目貫の猿" はちまんぐう  めぬき    さる
八幡宮目貫の猿

石清水八幡宮の現社殿は、寛永8年(1631)から寛永11年(1634)にかけて、三代将軍徳川家光の造営によるもので、楼門、舞殿、幣殿、外殿、正殿、廻廊からなっており、すべて重要文化財に指定されている。
楼門は、入母屋造り、檜皮葺で、左右に廻廊を出して外囲いを作り,前方に唐破風の向拝(ごはい)をつけた珍しい建築である。また、本殿は八幡造りといわれる建築様式で、外陣(外殿)と内陣(正殿)とに分かち,三間社を一間づつあけて1棟とする「11間社八幡造り」の形になっている。
建築の細部にわたって極彩色の華麗な桃山風透かし彫りが多数施されており、その数は152点にも及ぶという。そのほとんどは花鳥などをモチーフにしたものであるが、とくに西門上にある蟇股(かえるまた)と呼ばれる部分の彫刻には、猿の彫刻を見ることができる。この猿は、ある事件を境にして一躍有名になった「目貫の猿」である。
この猿、夜な夜な社殿を抜け出しては里へ繰り出し、いたずらをした。これは、余りにも彫刻が見事なため、猿に生命がや宿ったのだという。そこで、これを封じるために右目に細い竹釘を刺して、逃げ出さないようにした。そうして「目貫の猿」の伝説が生まれた。が、のちに八幡宮社殿改修の折、猿があまりにもかわいそうだと、この竹釘は抜かれ、今は刺さっていないという。八幡の里で、かわいいいたずらが起こるときは、この猿の仕業かも知れない。


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