とがのおしゃ

狩尾社
所在地:八幡市橋本狩尾
狩尾社は男山の西方、橋本狩尾に鎮座する。昭和35年春から希望ヶ丘、栗ヶ谷の宅地開発が始まり、同社の荘厳な社だけが孤立する形で残り、現在に至っている。その周囲はセメントで塗り固められた急な階段は手すりを持つ手もジワッと汗を覚えるほど急勾配であるが、こんもりとした樹木に覆われた山上の古社に、ほっと安堵する。
狩尾社は、石清水八幡宮鎮座以前からこの地にあったと伝えられているが、創立年代は不詳である。明治10年に石清水八幡宮の摂社となったが、古図に見る社は、現在のものと異なる。現社殿は慶長6年(1601)に再興・造営されたものと「八幡宮寺御造営の次第」にみることができる。それによると、発願人は清水小八良の妹お亀とあり、尾張徳川家の祖、義直の生母相応院のことで、大工は山路町甚左衛門と田中町久兵衛とある。
本殿は、三所一棟に三扉斎垣の組戸を外陣に構えて犬防とし、東西に玉垣が設けられている。
現在、橋本の西遊寺観音堂に安置されている天部形立像(伝・帝釈天像)は狩尾社の東傍らにあった帝釈天堂の本尊であったが、明治の神仏分離令により、この地を離れた。
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