3861.上座部仏教



1.歴史
釈迦の没後、約500年を経て、弟子達の間で教義や実践を巡る『
根本分裂』が起こり、原始仏教(初期仏教)の仏教教団は、大乗仏
教、上座部仏教)に分かれた。
出家して厳しい修行を積んだ僧侶だけがさとりを開き救われ、修行
をしたわずかな人しかが救われない。このため、一般の人々は救わ
れないというのが、釈迦の没後、長い間この思想が定着した。この
思想を遵守しいたのが上座部仏教である。
上座部がさらに分派したが、説一切有部が大きな勢力になり、現時
点の上座部仏教はこれになる。

上座部仏教はマウリア朝アショーカ王の時代にインドから主に南方
のスリランカに伝播した。スリランカ王デーヴァーナームピヤティ
ッサ(前250−210年在位)は王都アヌラーダプラに後世「大寺」と
いわれる寺院を建設した。その後、5世紀に入って、スリランカの外
からブッダゴーサという僧が大寺にやってきた。彼はパーリ語で『
ヴィスッディマッガ』という書を著すと共に、シンハラ語に翻訳さ
れていた古注釈をもとにパーリ語の仏典注釈を作成した。彼の活躍
により以後上座部仏教の著作はパーリ語で書かれるようになった。

ミャンマーは古い時代からインドと交流があり、上座部を含めて様
々な仏教が伝わってたが、11世紀のアノーラータ王の時、上座部は
王の信奉を受け盛んになる。スリランカ王ヴィジャヤバーフ一世(
1055−1110年在位)の時代にはミャンマーからスリランカへ、15世
紀にはスリランカからミャンマーへ上座部が互いに移植しあい、結
果スリランカの大寺派に統一された上座部がミャンマーに伝わる。
17世紀には二度ミャンマーからスリランカへ上座部が逆移入されて
る。

タイにも11世紀に上座部は伝わるが、スリランカの大寺派上座部が
伝来したのは13世紀半ばだ。そして14世紀末までには、タイの諸王
に保護され、タイは大寺派一色になった。タイからも18世紀にスリ
ランカへ上座部の逆移入がなされた。カンボジアは、インド文化の
影響をうけヒンドゥー教や様々な仏教が伝わったが、 14、5世紀に
タイの侵攻を受けて大寺派の上座部が伝来し、次第にそれ一色にな
った。ラオスも同様にタイのバンコク朝に支配されて大寺派上座部
が盛んになった。 

そして、日本へは鑑真和上という方が携えてきた仏教を、律宗とい
うが、これは上座部仏教とほぼ同じものだったはずだ。が、日本で
は律宗は広まることはなかった。

2.修行方法
ヴィパッサナー瞑想は、上座部仏教の観行瞑想のことである。
仏教において瞑想(漢訳「止観」)は、サマタ瞑想(止行)と、ヴ
ィパッサナー瞑想(観行)とに分けられる。前者が心を静めること
を中心とし、仏教以前にもインドにおいて広く行なわれてきた瞑想
方法であるのに対し、後者では観察することを中心とし、釈迦が新
しく開拓しそれによって悟りを開いた仏教独自の瞑想方法とされる。

ヴィパッサナー瞑想は、「今という瞬間に完全に注意を集中する」
ということである。何をしていても「今・ここの自分」に気づいて
いく。この「気づき」(サティ)が、この瞑想のもっとも大切な技
術である(したがって、「気づきの瞑想」とも呼ばれることがある
)。このようにして自分を客観的によく観ていく実践によって、心
を成長させることを目指すのである。


いつも自分があるところが、説一切有部である。自分がどう思うか
が重要ということである。

これに対して、大乗仏教は自分を無にすることで、説一切無である。


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