淀屋辰五郎旧邸跡の碑
淀屋辰五郎旧邸跡の碑
■淀屋个庵(言當)
よどやこあん(げんとう)

天正5年(1577)〜寛永20年(1643)

●松花堂昭乗と淀屋

2代目淀屋三郎右衛門、言當(ことまさ、げんとう)は、个庵(こあん)と名乗り、以降この名を踏襲したことから、初代は「玄个庵」といいました。
玄个庵は、7歳年上だった寛永の三筆と称せられた松花堂昭乗が催した茶会に度々招かれ、交友を深めたことが昭乗の「茶会記」であきらかになっています。玄个庵は松花堂昭乗の頼もしいスポンサーだったのかも知れません。
玄个庵が亡くなったのは寛永20年(1643年)のことで66歳でした。八幡市神應寺に闕所となった5代目辰五郎の墓と一緒に玄个庵の墓碑が建てられています。


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