社会福祉士への道

 上の題名はパクリですが、まぁ、私なりの社会福祉受験のモチベーションということで。私はどこかでも書いたかも知れませんが、学生の時とその次の年に試験に失敗し、8年間全く受験しませんでした。その間、異動、結婚、子供の誕生と順調?にライフサイクルをこなしていき、資格は頭のかなり片隅にある程度でした。詳しくは、1月13日の項目を読んでください。
 これは、試験勉強について書いた過去の日記を取りだしたものです。その当時の題名をそのまま載せています。何となく試験勉強を始めたのは、10月くらいでした。しかしそのころのモチベーションや具体的にどうしたのかは書かれていません。
 そのうち、2006年度版の社会福祉士勉強法のメルマガをダイジェストでまとめる予定ですので、具体的な勉強の仕方はそちらを参照してください。

05.11.7 ケイトブッシュの新譜を買う
 今日は全くやる気が起きずに、ダラダラとしている。毎日帰ってきてから家の中で騒ぎ立てる子供たちを相手に、時々頭がおかしくなりそうになる。勉強をしたくても、妻のことを思うと少し妻を楽にさせてやりたいと思う。そう思うと、何かしてあげなければと思う。ドライブや買い物につれていったりする。そうして夜になるとホッとできるものの、気疲れで勉強する気が失せてしまう。で、頑張ろうとむちを打つが、それが続くと焼き切れてしまってしばらくやりたくなくなる。やりたくなくなれば、逆にやらなければと言う焦燥感だけが募ってくる。ちょうど、いろいろと疲れることが続いて、面白いこともなく、今日は腐っていた。
 しかし、一応休みなので、何かしようということで、ちょっと外出をする。古くからの友人へお酒を送ったり、秋田大学図書館で知的障害者関係の文献を引っこ抜いたりする。文献は、余りよいのがなかった。しかし、ずいぶんと慣れたもので、以前に比べて探し出す時間がかなり圧縮された。

05.11.8 練習に行く
 連休が続いたので、図書館につめて試験勉強をする。やはりまとまった時間があれば、かなりすすむ。途中で本をパラパラと読んだりしても、家にいるよりもはかどる。こうした習慣が高校の時にあればまだ勉強していたかナァと思う。図書館のありがたみを知ったのは、大学院での論文作成の時だった。家にいれば、家事の補助、子育ての支援、仕事などなどに気を配って、意識が散逸してしまっていた。まとまるものもまとまらない。図書館は数少ない逃避場所であった。しかし、図書館で作業をするにはそれなりに準備をしないといけなかった。参考資料と図書館でやる内容の準備で両手に10キロ近くもって歩いていた。しかし、現在の試験勉強は、問題集と鉛筆と付箋があればよいのでたいそう楽である。試験内容に関しては、じっくり読むと解ける問題が多いが、それでも曖昧な所や勉強不足のところがいっぱいある。間に合えばよいが…
 昼食はかねてから行ってみたいラーメン屋に行く。そこそこだしの利いたラーメンでお金を払って食べても良いレベルであった。その後は夕方は妻子でデパートに行く。

05.11.17 試験勉強
 試験勉強の方も一応目処がついてきて、自分が全く弱いところを重点的に勉強することにした。で、何が弱点か…全部自信がないものの、法学の行政法、社会保障の給付の種類、人名や時代の順序が全くダメであった。試験問題は、何回もやれば慣れてしまって、一旦問題集から離れることが必要である。筋トレばかりしないで栄養もとらないといけない。
 はじめの頃は、見返してやろうという気持ちがあった。社会福祉士はあまり有用でない資格だ。勉強しても仕事には役に立たない。勉強ばかりして仕事がおろそかになっていとか。いろいろな声が聞こえてくる。(幻聴じゃない…と思う)
 確かに合格率は低いし、ブランクもあって受からないかもしれない。しかし、続けていく中で、これは自分の勉強になっていることを再確認する。外野がどうこういおうが、自分に自信がなくても勉強をしていく中で知識と共に視野も広がるのである。確かに論文のような指向性がなく、専門知識が深まることはない。しかし、試験勉強は、広範な知識の確認である。それはいま議論されている多様な言説に対応しうる。あるいは、とっかかりとしての基礎知識になりうるなぁと考えている。結構バカにしていたけど、やってみると奥が深いことが分かった。

06.1.1 元旦ということで
 まれにみる大雪である。2月も降るとなっては雪の状態がどうなることか見当がつかない。なんでも30年ぶりの大雪なんだそうな。そんな元旦であるが、いつもどおりに元朝参りに行く。今回は、国家試験も控えているので菅原道真神社でお守りを買う。一応学問の神なのでそれなりに効力があればよいが…
 今年で国家試験が合格すればよいが…働きながら、何もない中でやるということはかなり不安である。何をどうしたら合格するのかという基準が全く分からない。手元にある過去問がすべてである。これが現役なら模試やら教授の精選問題なんかを解きながら自信を深めて行くんだろうが。もっとも、私が現役の頃、勉強のなんたるかが分からなかった。そして、愚かだった。まぁ、いまでもそうだが…。と、それでも受けるためには自分がいま出来ることをやるしかない。それが何をしたらよいのか分からないとしても。

06.1.13 受験にあたって
 社会福祉士の国家試験までもう残すところ2週間しかない。
 学生の頃にノリで2回受けたが、その時は全く勉強をしなかった。少なくても試験勉強はしなかった。あの頃、自分は試験をなめていた。ちょうど大学院の通学制を受けていた時期でもあり、それまでの知識のストックで十分と思っていた。
 2回目は、その頃まだ大学院に残っている人や学内で事務をしていた友人たちに誘われて受験した。当然勉強はしなかった。あの頃の自分は無知で傲慢だった
 時は流れて、働きはじめていた。結婚するまでの間勉強する時間は十分にあった。しかし、仕事に追われているとか、「そんな資格を持っていても何も価値はない」といった言説に自分は逃げていた。なにより、勉強をしても落ちるのではないかと臆病風に吹かれていた。本気になって何かをすることが怖くなっていた。そんなことをしなくても仕事は出来るよと。あるいは、いつか本気になれば簡単に取れるよと強がっていた。しかし、本当のところコツコツと何かに努力することが面倒臭くなっていたのかもしれない。
 またまた時は流れて、妻と出会い、大学院に行かせてもらった。周りの励ましがあった。その中で一つをやり遂げた。それは、一つの物事をやり遂げるには、簡単には行かないこと。地道な積み重ねが必要なことを知った。そしてその先には、何ものにも得がたい充実感と自分の中にそんな力があるのかという自信を見いだせた。結婚、子育て、仕事、格闘技という何足の草鞋を履いてでもやる気と達成しようとする意志を持ち続けると何かを得ることを知った。
 そして、周りをみると私はいつの間にか中堅になっていた。自分がいつの間にかお山の大将になっていた。これから先は、自分でビジョンを持ってある程度若手を指導していかないといけないと思った。知識と経験とそれなりにしっかりした論理性がないと人へは指導できないと思った。確かに勉強をしなくても日常の業務はこなせる。勉強とは、テキストや論文を読み解くこと以外にもある。それはそれとして、利用者をより理解し、社会の中でおかれている福祉の言説を読み解き、身につける必要があると思った。社会福祉士の実習生との会話は十分な刺激になった。長く続けて行くには自分の中に何かを再生産し、豊かにしていかないとつまらない人になって行くだけだと思った。
 試験勉強は短調である。しかも苦痛ですらある。自分で論文を書くという創造性がない分だけ自由度は少ない。しかも、試験勉強はまんべんなく知識を身につけないといけない。自分ではそれなりに論文などを読んで知識があると思っていたが、科目によっては全く分からないところ、分かっているつもりでも実は間違っているところがいっぱいあった。間違いだらけになると、すごく苛立たしいし、自分が情けなくなった。主婦や60歳のおじいさんも配管工も単なる専門学校の人も合格しているのに、大学院を出ている自分は落ちるんではないかという、傲慢かもしれないが、そうした気持ちを抱いた(それは臆病で不安な気持ちになっている自分がいる)。
 しかし、それでもやっていかないといけないと思った。その時その時最善を尽くして、やれる範囲でコツコツとやっていこうと思った。それで合格できなくても、それはそれでもう一回、合格するまで勉強をしようと思った。受かるために勉強をするのは当然であるものの、それを通して学ぶべき事はたくさんある。やっていて決して無駄ではないと思う。相変わらず遊びたいとかこんなのはくだらないとか怠惰な気持ちになる。あるいは、どれだけやったらいいのかという検討がつかない。試験勉強の本筋から離れているのではないかという不安がある。
 しかし、幸いにして自分の施設には社会福祉士の受験資格を有している人が数名いる。彼らを励ましながら実は自分が一番刺激になっている。「勉強してきたか」と人にハッパをかけているようで、実は自分にハッパをかけているところがある(ハッパをかけられている人にはいい迷惑かもしれないけど)。
 もう、あの頃にちゃんと勉強しておけば良かったとは思わない。あの頃はいまよりも怠惰だったし、傲慢で無知だった。始まりの終わりへの残り2週間。

06.1.28 仙台に行く
 明日は国家試験。やることはやった。試験用のテキストは大枠しか書かれていないが、試験はすごく難しいことも知った。しかも、過去問をいくらやってもその問題はでないことも知った。だからいくら詰め込んでも仕方ないことも知った。それらは当然のことだが、 一応やることはやった。最後の数日のテンションだけは落とさないようにした。テーマは、最後まできっちりとやることであった。
 これまで、いつもそうだが最後の数日どういうわけか遊んでしまっていた。特に、学生の時の通学制の院での試験では、1週間前まで麻雀をやり、前日は飲み過ぎて「おてんとさんが黄色いナァ」と思いながら試験を受けにいっていた。空手の大会でも前日、遅くまで(事によったら当日の朝まで)ゲームをしたり、緊張感がゼロであった。なるようにしかならないと思っていた。
 今回も空手の練習はきっちりやったし、酔っぱらいすぎない程度に飲んでしまった。また結構夜遅くまでウダウダしてしまった。しかし、それでもいつもに比べると自粛した方である。一応、最期までテキストとこれまでやってきたことを見直す時間だけはあった。不安を解消するには到らないけど、最期まで見直して確認することだけはしたつもりである。
 新幹線の待合い所に数年前うちの会社にいた先輩がいた。彼は介護福祉士を受けに行くとのこと。新幹線では、2年前に実習に来ていた人が同乗していた。今年から社会福祉士の受験資格を得たとのこと。ここにも頑張っている人が。その実習生と仙台に着いてからお茶をしてから、空手の練習に行く。
 夜は、上記のようにやや飲み過ぎたきらいもあるが、それなりにやりかけのテキストをやった。友人のお父さんやお母さんには良くしてもらった。国産のヒレ肉をカツにして、これでもかと食べさせてくれた。ここまで親切にされて、来年も「試験できました」といってお世話になれないナァと思った。願わくは、合格しましたといって遊びに行きたい。フキフキ "A^^;

06.1.29 社会福祉士国家試験
 友人に送られて、試験会場にちょうど良い時間に到着。テキストの見直しとかしながら待てるくらいに着く。この日、交通機関の都合で30分繰り下げて開始された。なので、午前中はかなりテキストを見直す時間があった。しかし、テストはやっぱり難しかった。今年施行された個人情報保護法や介護保険のの改正なども出て、かなりやばい。というか、個人情報保護法とかISOとかを問題にするのはちょっと反則なような気がする。しかも一問程度なら良いが、あちこちの科目に散らばって問題が出されると、すごくリズムが狂ってしまう。不安な気持ちや解けなかった挫折感が積み重なってしまうのである。
 お昼は同僚と近くの餃子屋で取る。ホストを連れてきたおばさんが、昼間から下ネタを飛ばして思わず笑ったしまった。
 そのおばさんは一回店に入ってきた後にホストをおいて向かいにある和菓子屋から「おやつに食べるでしょう」とホストに「お饅頭」を買ってきた。和菓子やの店員との会話で
店員に「何食べるだろうね」とおばさんがたずね、
店員が「「おまんじゅう」食べるんじゃないですか」といったととのこと。
 最初は訳が分からなかったが、「お口汚しですいません」とおちを付けたあたりで、笑ってしまった。
 午後の試験は、午前中よりも引っかかって時間がかかるような問題は少なかった。しかも、30分試験時間が繰り下がっていることを忘れ、後半猛烈に追い込みをかけて問題を解いてしまった。おかげで、じっくりと見直して何問かは修正をすることが出来た。
 帰り際今年度実習に来ていた学生2名とも会った。皆元気そうで何よりである。その後、職場の後輩と駅まで行って、そこで別れる。本屋を三軒ほどまわり、尾崎新の新刊とTRINCAを購入。その後、丸善の向かいにあるケンタッキーと同じ階にある中華屋でいつもの陳式麻婆豆腐定食を食べる。料理人は若いが、火の使い方が豪快で、しかも手際も良い。いい料理人だと思う。駅の一階にある中華屋は味が落ちたので、今後は多分ここで食べることになると思う。しかし、前回に比べてサンショウの量が少なくなっていたような…
 秋田に戻ると思いの外、雪が少なくなっていた。タクシーの運ちゃんの話では、今年はじめての好天候だったようで。
 試験が終わって、充実感はあまりない。答え合わせをするつもりもない。少しずつまた論文が書けるナァと。

06.2.2 一段落をして
 試験の答え合わせも一段落して、さて、これからどうしようかと。
 答え合わせは、怖くて自分で出来ず、最初妻にしてもらった。昨年から国試の基準が設定され、90問を基準に下限値が85問正解である。ちなみに昨年は83問正解が下限値であった。で、私は2chから引っこ抜いたエクセルファイルで自分の解答を入力。6社の比較から私の上限値が88問で、3社か85問。あとは81問、78問…また、エクセルでは最善値と最悪値が出て、最善で101問、最悪で64問である。まさに超★微妙である。
 2chの書き込みにもあったけど、全く過去問が通用しない。勉強しがいのない試験内容である。全部正解をするとは思わなかったが、ある程度120問正解をめざしていただけに、ちょっとがっかり。さらにがっかりしたのが、結構勉強した法学と障害者福祉論が3問しか正解していなかったことである。あと社会保障もかなり勉強したのにナァ…。しかし、一科目でも0点だと他でいくら良い点を取っていても落ちるので、その条件は満たされなかったナァと…
 いずれにしても3月31日まで長い。こうなってしまうと、しっかり受験番号をマークしたのか。マークする番号を間違わなかったのか。間違いを訂正したところがしっかり処理されているのか。いろんな面で口から内臓が出そうである。
 しかし、今はせっぱ詰まったような感覚もなく、のんびりと出来ている。いかに試験が頭の上の重石になっていたのかを実感している。

06.3.31 合格しましたよ
 今日は合格発表の日だった。また引き継ぎやら新年度への準備。異動する職員の送別会といろいろとあった日であった。異動する一人は、私の半年遅れできた女性であった。仕事に対して真摯な人だった。こういう人がまたいなくなるのは何とも寂しいことである。ご苦労様でした。また、新天地でも頑張ってください。
 合格発表は、13時からであったが、すぐには見れずに、業務が一段落したときにネットでの速報を開いてみた。で、あっけなく合格しているのが分かる。嬉しいことは嬉しいが、それよりもホッとしたというのが正直な気持ちである。これで、受験勉強はしなくても良いナァと。まぁ、論文は引き続き書いていくものの、これからは好きなことが出来るナァ。思えば、9年近く受験資格を持っていながら受けなかった負債は精算したナァと。これも、社会福祉士実習を受け持って、自分が持っていないのはかっこわるいと思えたことが大きい。今日は妻と子供でいつもの中華屋にいき祝杯を挙げました。が、座敷が予約で一杯。狭い思いをしながらテーブルの上は戦争のごとく食事をした。
 実習生で思い出したけど、今年度の実習生に社会福祉士試験の時に論文のコピーをリストを渡して依頼していた。それを前日に待ち合わせて受け取る。27論文で、250ページ相当をコピーさせていた。悪いナァと思いながら、しっかりとコピーをしてくれた。多謝。少し話をしていく中で、自分が何をしたいのかと言った内容になって、自分はいろんな意味で突き抜けていきたいんだと改めて再確認した。突き抜けて、いろんなものを笑い飛ばしていきたいんだナァと。そのために、物を書き、考え、世界を構築し直す。本や論文は、自分の知らない世界を押し広げるための道具である。未だ見ぬ人が書いた論文から世界が切り広がり、つながり、語りかけてくる言葉を自分が吟味する。そうして深まり、深まりの中からじんわりと広がってくる。未だ見ぬ思考の世界は大きい。
2006.11.9

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