●八幡を詠んだ歌

●石清水八幡宮遷座以降、多くの歌が詠まれた八幡

石清水八幡宮が男山に遷座された貞観2年(860年)以降、八幡の地はその時代の歌人たちによって多くの歌が詠まれてきました。歌からは、その時代の風景や人々の暮らしがいきいきと伝わってきます。その一端を紹介しましょう。

歌人等によって詠まれた八幡の歌

対 象作 者
男山・女郎花 女郎花憂しと見つつぞ行き過ぐる男山にし立てりと思えば
布留今道
(生没上詳)
石清水・八幡大神 松も老いまたもこけむす石清水ゆくすゑ遠くつかへまつらむ
紀 貫之
(862〜903)
石清水 岩し水松かげたかくかげみえてたゆべくもあらず万代までに
紀 貫之
(862〜946)
菱賀多 豊國の菱の池なるひしの手を取とや妹か袖ぬらすらん
紀 貫之
(862〜946)
八幡大神 八幡この国のみかどにておはしましけむこそいとめでたけれ
清少紊言
(生没上詳)
八幡大神 なほめでたきこと臨時の祭ばかりのことは何事にかあらむ
清少紊言
(生没上詳)
神功皇后 かけまくもあやにかしこしたらし姫神のみこと韓国をむけ平けて
源 俊頼
(1055〜1129)
神功皇后 たらし姫神のみことのなつらすとみたたせりし石を誰みき
源 俊頼
(1055〜1129)
神功皇后 偽の誓ならねは君か代を大たらし女にまかせてそみる
源 俊頼
(1055〜1129)
石清水 石清水なかれにうかふ鱗のひれふり行も見ゆる月影
源 頼政
(1104〜上詳)
椿坊 我そまつ入へき道に先たてて慕うふへしとは思はさりしを
源 頼政
(1104〜上詳)
石清水・八幡大神 万代はまかせたるべし石清水ながき流れを君によそへて
源 顕房
(生没上詳)
石清水 石清水なかれに浮ふ鱗のひれふりゆくも見ゆる月かけ
源 頼政
(1104〜1180)
石清水・八幡大神 石清水きよき流れの絶えせねば宿る月さへ隈なかりけり
能蓮法師
(生没上詳)
石清水 ここにしも湧きて出でけむ岩清水神の心を汲ねもしらばや
増基法師
(生没上詳)
石清水・八幡大神 嬉しとも中々なれば石清水神ぞ知るらむ思ふ心は
平 忠盛
(1096〜1153)
石清水 万代に千世を重ねて八幡山君を守らん吊にこそありけれ
藤原俊成
(1114〜1204)
待宵小侍従𦾔跡 琴の音に涙をそへて流すかな絶なましかはと思ふあはれに
西行法師
(1118〜1190)
石清水・八幡大神 石清水たのみをかくる人はみな久しく世にもすむとこそ聞け
源 頼朝
(1147〜1199)
石清水 源は同し流れそ石清水せきあけてたへ雲の上迄
源 頼朝
(1147〜1199)
石清水 石清水神の心のすみしよりかげをならべて立てる松かな
慈円(慈鎮)
(1155〜1225)
石清水 都ちかき宮井をみれは石清水猶古さともすみまさりける
慈円(慈鎮)
(1155〜1225)
八幡 八幡山松かげすずし石清水夏をせきてや跡をたれけむ
藤原家隆
(1158〜1237)
男山 數ならぬ我身はふりぬ男山老せぬ宮もあはれかけなん
藤原家隆
(1158〜1237)
石清水 秋をへて幾世かやとる石清水照しかはせる住江の月
藤原家隆
(1158〜1237)
石清水 ちりもせじ衣にすれるささ竹の大宮人のかざすさくらは
藤原定家
(1162〜1241)
男山 よろづ代の声しきるなり男山ねざす二葉の松のしげみに
藤原定家
(1162〜1241)
男山 男山さしそふ松の枝ごとに神も千年をいはひそむらむ
藤原定家
(1162〜1241)
石清水 石清水月には今も契をかん三たひ影みし秋の半を
藤原定家
(1162〜1241)
男山 をとこ山よろずよかけてたねしあればきみがためしにおひあひの松
源 家長
(生年上詳〜1234)
男山 八はた山神の伐けん鳩の杖老てさかゆく道の為とて
源 家長
(生年上詳〜1234)
八幡 八幡山西に嵐の秋吹けば川波白き淀のあけぼの
九條良経
(1169〜1206)
石清水 君がため長閑にすめる石清水千年の影やかねて見ゆらむ
飛鳥井雅経
(1170〜1221)
男山 祈りこししるしあらせをとこ山岩根もまつのおふるためしに
藤原範相
(1171〜1232)
八幡 八幡山跡たれそめししめのうちに猶万代と松風ぞふく
後鳥羽院
(1180〜1239)
八幡 石清水すみける月の光にそ昔の袖を見る心地する
後鳥羽院
(1180〜1239)
男山 おとこやまうごきなきよにいくちたび花さへはるをまつのゆくすゑ
藤原秀能
(1184〜1240)
男山 猶てらせ世々に變らす男山あふく嶺より出る月影
源通光
(1187〜1248)
八幡山 八幡山さかゆく嶺は越果て君をそ祈る身の嬉しさに
源通光
(1187〜1248)
男山 八幡山木だかき松のたねしあれど千とせの後もたえじとぞ思ふ
源 実朝
(1192〜1219)
男山 八幡山木だかき松にゐるたづのはね白砂にみ雪ふるらし
源 実朝
(1192〜1219)
八幡山 飛かける八はたの山の山鳩の鳴なる聲は宮もととろに
源 実朝
(1192〜1219)
男山 男山みねのさくらにもろ人のかざしの花をたぐへてぞ見る
源 兼昌
(生没上詳)
八幡 やわた山もみぢをぬさとたてぬきににしきおりかくなが月のころ
藤原為家
(1198〜1275)
男山 をとこ山けふの子の日の松にこそきみ君が千とせのためしをもひけ
藤原為家
(1198〜1275)
石清水 神垣や影ものとかに石清水すまむ千とせの末そ久しき
藤原為家
(1198〜1275)
狐河渡 とにかくに人の心の狐河かけあらはれむ時をこそまて
藤原為家
(1198〜1275)
石清水・八幡大神 いはし水きよき心にすむときく神のちかひは猶もたのもし
後嵯峨院
(1220〜1272)
石清水・八幡大神 いはし水にごらじとおもふわが心人こそしらね神はうくらむ
天台座主道玄
(1237〜1304)
石清水・八幡大神 石清水絶えぬ流れは身に受けつわが世の末を神にまかせむ
亀山天皇
(1249〜1305)
男山・八幡大神 さきまさる花にぞみゆる男山神のうけける君が御幸は
藤原為世
(1251〜1338)
石清水 石清水なかれのすゑをうきつきて絶すそすまん萬代までも
伏見院
(1265〜1317)
八幡大神 九重の桜かさしてけふはまた神につかふる雲のうへひと
後醍醐院
(1288〜1339)
石清水 たのむかな我みなもとの石清水流の末を神に任せて
足利義満
(1358〜1408)
八幡山 八幡山にてなけや鹿なかすは皮をはきの坊
宗祇
(1421〜1502)
八幡山 かかみかなおつとは見れと音なしの瀧もととろに袖は流れて
木下長嘯子
(1569〜1649)
男山 沓音もしずかにかざす桜かな
荷  兮
(1647〜1716)
男山 新月やいつをむかしの男山
其  角
(1661〜1707)
石清水八幡宮 丸盆に八幡みやげの弓矢かな
太  祇
(1709〜1771)
男山 薮入や鳩をめでつつ男山
与謝蕪村
(1716〜1783)
男山 寒月の額に近し男山
暁  台
(1732〜1792)
男山・淀川 をとこやま峰さしのぼる月かげにあらはれわたるよどの川舟
香川影樹
(1768〜18881)
男山 八幡山やまびことよめ氏人の桜かざして神まつりせり
高畠式部
(1784〜1843)
男山 いちじるき神の御稜威の雄徳山調べも高き峰の松風
大田垣蓮月
(1791〜1875)
男山 男山仰ぎて受くる破魔矢かな
高浜虚子
(1874〜1959)
紅葉寺・吉井勇 まさきくて越の国より帰り来し我が風流士は紅葉寺に棲む
川田 順
(1882〜1966)
紅葉寺・吉井勇 庭のしま紅葉うづたかし蘚苔のいろを愛しむ友の掃きにけらしな
川田 順
(1882〜1966)
紅葉寺・吉井勇 もみじ葉のくれなゐよりも蘚苔の色を愛しむまでに友も老いける
川田 順
(1882〜1966)
八幡 めのかぎり菜の花さいて蝶まひて風すこしある山城の国
竹久夢二
(1884〜1934)
八幡 君をみにはるばる伊賀の山を越え山城の国にいりしたそがれ
竹久夢二
(1884〜1934)
松花堂 昭乗といへる隠者の住みし廬近くにあるをうれしみて寝る
吉井 勇
(1886〜1960)
松花堂 遠き世を戀しみ居ればいつとなく萬葉石も雨に濡れたる
吉井 勇
(1886〜1960)
松花堂 松花堂好みの露地の幾うねり郁子の雨にも濡れにけるかも
吉井 勇
(1886〜1960)
松花堂 しばらくは石の燈籠の八幡形ながめてありきわれを忘れて
吉井 勇
(1886〜1960)
松花堂 八幡なる泉之坊につたはれるこの襖絵の幽玄を見む
吉井 勇
(1886〜1960)
松花堂 昔戀ふあまりか聴こゆ古庵の戸ぬちほのかに昭乗のこゑ
吉井 勇
(1886〜1960)
女郎花塚 女郎花塚のあたりに雲雀鳴き夕日のなかを雲水の来る
吉井 勇
(1886〜1960)
女郎花塚 女郎花塚のかなしき傳説もあはれと思ひ町ゆくわれは
吉井 勇
(1886〜1960)
八幡 山城の八幡の庄に年むかへしてわれやなほ諂天戀ひ居る
吉井 勇
(1886〜1960)

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