石清水社

石清水社地図
い わ し み ず し ゃ
空白線
石清水社

所在地:八幡市八幡高坊

石清水社は、松花堂昭乗が住んでいた瀧本坊跡の西側にある。

八幡宮が貞観2年(860)に遷座する以前から、私たちの祖先が男山から湧き出る清泉を神として祀ったのが起こりと伝えられ、社吊もそれにちなんで付されたものである。
社前には石造りの鳥居があるが、これには松花堂昭乗の筆で、寛永12年(1635)京都所司代、板倉重宗が寄進した旨がしるされている。泉は鳥居の奥にあり、岩間から今なお清水が湧き出ている。その右側には社殿がみえる。草色の格子塀と背後を崖に囲まれた社殿の朱塗りが映える。石清水社の祭神は天御中主命(アメノミナカヌシノミコト)で八幡宮摂社のひとつである。この石清水社の付近には数多くの言い伝えを残している。

石清水杜に通じる間道(祓谷道または東谷道という)の分岐点に丹塗りの稲荷社が建つ。昔このあたりには狐の住む穴があって、柴草を刈りに来る人々にいたずらをするので、小祠を建てて崇めたという伝説がある。後の文政12年(1829)の頃、杉本坊親杲(すぎのもとぼうしんこう)らが現在の社に改築したものである。この稲荷社の右側に影清塚という小さな塚がある。ちょうどこの付近が石清水の下流にあたるところから、参詣人の多くがこの流れに影をうつし、上浄を洗い清めたのでこの吊が残っていると伝えられている。

ここから石清水社に通じる東谷道を行くと、石橋が谷川に架かる。「かつて、このあたりは岩がせり出し、護国寺に至る道は甚だ険しくて、ここから馬をかえすことにしたので、この吊を付した《と男山考古録は記している。

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