3281.日本武道の人類史的意味について



現代という芸術 --- 日本武道の人類史的意味について

日本的霊性を磨くとき - 武道の人類史的意味をめぐって 

人類の誕生から人間の完成までの長い道のり

 人類とは、音声コミュニケーションのデジタル化に成功した原人
、ホモ・サピエンス・デジコムである。このデジタル通信への進化
は今から7万年前に、南アフリカの洞窟の中で突然変異的におきたの
ではないかと私は考えている。

 突然変異とは、免疫の抗体において親和性成熟として知られてい
る現象に近い。成熟中の中枢神経細胞内で、遺伝子がランダムに組
み合わさることで細胞の多様性の度合を桁違いに高め、外部からの
刺激に最適な細胞を見つけだすという仕組みだ。こうして環境に最
適化して生まれる神経細胞が、デジタル符号処理や符号語記憶に携
わり、人類は言語を使えるようになったのだ。

 デジタル符号を使った通信は、きわめてデリケートで複雑な内容
を表現できるほか、自由気ままに新しい符号を作り、場合によって
は符号と意味の対応関係を一時的に変えることすらできる。デジタ
ル化によって人類は、符号語(シニフィアン)と意味(シニフィエ)
のセットである概念を使うようになり、無限に増やすことのできる
符号語を使って地球上のみならず宇宙にあるありとあらゆるものに
命名し、それらを我がものとして使うことによって科学や文明を発
展させた。

 この延長上に、21世紀の人類を奈落へと突き落とす地球環境危機
が生まれたことはいうまでもない。それはデジタル言語に内在する
構造欠陥によるものでもある。

 デジタル言語の構造欠陥とは、それを使うものの中枢神経内部に
、自我意識というものを生み出し、自我意識が自分の心(性善)を裏
切れるようになったことだ。気の置けない家族や友達との会話はよ
いが、そうでない他人とのデジタル符号の交換は、どこまで本当の
ことを語ってよいのか、相手の言っていることはどこまで本心なの
かといった、腹のさぐりあいをしなければならない。だから疲れる
のである。

 天真爛漫な生まれたままの子ども心でいれば、自然を傷つけ破壊
することもなかったであろうに、人間が一番偉いとか、人間がすべ
てを所有するといった誤った教育を受けて、間違った行動や判断を
とるようになった。人間は言語によって罪深い存在となり、宇宙の
法則から乖離していったのだ。

 もはや人類は滅びるのみで、何の希望もないのだろうか。

 私はそうは思わない。5万年前にアフリカ大陸を離れてユーラシア
大陸に広がった人類は、日本列島にたどりついたあと、修験道や武
道といったさまざまな修行の道をあみ出した。日本人は、一心不乱
に修行することで、自らが神であることに気づき、言語の呪縛を断
ち切って霊性を高めることに成功してきた。

 21世紀社会は経済成長が止まって、物質的欲望や地位や名誉など
に駆り立てられることが少なくなった。今こそ武道の人類史的意味
に気づき、自ら武道を実践して霊性を磨いて、自らの本性が善であ
ることに気づき、神となることをめざすべきときであろう。

得丸公明
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きまぐれ読書案内 宮城賢秀著「辻政信と消えた金塊」(学研M文庫)

 昨日は、久々に読書会が新橋であり、小さいけれども何故か魅力のある書店の
ことを唐突に思い出し、立ち寄らなければという思いにかられた。数年前に二、
三度立ち寄っていい本屋だなと思った記憶があるだけで、場所もおぼろげにしか
覚えておらず、トミタ・ブックスという名前すら知らなかった。一階は雑誌と新
書、二階は文庫が中心の、本当に小さな本屋さんなのだけど、趣味がいいという
か、並べてある本が、あるいはその並べ方が不思議と色っぽいのだ。

http://www.minato-ala.net/s_company2/company/0023.html

 しかし、なぜこの本屋に来なくてはならなかったのか。一階を見渡して、光文
社新書でインド仏教界の指導者である佐々井秀嶺上人の伝記、山際素男著「破天
 一億の魂を掴んだ男」が並んでいることを確認した。この本は、南風社という
出版社から2000年に出版されたのだが、なぜかすぐに絶版になった本。非常に面
白い破天荒な内容。先週黒須先生たちと山梨でお寺を訪ねたときに、佐々井上人
も山梨で修行したことを思い出したので、そのお寺が我々の訪れたお寺と同じか
どうかをペラペラとめくって確かめたところ、違っていた。非常によい本ではあ
るが、図書館で借りて一度読んでいるので買わずに二階に上がった。

 文庫コーナーの平積みを物色していて見つけたのが宮城賢秀著「昭和戦後暗闘
史 辻政信と消えた金塊」(学研M文庫, 2009年4月28日発行、税別705円)だっ
た。今日、一気に読み上げたが、昭和23年9月におきたいくつかの事件を掘り起
こした小説である。どうしてこの本が面白いかというと、あとがきに書いてある
ように著者の自分史と重なる部分があるからだろう。この本には怪しげな本のよ
うに見せかけながら、実は真実を伝えようとしているのではないかと思わせると
ころがある。驚いたのは、辻政信は戦後たくさんの本を書き残しており、それが
参考資料として使われていること。この小説の中で辻はほんのわずかなシルエッ
トしか登場しないが、なぜか不思議な魅力を感じた。

得丸公明
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天皇賞の馬身通過時間

 かつて5月3日は、憲法のことについてあれこれと考える日であ
ったが、今年はまったく何も考えなかった。
 言語学や情報理論を学ぶと、ヒトの言語で定められた法について
考えたり、語ることが、いかに空しいことであるかを知る。もはや
憲法については、考えること、語ることが、なんとなく無駄に思え
てくる。

 むしろ今日私が考えたことは、マイネルキッツが競馬の天皇賞で
優勝したことだ。
「中央競馬の139回天皇賞・春(GI)は3日、京都競馬場の芝
3200メートルに18頭が出走して行われ、単勝12番人気のマ
イネルキッツが3分14秒4で優勝し、重賞初勝利をGIで成し遂げ
た」そうだ。
 この馬の体長が正確にどれだけか知らないが、競馬では一馬身は
2.4mだという。
 すると、3200mを194秒で駆け抜けたマイネルキッツの鼻
がゴールを通過してから尻尾が通過するまでの時間はどれだけにな
るだろう。 
  まず馬の秒速を求め、3200 / 194 = 16.5 m/s その速度で一馬身
の距離を駆け抜けるのに必要な時間を求めると、  2.4 / 16.5 = 0.15 秒
 もちろん文明も競馬も、初速と最終速度では最終速度のほうが速
いだろうから、平均速度16.5m/sではなく、最高速度である20m/sを
使って求めるべきかもしれない。そうすると、2.4 / 20 = 0.12秒と
なる。
 馬は一瞬のうちにゴールするように見えて、鼻から尻尾までがゴ
ールを通過するのに0.15秒あるいは0.12秒かかっていることがわか
る。

 さて競馬の全コース走行にかかった194秒と、馬身がゴールを
通過する時間0.15秒(0.12秒)の関係をひとつの参考とし
、人類文明を7万年とした場合に文明が終焉に到達してから、崩壊
し終わるまでに何年かかるかを計算してみよう。
 これは、0.15 / 194 x 70000 (= 52.5) または0.12 / 194 x 70000
 (= 43.3)で求めることができ、52.5年あるいは43.3年という数字が
出てくる。
 今われわれが文明の崩壊の真っ只中を生きていると考えるのは、
意外と的を得ているかもしれない。

得丸公明(2009.5.3)
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得丸さん

数値の追求には溜飲が下がる想いです。エヴァリスト・ガロアと呼
ばれた男がある時から数値が無機化して行き、
長いトンネルの後、もう数値のデジタルに戻れない、此れも運命か
なと。

しかし、これを如何したら此れからの生に転化できるか。

あの6年の暗黒の後、川崎の小向厩舎で、泥にまみれながら自転車
を漕いでいたとき、早朝から起きて寒い朝にも、雨の日にも小柄な
体つきの騎手、名前から推して鹿児島弁で話しかけて親しくその後
、競馬のことを聞いた日を思い出しました、彼によると馬の速さを
見るのは足首の括れを見るのだとか、もう忘れてしまいましたが。

得丸さんの説かれる「進化」でしょうか。しかし、人間の射幸心の
根源は何処に有るのでしょうか、脳のある部分の興奮が見える気が
します。

明日の、こどもの日、今の日本の子どもは何を喜ぶのか、その何パ
ーセントかは社会の基準では量れない所に向かうのでは。

時として貴種は吉野の桜にもなり、人を楽しませる物にもなり、存
在の価値があると、他者を通してですが、評価が出るのでしょう。

ラボで谷川雁が「表彰制度を如何考えるか」を提案して、考えさせ
ています、彼はラボを離れ、その後、そのことに触れることなく逝
きましたので。応用問題を解く気分です。

ともあれ、時候良く、楽しい時間を、皆々様へ。草々

浅山
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浅山さん、
>
> 「進化」でしょうか。しかし、人間の射幸心の根源は何処に有る
>のでしょうか

いえいえ、私は競馬の射幸心も賭博性もまったく興味はありません。

私が競馬の話をしたのは、単純に、馬の鼻がゴールに達したときに
レースは終って、それから馬の尻尾がゴールを過ぎるまでに十分の
一秒以上かかっているということを言いたかったのです。

そして、その0.12秒というものを、人類の歴史にあてはめて考えて
みたのです。

人類がデジタル通信システムである言語を生み出したのが今から7万
年前の出来事だとして、文明を7万年だと考えると、その文明が終焉
を迎えてから、崩壊しつくすまでに40年以上かかるかもしれない。

そして、今我々が生きているこの時代は、競馬でいえば、鼻先は
ゴールを通過したが、尻尾はまだゴールに達していない時間、
レースは確かに終ったのに、まだ終ったという認識が共有されて
いない一瞬の時間の一部であるということです。

得丸


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