3290.きまぐれ読書案内 宮城賢秀著「辻政信と消えた金塊」



きまぐれ読書案内 宮城賢秀著「辻政信と消えた金塊」(学研M文庫)

 昨日は、久々に読書会が新橋であり、小さいけれども何故か魅力のある書店の
ことを唐突に思い出し、立ち寄らなければという思いにかられた。数年前に二、
三度立ち寄っていい本屋だなと思った記憶があるだけで、場所もおぼろげにしか
覚えておらず、トミタ・ブックスという名前すら知らなかった。一階は雑誌と新
書、二階は文庫が中心の、本当に小さな本屋さんなのだけど、趣味がいいという
か、並べてある本が、あるいはその並べ方が不思議と色っぽいのだ。

http://www.minato-ala.net/s_company2/company/0023.html

 しかし、なぜこの本屋に来なくてはならなかったのか。一階を見渡して、光文
社新書でインド仏教界の指導者である佐々井秀嶺上人の伝記、山際素男著「破天
 一億の魂を掴んだ男」が並んでいることを確認した。この本は、南風社という
出版社から2000年に出版されたのだが、なぜかすぐに絶版になった本。非常に面
白い破天荒な内容。先週黒須先生たちと山梨でお寺を訪ねたときに、佐々井上人
も山梨で修行したことを思い出したので、そのお寺が我々の訪れたお寺と同じか
どうかをペラペラとめくって確かめたところ、違っていた。非常によい本ではあ
るが、図書館で借りて一度読んでいるので買わずに二階に上がった。

 文庫コーナーの平積みを物色していて見つけたのが宮城賢秀著「昭和戦後暗闘
史 辻政信と消えた金塊」(学研M文庫, 2009年4月28日発行、税別705円)だっ
た。今日、一気に読み上げたが、昭和23年9月におきたいくつかの事件を掘り起
こした小説である。どうしてこの本が面白いかというと、あとがきに書いてある
ように著者の自分史と重なる部分があるからだろう。この本には怪しげな本のよ
うに見せかけながら、実は真実を伝えようとしているのではないかと思わせると
ころがある。驚いたのは、辻政信は戦後たくさんの本を書き残しており、それが
参考資料として使われていること。この小説の中で辻はほんのわずかなシルエッ
トしか登場しないが、なぜか不思議な魅力を感じた。


得丸公明

PS かつて「COVERS」のテープをもらって、反原発ソングとしてのLove Me
Tenderとか黒く塗れとか、何度も聴いた記憶がある。ひさびさになつかしく聴い
てしまった。「イマジン」とか「傘がない」ももいい。

http://www.youtube.com/watch?v=q0cmuaNgf8s

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在日韓国・朝鮮人のゼミに入っていたことがあります
From: "Kimiaki Tokumaru (得丸公明)

皆様、

韓国の本って何があるだろうかと自宅の書棚とネットで探していて思い出したの
が、僕は大学5年(留年)のとき、在日韓国朝鮮人の人権についてというゼミに
参加していたのでした。小平の朝鮮人大学校を訪問したり、佐藤勝己さんのお話
を伺ったりしました。ゼミに学外から北朝鮮籍の学生さんが出席していました。
別にレポ役をしていたわけではないのでしょうが。

そのゼミは日本における在日の法的地位が中心でした。あとサハリン棄民(サハ
リンからの帰国船に日本国籍の人しか乗せなかったので、朝鮮人はそのままソ連
に居残ることになった)のことも扱いました。1982年当時はまだ「凍土の共和国
 北朝鮮幻滅紀行」(1984年)も出版されていなくて、拉致問題も話題になって
いなかったので、北朝鮮がそんなにひどい国であるということも、話題にならな
かったです。

日本社会は南北朝鮮という元植民地の隣国のことをほとんど気にしていなかっ
た。今もいないか。これは米ソが植民地を引き継いだから、権益を奪われたから
でしょう。英連邦やフランス語圏のアフリカ諸国と旧宗主国の関係とは違いますね。

38度線のもつ意味については、藤原ていさんの「流れる星は生きている」の中
で、昭和20年8月15日以降、ロシア兵が国境警備をしていて、日本人は通過させ
たが、朝鮮人は国境を通過させなかったといった記述があったと思います。これ
こそが米ソによる植民地承継の証拠になると思います。これまで韓国人に会うた
びに、38度線はいつできたか知っているかと聞いたみたところ、この事実を答え
られた人は皆無に近かった。南北朝鮮の建国は8月15日の植民地分割に始まるの
だけど、歴史の抹殺によってその原点を隠蔽しているのでしょう。そして、日帝
36年という恨が強調されるのも、戦後の米ソによる植民地支配をごまかすため。

1986年のチェルノブイリ原発爆発、ペレストロイカのあと、北朝鮮は宗主国なき
植民地として暴走する植民地になったのだといえないでしょうか。これは西欧社
会も受け入れなかった南ローデシアの1965年の一方的独立宣言を、北朝鮮の場合
には世界が受け入れたということにならないでしょうか。東アジアの歴史は、ア
フリカほども注目されていないということになりますか。

とくまる


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