現代という芸術アラカワ 我に続け 得丸久文 昨年6月に大分県国東市で、演劇講座の受講生募集があり申し込ん だ。国東で生まれ、たった一人でエルサレムとローマを訪れ、切支 丹禁教下の日本に帰って殉教したイエズス会司祭ペトロ・カスイ岐 部(1587-1639)の生涯を今年3月27日に上演するためだという。 「あなた!、わたし?」といった言葉のキャッチボールやしりと りゲーム、アドリブ寸劇といった演技の基礎訓練を半年ほど行った あと、新年早々に役が振られて本格的な稽古が始まった。演出は青 年座の磯村純で、素人役者たちをダイナミックに動かして、スピー ド感のある舞台に仕上がりつつある。私はペトロの父、ロマノ岐部 役だ。観客席に座れないのが残念だ。 ペトロ岐部については、遠藤周作の「銃と十字架」で読んでいた ほか、彼が旅した長崎やマカオ、ローマは旅していた。昨年9月には 彼がローマからの帰国途中に半年以上風待ちしていたモザンビーク も訪れた。私はペトロ岐部が、命より信仰を選んだ理由はなんだっ たのかを知りたかった。 それは言葉の論理性ではないか。 不立文字、秘すれば花、もののあはれ、日本には言語化を嫌う伝統 があり、ヒトとサルは毛が三本(の違い)、人生万事色と欲、煩悩即 菩提、人間と動物は大差ないと達観する。 言葉で構築された神の国を約束するイエス・キリストの教えは、 言葉を軽んずる日本で受け入れられた。純朴な切支丹は西洋による 植民地化の現実や西洋人司祭たちの優越意識を知らなかったことも ある。 ふと思う。切支丹の信仰は、戦後日本の「平和憲法」、「憲法第9 条」教に近い。日本を非武装化し、日本の権力構造を解体し無化す るためにアメリカが起草した憲法を、平和の象徴として崇める人々 と切支丹は似ている。信仰すると言葉に呪縛され、気がついたら植 民地化されて国は亡びる。だが言葉を疑えば、言葉の力を棄てる武 装解除となり、太刀打ちできないというジレンマ。 ペトロ岐部は、ゴアやマカオやモザンビークの植民地の実態も、華 やかなローマもみた。その結果、愚かさをきわめて行動すれば、い つか呪縛を乗り越えられるという希望を得た。我に続け。ペトロ岐 部はそう思いつつ死んだのではないか。