4967.自然の摂理に従った暮らしとは



自然の摂理とは、自然界のいろいろな生き物たちが織り成す生態系
の法則である。弱肉強食というが、強者でもお腹が空いた時だけ、
自分の空腹を満たすだけの食料としての弱者を取るだけであり、そ
れ以上の殺戮はしない。

植物では、お互いに助け合いながら生命を維持している。このため
、いろいろな植物が混在している森は、生き生きとして豊かなので
ある。森があるので、昆虫がいて、昆虫を食べる鳥がいて、小動物
がいて、それを食べる大型の動物がいるという食物連鎖が起きる。

この生態系の法則が自然の摂理である。この自然の摂理に従った生
活をしていると、持続可能な生活ができるのである。人間も縄文時
代までは、この自然の摂理に従い、または利用して生きていたので
ある。

焼き畑農業などは、縄文時代にできたことであるが、いろいろな自
然の摂理の法則を知ったことで、その法則を利用してより豊かにな
る方法を見つけたようである。森をそのままにするより、木を切っ
て、太陽光を入れたほうが、より森の生産性が上がり、生物の多様
性も高くなる。

そのため、より多くの食料を得られると見たし、人間の生活に必要
な物を作るのに、その植物の生育を整えて、多様な環境を作り生育
を早めたのである。

この環境を維持するために、いろいろな掟を作り、しかし、その掟
を守れるように、神様を登場させて、掟を破ると神様に怒られて、
祟られるということにしたのが自然神道である。

しかし、徐々に、この自然神道を蔑ろにする人間が出てきて、自然
の摂理は現在、完全に返り見られなくなってしまった。

しかし、それでも大きな自然の摂理が働いていて、人間の貪欲な富
の追求を大きく覆すことになる。それは温暖化であり、食糧不足で
あり、資源不足であり、何か(戦争、核事故)が起こり、人間に罰
を与える可能性が高まっている。

今、我々は自然の摂理を理解して、その範囲で如何に豊かでありな
がら、持続可能な生活が維持できるか、真剣に追求することが必要
な時代なったのである。それもなるべく早くその仕組みを確立する
ことが必要なのである。そうしないと、早くて2030年までに悲
劇が起こると予想されている。ローマクラブの「成長の限界」が1970
年に出たが、その予想通りに進行していると学者が警告している。

しかし、自然は、人間が必要なので生み出したのである。自然の摂
理の法則は、生物多様性を益々多様化させる営みを支援する仕組み
がある。この自然の仕組みを利用して、人間は、里山、里海、里地
を生み出した。この人間と自然が共生して、生物多様性を増してい
けるし、環境の改善に役立っている。ということで、人間には意味
があるのだ。

瀬戸内海での赤潮の発生がなくなってきたが、この赤潮の富栄養化
を抑えたのが、牡蠣の養殖であり、海がきれいになったことでアマ
モ生育の環境ができ、アマモが生えたことで、魚やエビ、カニの産
卵場所ができた。このことで、生物多様性が確保出来始めている。

人間も牡蠣を食べられるメリットがあるというように、自然は生物
多様化の見返りを人間に与えるのである。

このように人間が自然の摂理の法則を知ることで、より豊かな多様
な生物が生きれる環境ができて、その一部を人間が食料にできると
いう循環が成立できることになる。

針葉樹は広葉樹、常葉樹に比べて、生物多様性が少ないので、環境
が良い所では、広葉樹や常葉樹に置き換えられる運命にある。それ
を人間が無理やり、針葉樹の方が生育が早いと広葉樹、常葉樹が本
来生えるところに、無理して植えるが、花粉症などの問題を起こし
、生物多様性が少ないために、人間が手入れをする必要が出る。

このように、自然の摂理である生物多様化を阻害すると、苦労が大
きく、実入りが少ないことになる。

人間は自然の摂理に従った生活の方が豊かになり、かつ戦争もない
寛容な世界になるのである。戦争は食料などが不足して、それを他
者から奪おうとして起きるのであるから、そのようなことがなけれ
ば、起きることはない。

縄文時代に戦争がないのが大きな証拠である。

そして、日本人は農耕民族であり、自然の摂理を一番最初に気づけ
る民族である。このため、日本でまず自然の摂理に基づいた経済体
系を確立して欲しいものである。

そして、それを持って、世界に広める使命を持った民族である。

やっと、その機運が成熟したように感じる。

私も、その使命を果たしたいと思っているところである。



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