5263.空とは何か?



「空即是色、色即是空」は大乗仏教経典の般若心経のあり、有名で
ある。この世にあるすべてのものは因と縁によって存在しているだ
けで、その本質は空であるということ。また、その空がそのまま、
この世に存在するすべてのものの姿であるということ。

仏教は、縁起の原則より、自分や祖先が作った原因で不幸にもなる
し、幸福にもなるという色(現実)になり、それは自己責任である
という宗教であり、考えによっては非常に厳しい宗教であるのだ。
そして、自力本願の宗教である。

キリスト教は、神と人間とは違う。運命は神が決めるので、運命を
人間が変えることはできない。人間は神から認められるような人生
を送り、神がそれを見て決めるという。人間には限界があり、ある
程度の努力後は運命を受け入れるしかないという。

いいことをすれば死んで天国に行けるし、悪いことをしたが地獄に
落ちるという。人間は、すべて受け身である。ある意味、他力本願
であるが、キリスト教からルネサンスで人間中心になり、仏教的な
自力本願になってきたのである。

イスラム教はまだ、中世の時代のキリスト教であり、IBM精神である。
I:インシャ・アッラーで、神の御意のままに。B:ブラクで明日、
M:マレシで気にするなである。人間と神は違い、人間はいい加減で
よいという。

仏教は、そのようないい加減さ、諦めを許さない。自分の無意識界
を開発して大衆を助けるなど、自分が生きている意味を見つけるこ
とであるという。自己を開発するべきというのである。

ということで、仏教は苦しいのである。この苦しさを軽減するのが
、空の思想で、自分が苦しいと感じるのは空である。苦しいと思う
から苦しいので、苦しいと意識しなければ、ないことになる。自分
の責任を考えるなということである。そういう意味では、大乗仏教
は、ケセラセラ教であるとも言える。

そして、親鸞は、中世、完全な他力本願を説くことになる。仏教の
苦しさを完全に解放する。誰でも仏性があり、死んだら阿弥陀仏が
助けてくれるから、その阿弥陀仏に真剣に祈れば良いという。

「悪人正機」とも言うから縁起の原則もないというのであるから、
仏教と言えるのかというぐらい違う仏教になっている。「華厳+空
」の先に浄土真宗がある。

坊主は、俗人と同じで良いことになり妻を娶り、自分を高める必要
もないことになった。僧侶が、世俗を助ける必要なくなり、世俗と
同じ位置になる。ただ、僧侶が仏教の作法を教え得る存在になって
しまった。これが葬式仏教になる原因となる。

そして、現在、世俗と同じなので、僧侶が尊敬の存在ではなく、皆
が仏教を信じなくなり、お釈迦様が言う末法の世になってしまった
のである。

さあ、どうなりますか?




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