豊蔵坊跡
豊蔵坊跡地図 ほうぞうぼうあと
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豊蔵坊跡

所在地:八幡市八幡高坊

 豊蔵坊は、表参道の休憩所「鳩茶屋」の少し下にありました。その大きな敷地面積や22基に及ぶ常夜燈の献納の数からも、48坊のなかにあって大きな勢力を有していたことがうかがえます。というのは、豊蔵坊は徳川家康が三河の国にいるときからの祈願所で、戦場にあっても自身の加護を祈ったと寺記や明和4年(1769)の註進記にみられます。また豊蔵坊には、家康公42歳の等身大肖像、帯劔衣冠繧繝縁茵上座像が安置されていたと伝えています。
 また、豊蔵坊は、もとは宝蔵坊といったらしく、家康が国家豊穣を祈願することから「宝」を「豊」に変えよと命ぜられたそうです。以降、祈祷の神札が関東へ献上されていました  元和年間(1615-1623)の頃、孝仍という大徳寺の僧がここに住み、松花堂昭乗に法儀を教えたといわれています。また、覚華洞信海とも号した豊蔵坊孝雄は、    本尊は阿弥陀三尊で、神殿の形を持っていたようです。
豊蔵坊でもっとも古い石灯籠は寛永3年(1626)2月のもので、もっとも新しいのは明和7年(1770)9月です。


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