4955.人間の魂の構造と鍛え方



日本古代史や近世史を見ると、仏教、神道、儒教の3つの宗教が渾
然一体として、日本人の魂を作り上げたことが分かる。そして、3
つは役割分担が違うことが分かる。

人間の魂の構造は、まず一番下に無意識界がある。その無意識界は
、根源的な人間としての生きるための能力であり、その原理は自然
の摂理に従ったことになっている。動物や原始人はこのため、自然
の摂理に従順なのである。

この無意識界の上に、意識可能界と意識界があり、呼吸などは意識
できるし、無意識でも呼吸はしている。その上に目や鼻、口などを
用いた意識化できる分野がある。この部分から上が人間の欲が出て
くる分野でもある。

この上に文化とも言う常識や習慣があり、最上階には概念や思想が
ある。という構造で人間はできている。

仏教は、この一番下の無意識界を意識化する手法であり、その結果
、神とも言える自然の摂理に接近しようとする宗教である。

神道は、環境と人間の関係を調整するための宗教であり、意識界と
常識、習慣で人間の欲を抑えようとした。このため、すべての生き
物を神として捉え、自然の摂理を意識的に認識させる宗教である。

儒教は、王様と部下間や人間と人間との間の礼儀作法を規定して、
社会を安定させるためにある規律である。本来は仏教にも戒律があ
るが、その教えが日本には入らなかった。その部分はすでに神道が
担っていたからであろう。

社会秩序は文化的な物で、それを必要とする時代は、平和が確立し
た社会であり、そのため、儒教は江戸時代に庶民まで浸透したので
ある。

というように最後に必要になるのが規律であり、儒教なのであろう。

とこのように見ると、人間の欲望を抑える役割は神道が請負い、仏
教は、魂の修養であり、社会規律を儒教が請け負ったのである。

今後、道徳が重要な科目として位置づけられるが、その時、どのよ
うな項目を教えるか、それが一番問題である。

日本社会の安定だけではなく、心の問題や自然の摂理などの分野も
教えて、バランスの取れた科目としてほしい物だ。



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