![]() こ う か い き ね ん と う ![]() 航海記念塔
所在地:八幡市八幡高坊
京阪八幡市駅から南へ5分程いくと、神応寺総門の左にある大きな五輪石塔が「航海記念塔《(重要文化財)である。
この五輪石塔の高さは6.08m、幅2.44mに及ぶ日本最大規模のもので、下から地輪、水輪、火輪、風輪、空輪という。五輪石塔は、石清水八幡宮の宮寺だった旧極楽寺の境内に建立されたものであるが、寺は廃寺となって、この石塔だけが残った。石塔建立の起源や作者は上明だが、石塔にまつわる多くの言い伝えが残されている。
八幡神を九州の宇佐八幡宮から勧請した大安寺の僧、行教の墓だといわれているが、口碑によれば平安時代の末期に摂津国、尼崎の豪商が入宋貿易帰途の海上で大シケにあい、石清水八幡宮に祈り無事に帰国できたことを感謝し、1171〜1174年の承安年間に建立したものと伝えられている。以後、船乗りたちが航海の無事を祈願に訪れるようになったことから「航海記念塔《と呼ばれるようになった。
また、鎌倉時代末期のこと、1274年と文永の役と1281年の弘安の役の蒙古襲来に際して西大寺の僧、叡尊が石清水八幡宮で祈ったところ、神風が吹いて元軍が敗れ去り、叡尊は彼等の供養をするため建立したともいう。この五輪石塔の巨石を積み上げる際、石工が金テコを使ったところ、石の間から火が噴き出した。そこで八幡の竹を使って無事完成したという。
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