一の鳥居
一の鳥居地図
いちのとりい
空白線
一の鳥居

所在地:八幡市八幡高坊

京阪八幡市駅から南へ200メートルほど行くと、石清水八幡宮参道をまたいで大きな石の鳥居が建っている。この鳥居を「八幡宮一の鳥居《といい、山頂の本殿までには、3つの鳥居がある。

一の鳥居から参道をさらに南へ行くと二の鳥居があり、三の鳥居は表参道の石段を登りきった山上に建てられている。一の鳥居は、八幡宮の表玄関にあたるため、室町将軍の足利義満は参詣の際、この鳥居前で牛車を降り、本殿に向かった。木造りによる鳥居の建立は、たびたび行われたらしく、多くの記録が残っている。
応永8年(1401)の造り替え時は、9月21日に山崎八王寺で二本の杉を伐り、24日、大勢の人夫によって宿院河原へ運ばれた。10月7日に2本の柱を立て、19日に笠木(鳥居の上にわたす横木)が上げられて、21日にようやく完成したと『縁事抄』は伝えている。また、鳥居の造り替えのための材木料や人夫の特別徴収が行われたため、応永29年(1422)には大山崎離宮八幡の神人が、社務所の坊舎へ押し寄せ、乱闘になったと『看聞御記』は伝えている。鳥居は、元和元年(1615)に木造りで建てられたのを最後に、寛永13年(1636)に寛永の三筆とうたわれた松花堂昭乗の発案によって石造りに改められた。木造りでさえ、ひと月近くの日数と多勢の労力を必要としたのであるから、石造りに改められたときの苦労が偲ばれる。
高さ約9メートルにかかる鳥居の額でもっとも古いものは、平安時代に書道の吊人とうたわれた藤原行成が一条天皇の勅願により書いたもので、「八幡宮《の「八《の字は、鳩の姿を形どってあるといわれている。石造りに改められた折、松花堂昭乗が行成の筆跡をそのまま書き写したものであり、惣胴板張りに金字で現されている。
平成7年(1995)1月に発生した阪神大震災によって鳥居の上から2段目の「貫(ぬき)《に亀裂が見つかり、5月に貫を新たに入れ替える工事が行われた。なお、この震災によって八幡宮内の燈籠約70基が倒壊したり傾いた。

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