3017.葛城の里



今回、奈良と周辺を探索した。この報告をシリーズで行う。Fより

葛城、三輪(巻向)、飛鳥、西の京、東大寺、橿原神宮、熱田神宮
などに行ってきた。昔の姿を知るためには、やはり来るしかない。
近鉄と奈良交通のバスの奈良世界遺産フリーキップで3日乗り放題
を利用した。JRにも乗ったが、近鉄に比べると運行本数が少なく
不便である。

今回は葛城の里である。葛城は奈良盆地でも金剛・葛城山の高台の
地域である。近鉄御所駅からバスで風の森で降り、歩くこと10分
で高鴨神社に着く。緩い昇り道の両側は段々の水田が広がる。
そこを流れる水の流量が多い。この原因は各所にある溜池から一定
的に水を流しているためであろう。水が豊富である。これは水田に
よって重要なことである。そして、奈良盆地の全体が葦の原という
ように沼地であった。

この葛城の高台に鴨一族は縄文時代から住んでいた。そこの低地に
弥生時代中期に新羅からの圧力で朝鮮・金官国から逃げ出した葛城
の一族が移住してくる。この葛城氏の水田を見て、鴨氏も低地に降
り、水田を葛城氏に指導されて行うことになる。鴨都波神社がその
低地にある。弥生時代中期の遺跡もそこから発見されている。

葛城の一族は移住するのに、九州はその前から移住している江南の
民が居て、今の岡山の吉備にも新羅からの移住者がいて、どちらも
本国での敵であり定住は無理であり、この最果ての縄文人しか居な
い、かつ大和の沼地を避けて、ここの低地に来たのでしょうね。

神武天皇は有名な橿原神宮がある場所ではなくて、葛城の低地であ
る御所の柏原に居を構えたようだ。明治にできた橿原神宮にも行っ
たが、何かが違うと感じた。

1代神武天皇、2代綏靖天皇、3代安寧天皇の三代の妃は鴨氏の娘
である。鴨氏と葛城氏は手を結んで部族国家を形成したのだ。神武
天皇の大和平定のとき鴨一族はヤタガラスと称されて功績をあげる
が、葛城王朝は神武天皇から開化天皇に至る九代で滅びる。三輪山
麓に発祥する崇神天皇にはじまる大和朝廷に滅ぼされる。このため
、歴史がなくて欠史8代となっていると見る。

神社はある役割があった。水や水銀や木、気などの資源を抑えるこ
とであるとYS氏は言う。そして、この高鴨神社を入ると溜池が境
内の中にある。それも相当深い池である。そこから水を流している。

高鴨神社はこの葛城でも相当に高いところにあるので水の水源地と
して重要である。そして、この境内には千年以上のヒノキの御神木
があり、境内の雰囲気が非常に良い。波長の長い、気持ちのいい気
が満ちている。もう1つ、山からの風が強い。風の森というだけは
ある。このため、古代の製鉄所があったとも言う。

この水源から水田に水を流していたことがわかる。この高鴨神社よ
り、高い山の中腹に高天原があり、その上に高天彦神社がある。
ここの湧き水は手が切れるほど冷たい。境内は広くないし、雰囲気
がいいわけでもないが、参道には500年を越えるヒノキが両側に
生えている。ここの神社は水源地を押さえている。

そして、日本民族が太古から神々の住み給うところと信じていた
「高天原」も、実は御祭神の鎮まるこの高天の台地であったという。 

ここは沼地ではなく、高原のような平地と水源があり水量も多い。
水はけがいいので、水田の開墾はしやすいかったはず。技術がなく
、非力な弥生人でも十分開墾できると見た。


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