3268.日本文明力と中国文明力の比較



米国は時価会計を緩和したが、今後の経済的な中心はアジアに移っ
てくる。しかし、アジアでも東アジアは経済共同体として纏まるこ
とになり、そこでの指導国は中国、日本がなる。果たしてEUでの
ドイツとフランスのような関係になるのか心配であるが、日中は文
化は同じである。この検討。      津田より

0.はじめに
 米国が日本や世界に押し付けていた関係上、禁止手としていた時
価会計の緩和を打ち出した。これは米国の実体経済が悪化して、証
券化商品の損失と消費者金融やクレジットカード、企業貸出債権の
不良化が進行して、2種類の損失を計上すると銀行の国際基準であ
る自己資金比率8%が必要という基準が守れないことで、19の米主
要金融機関に対する健全性審査で衝撃が走ったのではないかと見て
いる。苦し紛れに証券化商品の損失を隠してしまう時価会計の緩和
、時価会計の破棄を打ち出さざるを得ないことになったようだ。

証券化商品の価値を買入価格に戻し、損失部分をゼロにすると金利
分がプラスになる。このようにして1−3月シティーの決算は黒字
化したが、証券化商品が売れない、価値ゼロであるということは変
わらないので、資金が行き詰り、米国の地方銀行はどんどん倒産し
ている。現時点、1月から4月中で2008年全体の破綻数と同じ
24行がすでに破綻している。

また、米国の実体経済は底には達していない。日本や中国と違い、
鉱工業指数はまだ下落しているし、失業率も増加している。それに
対する日本のような経済雇用対策がないために、失業が毎月60万
人以上も増えている。失業率が8.3%になり、U−16では16
%にもなっている。まだ失業率は上がると米政府高官も認めている。
そこが日本とは大きく違う。

これに対して、中国の約4兆元の財政出動が効果を上げてきている
。鉱工業生産指数が上がり、中国での日本企業の景況感も上昇して
いる。日本人経営者の意識調査でも景気が上向いているという率が
増えている。中国の統計がおかしいという人がいるので、日経が独
自に調査した結果でも景気回復は確実のようである。

中国の沿海部と内陸部での格差が問題になっていたが、今は内陸部
の成長率のほうが沿海部の成長率より高いので、格差は相当緩和さ
せると見る。

自動車販売も中国、インド、ブラジルで増えているので、この3ケ
国が世界の経済成長を引っ張ることになる。この中でもGDPが大
きい中国の成長率が高いと規模があるために、日本などに良い影響
がでてくる。日本は証券化バブルに組していないことと、中国やイ
ンドの近傍にいるために良い影響を受けることになる。特に自動車
販売の増加で日系メーカは大きく利益を上げることになる。

中国、韓国、日本の有識者が会合でIMFのアジア版を作ろうと提
言している。今まで、米国の反対で実現しなかった東アジア共同体
も米国の力が落ちて、実現可能になっている。

この東アジア共同体ができると、世界の工場を全て包括しているの
で面白いことになると思う。このようにやっとアジアの時代が来る
ことを実感できるようになった。

この時、中国と日本が同一性の高い文化であるが、今までは反発し
ていたこともあり、どうなるか心配である。

日本文明と中国文明の比較を考えながら、今後の日中関係を検討し
ようと思う。お付合いのほどをお願いします。

1.日本文明の由来と中国文明
 日本の思想は、インドから出た仏教と中国から出た論語の2つか
ら成り立っている。論語は導入されたが、日本人の文化で大きく変
容している。仁、礼、信、忠、孝、義などと論語は多様な価値観を
示しているので、その時々の社会情勢で価値観の優先順位が違って
いる。これが孟子、近思録、朱子学や陽明学などいろいろな学派が
出ることにもなる原因である。

日本の思想の根っこは何かというと、インドの密教が中国経由で日
本に入り天台密教ができて、その天台密教が摩訶止観を密教から作
り、無限の繰り返しの動作が座禅と同じような修行になるとしたこ
とである。江戸時代の鈴木正三が農作業も無限の繰り返しの動作で
あるから仏行であるとした。この発展系が石門心学になる。石門心
学は商業も繰り返しの作業をしているから、論語などに書かれた良
い行いをしていることで仏行と同じようになるというのだ。ここで
、仏教と論語が結びついて、1つの体系に昇華している。

中国では唐時代は密教が流行ったが、唐後の混乱期に密教は無くな
る。インドでの密教もなくなり、現在チベットと日本しか密教は残
っていない。

そして、石門心学をベースにして、二宮尊徳の報徳思想が生まれる。
「勤労」、「分度」と「推譲」の三原則を基本としている。松下幸
之助の教えもこのライン上にある。

というように日本は中国やインドから来た思想を自分の物にして、
昇華させた。しかし、中国は論語を文化大革命で徹底的に破壊し、
その後長いこと論語を認めなかったことで、論語やその流れを汲む
思想全体が失われている。膨大な知の遺産を捨てている。このため、
中国には密教もなく、論語も無い状態である。しかし、中国は4千
年の歴史を誇っているが、このように、その歴史で大切な伝統文化
の多くを失っているのだ。

たとえば、茶道も中国から来たが、中国では茶道をする者がいない
ために廃れていたが、日本が茶道の伝統文化を保持することになっ
ている。禅も慧能が開いたが、道元と栄西が日本に持ち帰り、日本
で禅の理論を確立して、日本から世界に禅を広めている。

というように、中国は王朝が変わったときに、それまでの文化を根
絶やしするために、伝統文化が伝わらず、中国の前王朝の貴族や文
化関係者が日本に亡命して来て、日本の文化が一層厚みを増すこと
になっていた。その良い例が五山文化であり、宋の王朝が元に滅ぼ
されて、その貴族たちが日本に亡命してできた文化が五山である。
水墨画や書院作り、庭などがそれである。日本文化として京都や鎌
倉にあり、日本文化の真ん中にある。それも中国からの伝播が元に
なってできたのだ。

2.中国文化の再興は日本人の手で
中国は簡体漢字になり、このため、中国の古来の書物も中国国内で
は読める人が少ないし、いろいろな論語の考え方を知らない。これ
は共産党政府が伝統的な価値を破壊したことで、中国人研究者は
その研究をすると身の危険を覚悟する必要があり、孔子の子孫は日
本に逃げてくるしかないような事態であったから、誰も論語を研究
できなかった。そして、論語の学識を持った学者が死んでいなくな
った。今頃になって、論語を復活するといっても論語研究者は日本
や台湾にしかいない。

それを今になって、中国文化を日本が正統と認めないと文句を言う
こと自体がナンセンスである。中国文化を無くしたのは共産党政府
であり、自分たちの行為を反省して、中国文化を再興するので、日
本の協力を得たいという依頼を日本人に行うことが必要であり、
現在の中国人が現在風の自己流で行った流儀を、日本人が中国4千
年の伝統文化とは違うというと文句を言っている。

和服を、すこし前までは呉服と言っていたことを思い出してほしい。
呉服とは中国の呉のことであるから、三国志の時代考証では英雄た
ちは呉服を来ている必要がある。和服を着ている必要があるのだ。
それを今の中国服を着るために、おかしいというと、中国人は、そ
れでは日本ではないかというが、その時代がそうであったのだとい
うしかない。

中国の4千年の歴史や伝統文化は、中国ではなくて、このように日
本で継承されているのである。このために、日本文化は文化的に深
みがあり、文化が重曹に絡むついて、面白いのである。その面白い
ことがマンガという形で世界に出て行っている。欧米では中国4千
年の歴史があるので中国文明を高く評価しているが、大きな誤解が
あるようだ。

3.日本文明の再興
 中国は伝統を捨ててきた文明であり、日本は伝統を拾ってきた文
明である。文明力が違う。日本文化には、文化の厚みと文化の多様
性があり、その中で中国文化でできた論語なども徹底的に学び、そ
の価値を体現している。このため、日本人は信義のレベルが高いが
、戦後、論語などの伝統文化を捨ててしまったことで、信義のレベ
ルがおかしくなっている。このため、早期に日本も優秀な論語学者
を育てるために論語教育を復活して、伝統文化を守ることが必要に
なっている。

文化力を高めて、欧米にも中国などアジアにもない文明を日本が確
立すると、その文明力で人は尊敬される。文明の力は伝統と新規な
文化の総合力である。この文明の力が経済力にもなる。世界の人た
ちが文化に憧れて、日本に来るとか日本人の生け花や茶道、柔道に
興味を持ち、日本に尊敬を抱くことが、経済覇権の1つの大きな柱
になる。

中国と日本は、今後競争相手になるが、その評価は経済力でも軍事
力でもない。文化力に起因することになる。日本はこのためもあり
、日本の文化力を高めていく必要があるのだ。

さあ、どうなりますか??

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日本人が「正統」と認めない中国文化―中国ブログ
2009年04月18日12時50分 / 提供:Record China

2009年4月15日、中国ブログサイト「新浪博客」が、中国で生まれた
多くの文化が日本に渡り、発祥地であるはずの中国がそれらの文化
本来の「精神」を失っている現状に対して、警鐘を鳴らす文章を掲
載した。

ブログ著者によると、たとえば尺八は、古代中国に起源をもつが、
伝承できずに失ってしまった文化のひとつだという。書道について
も、多くの日本人が現代中国の書道を「正統」とは認めず、日本の
書道のほうが優れていると思っている、と指摘する。また、かつて
中国で開かれた国際茶道文化研究会の席で、日本人の茶道家が、「
中国には茶道がない」「中国の茶道は日本に及ばない」という旨の
発言をしたとき、怒りをおさえきれなくなった中国の茶道家が、発
言者に殴りかかろうとした出来事もあったという。

著者は、日本人の中には、中国の古典「礼記」の中心思想「敬」が
根付いている、と言う。だから外来の文化であってもそれを尊び、
本来の精神を守ろうとする。そうして、結局はそれが「正統」にな
っていくのではないか。「文化の故郷とは、人と同じで、安心して
根を下ろせる場所のことではないだろうか」と著者は指摘する。

このほど、中国で三国志をもとに製作された映画「赤壁」が公開さ
れたが、観客を喜ばせるために本来の姿がゆがめられているのを感
じた著者は、「そのうち日本人は『三国志は日本で学ぶほうがよい
』とまで言うようになるだろう、と嘆いている。
(翻訳・編集/津野尾)


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