5567.戦後民主主義への絶望



1 戦後民主主義への絶望
From: tokumaru

 昨年秋に国際政治学者の坂本義和先生が亡くなり、先月末に西欧
政治学者の篠原一先生が亡くなった。法学部で両方のゼミに参加し
、ゼミ生のうちで卒業後にもっとも不安定な社会人人生を送ってい
た僕は、長い間、両先生に心配をおかけしていて、気にしていただ
いていた。この場をお借りして感謝申し上げるとともに、謹んでご
冥福をお祈り申し上げます。

 両先生に、こいつはどうしようもないと愛想をつかされたのは、
鷹揚の会が2006年のつくばでの夏合宿で保田輿重郎を取り上げた後
だ。

 保田の本は3回くらいじっくり丁寧に読まないと、保田の深く静か
な呼吸は伝わらない。戦後の日本には他にない語り口だ。合宿の前
にかなり苦労してレジュメを書いたが、あのときの読書会ほど低調
なものはなかった。おそらく参加した人の多くは、保田は理解しづ
らいと思ったことだろう。

 保田の「絶対平和論」は、「敗戦+民主主義=よかった」という
価値観、つまり戦後民主主義を否定する思想だ。保田の思想をひと
ことでいうと、「米作りの労働を共に喜び、産土神に共に感謝する
ことを忘れたとき、民族は滅ぶ」ということだった。「植民地化さ
れた現実を見よ」ともいった。戦後民主主義は民族滅亡に至る思想
なのだ。

 東大法学部は、宮沢俊義や丸山真男が「8月革命説」を唱え、「敗
戦が民主主義をもたらした」とする思想を国民に受け入れさせる役
割をもった戦後民主主義の牙城、広報センターだ。今でも憲法の教
科書では8月革命説が、日本国憲法の法源だ。これは保田と対極に位
置する思想である。

 保田を読んで、戦後民主主義は間違っていたのではないかと、翌
年の年賀状に一筆書いて以来、両先生からのお返事が来なくなった。
 
 あの年以来、大学同窓の友人たちと疎遠になった。選挙に行かな
くなり、国会前に集合する人々とも埋めがたい距離感を感じている。

 派遣労働者が会社に姿を現した20年以上前から、日本は若者が大
変な社会だと思っていた。昭和30年代生まれの僕たちの世代は、公
的年金がもらえるかもらえないかの瀬戸際で、それより後の世代は
、年金はもらえない、正社員にはなれない、仕事は老人介護のよう
な希望の持てない職種が多い。若者を大切にしない社会は亡びる。
だのに誰も何もしない日本。

 最近は、日本の会社の多くが老人と外国資本家のために配当を出
すため、人減らしと、労働分配率の低減ばかりしていて、経営者も
中間管理職も資本の奴隷になりさがって、我々の世代は自分で自国
の若者の首を絞め、ついでに自分の首も絞めている。ますます希望
のもてない社会になった。

 こういうときに、「政治を変えよう」というのは、日本の歴史を
知らない人たちだ。一番最初に狂わされたのが政治学や憲法学であ
り、議会や行政に訴えることが無駄であることは、水俣病など公害
被害者たちの証言からとっくに学んでいなければならないのだ。
(石牟礼道子「苦海浄土第二部 神々の村」)

2 マンダレーの王宮
 先日のミャンマー総選挙で、スーチーさんの率いる野党が過半数
をとって、政権交替がおきたらしい。これも素直には喜べない。ス
ーチーさんはイギリス人と結婚している点が、気になるのだ。

 僕は一昨年3月、昨年10月に、仕事でミャンマーを訪れた。昨年は
マンダレーという町で王宮を訪れたのが一番印象に残った。ビルマ
王家は、イギリス政府によってインドに連れていかれて、そこで途
絶えた。第二次世界大戦末まで、数十年間のイギリス植民地を経験
したが、王宮は戦争中にイギリス軍の攻撃によって焼かれた。僕が
訪れたのは、戦後になって、ビルマの人々が再建した王宮で、オリ
ジナルと同じかどうかわからなかったが、比較的質素なつくりだっ
た。

 いくつか木造の建物が続いたあと、さらに質素で小さな建物があ
り、そこの内部は撮影禁止になっていた。なかには、王家の人々と
、イギリスと戦って敗れた政治家と軍人たちの写真が飾ってあった
。狭いながらも心のこもった展示だった。そこは元イギリス領の植
民地でありながら、英連邦に加盟していない国の魂のよりどころで
はないか。

 スーチーさんはここを訪れるだろうか。

 アングロサクソンは、民主主義という名の媚薬で、植民地化を進
めることにたけている気がする。

2015年11月14日 得丸久文
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三好範英著「ドイツ・リスク」から考えるドイツの自主性・独立性
Wed, 25 Nov 2015 
 今月の課題図書「ドイツ・リスク 『夢見る政治』が引き起こす
混乱」を一読して、いったいどこが「夢見る政治」による混乱なの
だろうかよく読み取ることができませんでした。
 著者は、僕と同年代で、新聞社の外信部記者としてバンコク、プ
ノンペン、ベルリンを経験している。でもその割に、現地あるいは
現場の雰囲気をあまり感じませんでした。僕が知っているM新聞ロン
ドン支局の外信部の記者は、日がな一日支局に座っていたような気
もするから、読売もそんなもんかなと勝手に納得しています。
 日本の原発事故についてのドイツの報道が「夢見る政治」なのか
もしれませんが、それについては、著者があまりに素直に大本営発
表を信じているか、あるいはそれを読者に信じさせようとしている
のが鼻について、いったいどっちが夢を見ているのと思いました。

 いったいどっちが夢を見ているの、日本とドイツ。これはいい問
いになるような気がします。
 たとえば、日本では、外務省で事務次官を経験した外交官が、駐
米大使としてアメリカに赴任します。ということは、いつもワシン
トンから先輩が後輩に連絡してくる恰好になるわけで、主権国家で
は考えられないことです。ドイツの場合はどうなのでしょうか。
 日本には、日本国憲法のことを、「戦争に負けたおかげでアメリ
カに民主主義をいただいた」と感謝し護持している勢力がいますが
、ドイツの場合に、「アメリカのおかげで、ヒトラーを退治できた
。アメリカさんありがとう」という人々ははたしているのでしょう
か。
 ドイツが統合する前の西ドイツには基本法があって憲法に代わる
ものでしたが、統合後のドイツの憲法はどうなったのでしょうか。
アメリカに遠慮なく好きな憲法を作れたのでしょうか。
日本では、自衛隊を海外に派遣することが、日本軍国主義の復活に
つながるとして忌避している人々がいますが、ドイツの場合に、
NATO軍が国連PKOに派遣されることを忌避した人々がいたという話を
聞いたことがあります。やっぱり敗戦国同士似ていますね。
 日本の自衛隊が、アメリカの北西太平洋における監視活動を肩代
わりしているように、ドイツは駐欧米軍の肩代わりをする任務をも
っているようです。NATOというのは、アメリカが指揮権をもってい
て、ドイツ人はアメリカの指示にしたがうことしかできないと聞い
たことがあります。このあたりもなんとなく似ています。

 でも、南北朝鮮は統合できなかったのに、東西ドイツは統合でき
た。この違いは何でしょうか。アジアとヨーロッパの違いでしょう
か。それにドイツは日本よりも自主的な外交をしているように見え
ますが、アメリカはヨーロッパ人であるドイツ人には自主外交を許
したのでしょうか。それとも本当はそれほど自主外交ではないので
しょうか。
 こういった疑問に、この本は答えてくれません。でも、この本の
おかげで疑問を感じることができただけでも、一読した価値はあっ
たといえます。まあ、戦後民主主義自体が「夢見る政治」というの
がふさわしいという気もしますので、タイトルもいい線いっている
といえますね。
調べてみたら、ドイツ人まるごとアメリカの仕組んだ「戦後体制」
のなかにどっぷりと漬かっているという可能性もありますね。普通
、そこまで調べないからわからないだけなのかも。
 どなたか答をお持ちでしたら、教えてください。
得丸久文



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