

江戸時代に寺院諸法度と寺請(檀家)制度ができ、すべての僧侶が
幕府の官僧をなるが、しかし他宗派の檀家への布教や新たな寺の建
立が禁止された。このように著しく布教活動が制限されたのだ。

明治時代に廃仏運動と神仏分離令で、仏教は迫害と布教の自由を得
るが、失う物も大きかった。新興仏教が出てくることになる。この
中心が現世利益の日蓮宗である。

しかし、現時点の日本仏教は全般的に衰退している。葬式以外で、
若い人たちを寺にあまり見ない。インドの仏教は、現在の心理学に
近い存在で、学問的に興味ある学説を立てていたが、現在の仏教は
中国・日本で仏教を簡易化し、容易に実践できるように、ただ「南
無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華教」と言えば救われるとしたが、
このことが現在の人間たちには信用できないし、易行仏教が物足り
なく映っているようだ。これに引き換え、自力本願の難行、曹洞禅
は生き残る可能性が高い。

次回はチベット仏教と仏教から発展した心理学の現状を見ようと思
う。
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親鸞の教え(他力本願とは)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E9%B8%9E

阿弥陀仏にこの世で救われて「南無阿弥陀仏」と報謝の念仏を称え
る(称名)身になれば、死ねば阿弥陀仏の浄土(=極楽)へ往って、
阿弥陀仏と同じ仏に生まれることができる。

なぜなら阿弥陀仏によって建てられた48の誓願(=四十八願)が完成
されており、その第18番目の願(=本願)である第十八願に「すべて
の人が救われなければ、わたしは仏とはならぬ」(「設我得佛 十方
衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念 若不生者 不取正覺 唯除五逆誹
謗正法」)と誓われているからである。

この為、人(凡夫) が往生出来るのは阿弥陀仏の本願によってであ
り、この理(ことわり)を信ずること(=信心)によって、往生する
事が出来る(易行道)とし、信心正因称名報恩という。

しかも、この信心も阿弥陀仏から賜ったものであるから、すべてが
阿弥陀仏の働きであるとし、これを他力本願(たりきほんがん)と
呼ぶ。ここで言う人(凡夫)とは、仏のような智慧を持ち合わせな
い人を言う。

自力で悟りを開こうとする人(難行道を選ぶ人)を否定するもので
はない。また、正信偈に「彌陀佛本願念佛 邪見慢惡衆生 信樂受持
甚以難 難中之難無過斯」とあり、誤り無く信心を持ち続けるのは、
非常に難しい事だとも述べている。 

他力とは阿弥陀仏の働き(力)を指す。「他人まかせ」や「太陽の
働きや雨や風や空気、そのほかの自然の働き」という意味での使用
は、本来の意味の誤用から転じ一般化したものであり、敬虔な浄土
真宗信者(門徒)は、後者の表現を嫌悪・忌避する。 

「悪人正機」と呼ばれる思想も親鸞独自のものとして知られている。
既に親鸞の師・法然に見られる思想であるが、これを教義的に整備
したのが親鸞であるともいわれる。

『歎異抄』に「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや(善人
が極楽往生できるのなら、悪人ができないはずが無い)」と有るの
は、上記「他力本願」とも関係する思想であるが、その意味は、
<人(凡夫) は自力で善(往生の手段となる行為)を成すことは不
可能である。

人(凡夫)はすべて悪(往生の手段とならない行為)しか成せない。
だから、悪人と自覚している人の方が、自分は善人だと思っている
人より、本願により救われる道を自覚している事になる>という逆
説的な表現である。大乗無我思想のひとつの到達点といえる。

阿弥陀仏に救われている私であるとして、信一念時に、死んで極楽
浄土に往生出来る身に定まった現生正定聚(げんしょうしょうじょ
うじゅ)の身となり喜ぶことを勧めた。この考え方は法然を超えた
もので、浄土宗と浄土真宗の教義上の違いの一つである。 



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