社会福祉施設労働者の専門職性についての一考察

kuma(W学園・6256)

要旨: 本論は,現在の労働環境を形成している主流なシステム,新自由主義(産業構想)とポスト・フォーディズム(生産形式)が社会福祉福祉労働の専門職性を溶解させていると考察した.特に,新自由主義では,労働者の商品化,断片化,マニュアル化に焦点を当てる.ポスト・フォーディズムでは,感情労働論を手がかかりに考察する.共通して,新自由主義とポスト・フォーディズムは労働の流動化・柔軟化を促進した.そのことにより,本来,社会福祉施設労働にあった固有の一貫性や継続性(=専門職性)を溶解させたと考察した.
 それに抗して,いかに専門職性を把持しながら働くことが出来るのか.このことについて職人の倫理を手がかりに特に,技倆,感化,継承,連帯について考察した.結果として以下の3つの点を提示した.職人の倫理は外部からの承認を必要としない内発的なものであること.社会福祉施設では集団で働くため,感化や連帯は時間をかけて行われやすいこと.人が人につながっていくことが仕事の継続性にとって大切であることである.それが本来社会福祉施設労働者の専門職性発揮の根拠となると考える.

キーワード:新自由主義,ポスト・フォーディズム,職人の倫理

1.はじめに
1.1.問題の所在・研究目的
 昨今景気・雇用情勢の悪化により,派遣労働者を中心に大量の失業者を生み出されている.しかし,その一方で,福祉分野,特に直接的に利用者へケアなどの対人サービスを行う業態(以下,福祉現場とする)の離職率の高さや人員不足は深刻である(藤原2009)1).このため厚生労働省は,雇い止めになった派遣労働者を福祉現場への就労支援を行い,人材確保対策を進めている(厚生労働省2009,佐々木2007)2).しかし,こうした派遣労働者が福祉現場に定着し,人材不足が解消されたとは言い難い状況にある.その要因に,不規則な就業形態や労働密度の高さといった労働条件の厳しさが指摘されている(植田など2002).
 ところで福祉現場に「やりがい」があるとする根拠に,専門性の高い仕事であることが挙げられる(真田2003,植田2008,大野2009など)3).確かに,社会福祉士や介護福祉士等の国家資格の整備と取得者の増加,あるいは福祉系大学・短大で専門教育を受けて福祉現場で働く人々は増加している.しかし,その一方で福祉の仕事は「誰でも出来る仕事」(福祉労働者の専門職性の軽視)として喧伝されている(渋谷2003).自己裁量権が高く,専門的知識を活かした仕事に就ける者は少数いるものの,多数は集団的でシステム化されたルーティンワーク(非熟練的労働)に従事することになる.そこでは,無資格者や専門教育を受けていない人と同列の価値で働くことになる.つまり専門知識が福祉労働の価値を高めている状況にはないといえる(田川2007).
 とはいえ,労働者の専門職性の軽視あるいは非熟練化は,他の業種においても同様に見られている.その背景には現在の労働環境を形成している主流のイデオロギー(新自由主義)や働き方のシステム(ポスト・フォーディズム)があると考える(金子2002).
 このことから本研究では,新自由主義やポスト・フォーディズムがいかに福祉労働者の専門職性を軽視あるいは溶解しているのかを考察する.その上で,福祉現場において必要とする専門職性とは何かについて考察し,提示することを目的とする.

1.2.研究方法・範囲
 研究方法は,文献研究であり先行研究から,
  1. 福祉現場の専門職性を軽視,あるいは溶解させている言説は新自由主義およびポスト・フォーディズムにあると仮定し,その諸言説を取り上げ批判的に論じる.なお,福祉労働問題を取り上げる場合,先行研究では新自由主義かポスト・フォーディズムのどちらか一方から論じる傾向が多い.本研究では,福祉労働者の専門職性の軽視は両者が密接に結びついているとする視点に立ち複眼的に論じる.
  2.  対抗的な言説として「職人の倫理」(バウマン2008,前田2001)4)を手がかりに,専門職性を改めて考察(再構築)し,現実的にいかに適用しうるのかを検証する.
 なお本研究は出来るだけ広く福祉労働を論じるも,主眼は福祉施設労働とする.その理由として例えば厚生労働省「平成20年 社会福祉施設等調査結果の概況」あるいは「平成21年 介護サービス施設・事業所調査結果の概況」において福祉施設に従事し,かつ集団的に利用者へ直接的な福祉サービスを提供する福祉労働者(例えば,介護員,支援員,保育士など)の人員数が,相談(窓口)業務に比べ圧倒的に多いことが統計で示されている.また,社会福祉分野の国家資格では平成21年度時点で介護福祉士は約73万人,社会福祉士は約11万人,精神保健福祉士が約4万人である.福祉労働に従事していない潜在的介護福祉士が4割いるとされるが(厚生労働省2009),それでも大半の介護福祉士は介護保険施設の介護員として就労している.つまり数字上,福祉労働者及び福祉専門職者の多数は福祉施設労働者であると言える.さらに,本研究は福祉施設労働が集団的でシステムに基づくルーティンワークであり,そこに福祉労働に内在する専門職性の軽視につながる種々の要因があるのではないかと考える.そして,福祉施設労働者がその状況おいて,いかに専門職性を見いだすべきかが本研究の主題である.
 また,本論における「専門性」と「専門職性」の違いについて,先行研究(秋山2005,横山2009) 5)をもとに,個々の福祉労働者が理論研究などを通じて福祉のあり方を探求することを「専門性」(例えば社会福祉とは何か)とする.そして,それらを通じて,実用性や具体性を持って個々人が独自性を持って仕事をすることを「専門職性」(例えばいかに仕事をするか)と措定する.そして,本研究では,仕事のスタイルのあり方を論じるという意味で,主に専門職性を論じていくこととする.

1.3.倫理的配慮
 本研究は主に文献研究である.先行業績,引用などについて日本社会福祉学会の定める研究倫理指針を遵守する.

2.現在の社会福祉労働の専門職性軽視,ないし溶解の要因と批判的考察
2.1.新自由主義とポスト・フォーディズム
 新自由主義とは何か.そしてポスト・フォーディズムとは何か.その全容は複雑であり,かつ膨大な言説がある.とはいえ大まかに把握するならば,この二つは渋谷(2003)によれば,現在主流な“権力”が作動させている「要素」であると規定されている.では,その権力とは何か.それは「いわゆるニューライトと呼ばれるリニューアルされた右翼である.より正確に言えば,家族的価値の回帰を唱える新保守主義,市場原理による福祉国家解体をねらう新自由主義,権威主義的ポピュリズム,これらの接合によって出現した権力である」(渋谷2003:11)6)と.さらに「権力は,アイデンティティや主体の構築を通してそして生のあり方そのものを通じて作動するのであれば,労働や産業構想の変容は権力ゲームのあり方に大きなインパクトを及ぼす」(渋谷2003:13)と.その意味で,新自由主義による産業構想や労働のあり方(生産形式)としてのポスト・フォーディズムは,労働を通じ,個々人の生を統治するシステムであるといえる.

(1)新自由主義
 新自由主義は1970年代半ば以降ケインズ経済学に代わって台頭してきた,新古典派経済主義の思想である(大村2009,浅井2000)7).その内容は多岐にわたるが,端的に,ケインズ経済学では「生産性を高めるカギは需要にあると考えられていたため,介入主義が取られていた.これに対し新自由主義では,生産性が低下するのは需要ではなく供給側に問題があると考える.供給側の非効率性にあるから消費が伸びない」(大村2009:79)と考える.その非効率性を改善するのは,国家ではなく市場である.よって「社会の資源配分を市場原理に委ね,市場の自由競争のもとで資源の効率的配分を実現しようとする」(田川2007:68)のが新自由主義の思想である.
 日本において新自由主義が政策と結びついたのは1980年代の中曽根政権からとされる(黒田2007)8).その特徴は『「小さな政府」を訴え,福祉国家が大きくなりすぎたという理由で社会保障費を抑えるとともに,民間企業の営利機会を拡大するために規制緩和,民営化,市場化を推し進めてきた』(森岡2005:113).そして,小さな政府の背景には新自由主義の特徴でもある市場個人主義がある.この市場個人主義は「個人の権利と自由は市場を最大限に利用することによって最も良く保障されると考え,国家による経済運営の調整,規制,介入を原則として否定する」(森岡2005:113-114)考え方である.
 新自由主義にとって社会福祉分野は,福祉国家の象徴,あるいは非効率性の象徴であった.その意味で「経済社会の制度・仕組みを市場と競争に適合的なものへと転換することをねらいとする」(田川2007:69),社会福祉基礎構造改革(福祉分野の規制緩和,市場化,福祉労働の商品化など)はドラスティックに行われた(太郎丸2009,二宮2001,田川2007)9).このことについて,浅井(2000)は介護保険がスタートしてすぐに批判している.「福祉の商品化・市場化が進めば,お金儲けを目的とした競争を激化させ,優勝劣敗の鉄則を社会福祉分野で貫徹されることになり,リストラや倒産を誘発することで社会福祉という資本の論理を排除したセーフティネットにいくつもの大きな穴を開けることになる」(浅井2000:102)と.この事態は現在,供給主体の多様化と介護報酬体系の変化による事業者の運営の不安定化が労働条件の悪化・不安定雇用化を引き起こし,離職者の増加など人材不足を招いていることは周知の通りである (田川2007)10 )

(2)ポスト・フォーディズム
 ポスト・フォーディズムとは,ポスト(post)とあるように,フォーディズムからの生産形式の移行を意味する(齋藤2009)11).それは「プログラムされた生産から,市場の気まぐれの動向にますます左右されるようになる生産への,つまりフレキシブルな生産への移行」(酒井2007:44)である.言い換えると,大量生産,大量消費を旨とした生産効率の追求(フォーディズム)から,少量多種生産を旨とした,柔軟な労働の編成を旨とする生産形式への変化である(崎山2007).
 市場の気まぐれとは,顧客のきまぐれな消費傾向が市場を形成している事に由来する.その意味で,顧客の気まぐれに対応するためには,個々の労働者は生産の前工程(商品化の前段階)から顧客を意識し「自律的に思案・判断・修正する」(入江2007:9)柔軟性が求められることになる.そして,作業チームは「メンバー相互間の協働を円滑にし,あくまでも”開かれて”コミュニケーションが不断に流通する場に編成しないといけない」(入江2007:90)ことが要件となる.言い換えると,フォーディズムの生産形式はプログラム優先であるため会話や自律的思考は効率性を下げるとされてきた.しかし,ポスト・フォーディズムでは,会話や自律的思考が活発であればあるほど,柔軟な組み替えが出来,よって“少数”の労働者によって多種多様な生産が可能になると考える(浅野2000).つまり,個人の労働密度が格段に上がったのである.
 その意味で労働者は,顧客への柔軟な対応,思考の自律性を獲得するために,個人が努力して「労働生活の質向上」を図り,仕事の中で自己の創造性を発揮することが求められる.そしてこの労働生活の質向上の中に「やりがい」や主体性が強調されることになる(渋谷2000,2003,杉村1997)12).しかし,この主体性は従来労働(職人的労働)にあった全体性や裁量性,責任意識ではない.新自由主義が推し進める労働力の限局化の中で「賃金が低くても,やりがいのある仕事なら満足するべきだ」(渋谷2003:234)と言っているにすぎない.また,実際顧客と労働者が直に向き合っておらず,そこには常に資本(企業)のコントロールが不可視化されている(崎山2007).その意味で,“顧客のために”という言説の下で「企業精神を内面化し[…中略…]生活を企業に捧げる主体性」(入江2007:46)に過ぎないのである(齋藤2009)13)
 次に,新自由主義とポスト・フォーディズムがいかに職業に内在する専門職性を軽視あるいは溶解させているかに焦点を当て,特に社会福祉労働を中心に論じる

2.3.新自由主義における労働力の柔軟化・流動化
 2.2(1)で論じたように,日本における政策の背景には新自由主義(市場個人主義)がある.これが労働市場にどう影響を与えるのか.森岡(2005)によれば「労働力をまるで一般の商品であるかのように取り扱い,労働者の保護と労働条件の改善のために獲得されてきた労働分野における種種の規制の緩和や撤廃を求める主張として立ち現れる」(森岡2005:114)ことになる.労働力の商品化とは,必要なサービスを必要な人数だけ確保すればよいという雇用主の考えのもと,非正規雇用が正当化される事を意味する.これが労働の柔軟化とも言われる.しかも非正規雇用とは労働スキル,キャリア形成が不要な非熟練労働者を意味する.よって非正規雇用の増大は,職業自体にある一貫性や専門性が溶解されていくことになる(バウマン2008).例えば,社会福祉労働分野では,基礎構造改革からの一連の制度改正により,広範な分野の福祉施設の配置基準が専任換算形式から常勤換算形式へ移行した.この形式の移行は正規雇用職員からパート職員への置き換えを容易することが出来ることを意味する.この一例は新自由主義が推進する労働の柔軟化の具体的例として見ることが出来る(伊藤2003,豊田2008)14)
 さらに労働の柔軟化により正規労働者は劣悪な条件で働こうとする非正規雇用との競争関係におかれる.よって雇用環境は流動化し,正規職員の労働条件も劣悪な方向に引きずられていく(大須2003).そうした環境において,労働者は福祉職を専門職と確信し,はたして天職としてやっていけるだろうか.天職とは『雇用主からすれば,従業員の仕事に天職らしき装いを施そうとすることは,次の「規模縮小」の実施や別の「合理化」の際に噴出する混乱に備える』(バウマン2008:71)程度であるとする指摘は重い.福祉現場の労働者は日々の業務に見通しのなさを悩む中,ここ最近の福祉系資格の増加,一部資格の点数化と取得奨励は何を意味するのだろうか.
 また市場個人主義は,福祉労働内容の商品化を推し進める.商品化は,福祉労働を契約で定められた「サービスのパッケージ化」と報酬の枠内での「時間決め・細切れサービス」にする.三島(2007)は現在の福祉サービスについて「治療や改革の代わりに,契約や課題の達成,技能訓練が強調されるようになった.[…中略…]実践が[深部からの解釈から表層のパフォーマンス]へシフトする中で,マニュアル化が進み,結果や効果を重視する実践が施行されるようになった」三島(2007:178)と指摘する.背景には,科学的知見の蓄積によるデータベース化推進の流れがある.確かにデータベース化は福祉労働の専門性向上を図るという一面もある.しかし,このマニュアル化により,一人一人の創意性が時に科学的ではない,マニュアルに合致しないという理由で,個々人の専門職性を否定する一面もあると指摘する(三島2007)15)

2.4.ポスト・フォーディズムにおける感情労働
 ポスト・フォーディズムは労働の範囲やノルマ以上に,コミュニケーションを重視し,主体的かつ自律的に労働生活の質を上げることが求められると論じた.ここにおいて問題なのが,このコミュニケーションが商品として評価されない「感情搾取」があることである(松川2005,崎山2007)16).そしてこの感情搾取が顕著なのは対人サービスを主とする業態である.接客による笑顔や言葉がけなどを強いる労働を感情労働という(長谷川2008)17).特に,福祉現場(ケア労働)は,「介護される側〈顧客〉との長期的,短期的な信頼関係にコミットしているがゆえに,十全にその感情労働を商品化させることが出来ない」(渋谷2003:30).さらに,福祉施設は利用者との関係は長期化しやすく,仕事の範囲の明確性が喪失しやすいことが指摘されている.その上,ケア労働は利用者に対し「配慮」を優先させることが暗黙裏に働いている(鷲田2001)18).あるいは,むしろ福祉労働とは感情労働こそが専門的な関わりのキモとされる(松川2005)19)
 福祉労働を感情労働とした場合,その問題は,例えば同じような業務をこなしても,利用者との感情的な関係性でまったく違った評価が下されること.そして,それが援助者の力量として評価されてしまうことである.よって,日々の業務は,顧客との主観的・感情的な関係を優先せざるを得ない状況になり,そもそもの労働条件(範囲,時間,内容)を巡って経営者と論理的に対決する要因が削がれているといえる.つまり,その配慮などはその労働者が主体的に行ったのであり,労働条件に無い「余剰」なものであり,その行為が商品として正当に評価されないのである.
 さらに別の視点から,感情労働はこれまで女性が担ってきた,あるいは得意であるとみなされてきた.そしてそれは単に得意であるだけではなくジェンターバイアスとして問題提起されている(足立2007,斎藤2003)20).それは,ケア労働は「「女性向きの仕事」として女性を介護の担い手としてきたことが,また献身的・犠牲的・無償的なものとして女性に割り当てられてきた「ケアの役割」が改めて問われている」(杉本2001:16)と論じられる.このことについて,渋谷(2003:27-28)は「家族介護の場合には「家族への無償の愛」として理解されてきた精神的介護の側面は,有償介護労働の場合,しばしば「ボランティア精神」や「福祉の心」へと翻訳され,それにより介護労働としての側面が,誰でも可能な非専門的労働.家事労働の延長.として不可視化されている」と分析する.これらの言説から導かれるのは,福祉労働は,家事労働として誰でも気軽にできる仕事であること(=専門職性の軽視)が敷衍されていると言える.

2.5.新自由主義とポスト・フォーディズムの専門職性軽視の作用
 新自由主義とポスト・フォーディズムは労働分野における新たな効率化追求と言う意味で共通する.そして,労働者へはフレキシブル(柔軟性・流動化)と消費として作用している.
 新自由主義は,労働力の組み替えという流動化で,労働力の商品化を促し,労働者の業務範囲の限局化を推し進め,断片化させる.その結果,これまでの労働者が培ってきた継続性やキャリアは軽視され,その職場(職業)にあった専門職性を否定していく.ポスト・フォーディズムは,顧客満足の立場を意識した多様な役割を柔軟にこなすことが求められる.そのためには,一労働者の創意工夫,主体性,コミュニケーションの活性化が求められる.一見すると新自由主義の限局化や商品化とは矛盾するように映る.しかし,感情労働論で論じたように,そうした創意工夫が正当な労働の価値として認められていないこと.また,特定の職業,特に福祉職の感情労働はジェンターバイアスとして働き,誰でも出来る仕事として評価されていることを明らかにした.総じて,新自由主義もポスト・フォーディズムも仕事自体にある専門性,あるいは労働者の専門職性の蓄積(ストック)を主眼とせず,労働力を消費(フロー)と見なしているという点では一致するといえる.

3.社会福祉施設労働者の専門職性について
3.1.福祉労働者の専門職性の論点
 このように現在,福祉労働の専門職性が軽視されがちな状況に置かれていることが明らかにされた.先行研究において,福祉労働に関する問題提起と打開策については多様な論点があり,例えば,ワークライフバランスの重要性(杉村1997,西川2008)21),労働権利意識の高揚(真田1992,植田2002)などがある.特に,福祉労働者の専門職性の問題については,福祉労働のミッション性を意識すること(垣内2009).あるいは,福祉現場に内在する専門性の探究(業務分析など)がある(岡本2008,田中2008).本研究では,あまり論じられていない部分?良い実践(仕事)をしている熟練労働者(職人的な働き方)から学ぶという横の連帯が労働環境を豊かにすること(西川2008)22)に着眼し論じることとする.

3.1.職人的な仕事をする人
 職人(craftsman)とはそもそも自ら身につけた熟練した技術によって手作業で物(工芸品など)を作り出す人を指す.そのためサービス業である福祉労働者は職人ではない.しかし,ここでは職人気質的な働き方をする人?その仕事の本質に通じた人またはその仕事に内在する技術・原理を探求する人を“職人的な仕事をする人=職人”と呼ばれることに着眼する.
 なお,職人的な仕事をする人について野地(2001,2003)が様々なサービス業(靴磨き,床屋,車のセールスなど)を取材し,顧客や同業者に感銘を抱かせるサービス提供者を“サービスの達人”として取り上げている.その意味で,職人的な仕事をする福祉労働者はサービスの達人というニュアンスが近いかもしれない.しかしながら,社会福祉領域において,長らく“専門性”との対比で“職人的な仕事”という用語が使われてきた.このことから本論では,日々の福祉実践の中で科学性などの専門性を追求する人,対人援助などの技術研鑽を積んでいる熟練福祉労働者のことをサービスの達人ではなく,職人的な仕事をする人とする.なお,職人芸は熟練労働者のもつ独特な技倆,表現方法(専門職性)を指すこととする(三浦2006)23)
 ところで熟練福祉労働者は,職人的で人に何かを教え,伝えることが苦手だと指摘される(石井2004)24).あるいは職人芸は科学的でも専門性でも無いと否定される傾向がある(三島2007,横田1999)25).しかし,福祉現場の専門性は,一つの理論や説明できる実践とは別の仕方で積み重ねられている(須藤2002,横田1999).むしろその実践は「記述しようとすると戸惑ったり,あるいは明らかに不適切な記述をしてしまう」(須藤2002:49)暗黙知や経験知に支えられている.その意味で個々人の専門職性は,その人が多様な学問や知識を取り込み,試行錯誤しながら実践し,身体化した「技倆」といえる.職人芸とはその技倆と併せてその人の歴史性や精神性を含んだ総体的なものと考える.だから職人芸は簡単に人に教えることは出来ないし,言語化した途端何か違うものになるのである(横田1999,横田2007)26).しかし「この技倆は社会の中ではっきりと検証され,証明されるものであり,神秘的でも絶対的でもない.この技倆は,やがて誰かによって乗り越えられるべく,そこに開かれたままになっている」(前田2001:81)とされる.

3.2.社会福祉施設労働者の技倆
 では,社会福祉施設労働者の技倆とは何か.施設内業務(生活支援,身体介護など)は生活・日常の延長のような内容(食事・排泄・入浴の手伝いなど)に映る.しかしながら,個別性の把握?他者(利用者)を理解しようと洞察・内省することに終わりはないし,洞察を通じて良い仕事(繊細な関係性構築など)を志すあらゆる日々の問いかけの中に技倆は宿っていると考える(熊谷2009a)27).もちろん,その技倆は単に「問題の解決」という皮相なものではない.そして,日々の問いかけは「援助者の生活にもはね返り,自分(援助者)の価値や生活,役割を静かに,不断に終わり無く浸食する」(加茂2003:209)28)ものである.言い換えれば,伎倆の研鑽は日常業務の中に自分も現場も豊かになる可能性を秘めている事を教えてくれるのである.では,どのようなことが“豊かさ”になるのか.詳細を論じることは本論を大きく逸脱するが,一つにケア実践の内奥にある相互浸透性や倫理性について実感を伴った身体性が,援助者に有用感や豊かさをもたらすと考える(熊谷2009b)29).
 また,良い仕事をする熟練労働者の技倆は具体的な形で現れる.例えば丁寧な仕事ぶりとか,専門知識と倫理が良い具合で融合した言動に現れる.そしてその結果は,利用者を見れば分かる.垣内(2009)は職人芸のようにも見え,そこにいかなる専門性が働いているのか説明することが難しいが,質の高い実践は確かに存在すると論じ,一例として保育分野のその実践を描写する.「その保育を受ける子供たちは生き生きとしており,毎日が楽しさ悔しさ悲しさに彩られ,緊張感あふれる局面がある一方で受容された生活を楽しみ,自我と自信が確実に形成されているように見える.[…中略…]実に子供の所作はナチュラルであり,それを見ている他者にも心地よさが伝わる.保育者は“労働”ではなく“仕事”を楽しんでいるように見える」(垣内2009:3)と.また宇佐川(1998)は,プレイセラピィ場面において,熟練者とビキナーの関わり方の違いを研究している.それによると熟練者は「子供との瞬間瞬間の出会いの中で学習状況を診断し,子供のペースを尊重しながら,即興的に新しいアプローチを工夫している」(宇佐川1998:240)柔軟さや引き出しの多さが,ビキナーとの違いであると分析している.そして,子供の働きかけのタイミングとか,間合いの取り方などは「計量的に測定しにくい,“臨床センス”とでもいうべき違いが観察された」(宇佐川1998:241)と考察している.
 その意味で社会福祉施設労働者の伎倆は,試行錯誤を伴った経験の蓄積(引き出し,日々の問い直し)と身体化によって形成される.それは極めて個別的でありながら,福祉の仕事として適ったものとして,そこにいる利用者や職員に提示されるのであるといえる.

3.3.感化,継承,連帯そして職人の倫理
 そして,良い仕事をする熟練労働者の姿をみて,同じ職場にいる人は,その人のように仕事をしたい欲求に駆られ,感化される.この感化や欲求はまず持って「ある特定の人間の持つ技術の継承」(前田2001:84)を志向することになる.この継承は単なる技の習得ではなく,その技術を実現できる特定の人間をそのまま受け継ぐことをめざす.究極的には技を通して「人間を継承」(前田2001:97)する.要するにこの継承したいと思う欲求は,仕事の技術を介しながらその人が体現する「立派さ」に惹かれているといえる.つまり,そうありたいと人を奮い立たせるものは,共同体や社会に流布している抽象的な立派さではなく,目の前にいる人の中に見いだされるといえる.そして,自分の中で「かくあるべし」と生きる上での義務を人は人に密かに誓う.この「実際にその義務を果たす上で私たちの心を鼓舞するものは,普遍的な倫理への欲求」(前田2001:99)である.前田(2001)は,こうした仕事を介しながらも人が他者を尊敬し,自分の中にある良心を鼓舞する倫理的な欲求を「職人の倫理」という.また,バウマン(2008)は職人の倫理について「職人の本能は人類の自然な性向である.人類は創造的な存在であり,[…中略…]値札がなければ人間は怠惰なままであり,自分たちの技能や想像力を腐らせ,さび付かせてしまうと考えることは,人間の本性をひどく損なうものである.職人の倫理はそうした人間の本性に,近代資本主義社会で形成され,確立された労働倫理が否定した,尊厳や社会的に承認される事の意義を取り戻すだろう」(バウマン2008:225-226)と.つまり,技倆の継承を通じた人間の継承が連綿と続いてきたという,人間の連帯感が仕事を守り,人を活かしてきたのではないだろうか.
 その意味で福祉労働者がまずもって学ぶべきは,良い実践をしている熟練福祉労働者の技倆ではないか.そして良き実践を行う人に「感化」され,自分もそうなろうと密かに「誓い」,「継承」していくという「連帯」を志向するべきではないだろうか.特に社会福祉施設のような継続的かつ集団的に働く環境にあっては,感化と継承そして連帯は時間をかけて行われやすいと考える.

4.考察
 社会福祉労働は制度やイデオロギーの影響を受ける(加藤2002).現在,福祉サービスのマニュアル化と表層化は,労働条件や環境の悪化とセットになり,悪循環を生み出している.また,同職する職員間の連帯よりもとかく,顧客(利用者)との関係性に特化した個人的なスキルや力量の向上に目が行きがちである.人材育成も施設管理の内面化を意図した「用意された研修」の意味合いが強い.それに対して,本研究では,身近な職員から学び,感化され,連帯すること.それは現在福祉現場に広がる非熟練化やマニュアル化に対抗できるのではないか.あるいは,内部での連帯は外部が求める忠誠心ではなく,本来ある労働者の尊厳や誇りを取り戻すのではないか.また技倆を求める姿に,仕事の範囲が限局化された中で主体性が強要されるのではなく,本来労働に見られた仕事の全体性をもたらすのではないかと考える.そして,そうした全体性が確保されることをきっかけに,個々の社会福祉施設労働者は内発性を持って専門職たろうと志すことが出来るのではないかと考える.
 さらに現在,資格取得や学歴が重視されがちである.キャリア志向は福祉現場の専門職性向上に大きく寄与しうるだろう.しかし,時に無資格者や低学歴者の軽視への作用もあると考える.言い換えると,それは外部に用意された他者承認と虚栄心につながっているのではないか(今村1998)30).この虚栄心は「お前はわるい,ゆえに私はよい」(渋谷2003:224)とするスタイルをとり,他者への批判や否定を通して自分を肯定(価値化)する.それは,誰かに承認されたがり,それによって安堵する心情の裏返しである.
 しかし,職人の倫理に基づく姿勢は他者の承認を必要としない.また,他者を否定することで自分の行っていることを正当化しない.その姿勢とは影響を受けた人は,与えた人を肯定し,そして自分が志す仕事を肯定する.それは内在的な自己肯定であり「ひとかどの者」として自己を価値化するのである(渋谷2003).そうした仕事ぶりの中に労働者としての尊厳や誇りが生まれと考える.その意味で,社会福祉施設労働者の専門職性追求は,日々の業務と仲間,先輩という人との連帯の中にあると言える.

5.おわりに・今後の課題
 筆者が勤務している福祉施設では,まだ資格制度が確立していなかった時代から30年,40年と勤め続けている人々が同職している.彼らの利用者への熟達した関わり方は自分の仕事のあり方を考える上でいつも学ぶところが多い.彼らは,基本的にこうしなさいとか,こうすればよいとはめったに言わない.しかし,その後ろ姿は,仕事の正しさを雄弁に語る.彼らのような職人がいたからこそ,彼らのような仕事をしたい,あるいはそれを乗り越えてよりよい仕事をしたいという具体性をもって働くことが出来るのではないだろうか.それがあるから,後に続く人たちがそこで働き続けるのではないだろうか.とはいえ,それでもある日突然リストラや倒産などが行われるのも現状としてあり得る.しかし,だからこそ仕事に対する誠実さを失ってはいけないと考える.それは生きる上での誠実さでもあるからである.その意味で,身近にいる職人的な仕事をしている人々から学ぶものは多いと考える.
 今後の課題として,ではより具体的な意味での技倆とはいかなるものか.それはどのような価値観や対象観を持つべきなのかなどの考察が出来なかった.また,専門職性の考察では,経験知や暗黙知など科学的根拠を見いだすことが難しい内容を含んでいる.これらのことについて今後更に研究を進めていきたい.


1) 藤原では,平成18年度の「事業所実態調査及び介護労働者の就業意識調査」から離職率,働く上での悩みなどを抜粋.このほか,福祉労働を扱う先行研究では,離職率と同時に,低賃金,労働密度の高さが挙げられる.
2) 特に介護未経験者確保等助成金を指す,各行政が,介護職人材確保事業として実施しているが,予想される応募よりも少ない結果であることが報道されている.
http://www.mhlw.go.jp/bunya/seikatsuhogo/fukusijinzai_kakuho02/index.html
3) 真田は,労働過程の中での社会福祉技術は対人間,相互性,社会性に裏打ちされたものであることを.植田は障害者自立支援法下での福祉実践の専門性を日常業務の所作と根拠について考察.大野は,生活アセスメントから専門性を抽出.この他日常業務に内在する専門性追求は多数の先行研究で行われていることが確認できる.
4) バウマンは,労働市場の作業の中で形成される労働倫理を,職人の倫理に置き換える必要があること.前田は,職人として働くことは,人間の本性として自然なことであることを論じる.
5) 秋山(2005:206)では,「専門性」は専門職性の基礎となる「学問・研究レベル」の課題を持ち,抽象度が高い項目が要点となる.「専門職性」は「職業のレベル」の課題を持ち,社会における「職業としての専門職」としての要点項目が多い』と論じる.横山は秋山智久,仲代優一,京極高宣,大橋謙策の定義を吟味,対人援助専門職として,明確な内的枠組み(知識,価値),倫理観,援助関係構築のための態度,目標などを挙げている.
6) では,主流ではない権力とは何か.渋谷は,主導権を握っている権力がニューライトであれば,劣勢に立たされているのは,ニューレフト,文化を通じた政治や抵抗の可能性を提示する文化左翼,フォーディズム,福祉国家,規律権力,生産社会であると指摘する.
7) 浅井は,新自由主義は,福祉国家が怠け者を多数生みだし,先進各国を悩ます財政赤字を生み出した(大きな政府の失敗)とする反省に立ち,福祉予算の削減と怠け者の自立を促すこと.供給側の生産強化のための減税を行い,企業の自由に任せる消費社会を目標にしたと.
8) 黒田は,新自由主義が日本に導入されてから小泉政権までを第4期にして分け,中曽根政権は第一期としている.
9) 太郎丸は,様々な国家のレジームを分析し,日本は自由主義レジームに近づいていることを分析.若者にとっては最悪の福祉レジームであると同時に,社会福祉の商品化とセーフティネットの脆弱さがある面容認されていることを論じている.
10) このほか,行政の責任の縮小による悪質な事業者の参集,介護報酬の不正受給を招いたことなどを指摘している.
11) 齋藤は,このポスト・フォーディズムという生産システムは,しばしば日本的生産システム(特にトヨタイズムが代表的である)が大きな影響を与えたとし,日本における代表的な理論「知的熟練論」を経営,生産管理,マネジメントの面から詳細に分析している.
12) 渋谷は,その代表例としてQCサークルを挙げている.QCサークルによる研鑽から,労働者一人一人に自発性,企業経営への参画等を喚起させる.そのことによって,労働者という意識?企業と対立・対等な立場(賃金を得る)を堅持するよりも,一人一人が経営者のように振る舞うことの大切さを内部に働きかける.それは労働というカテゴリーを消失させ,結局は権力?企業に従属させることを指摘している.
13) いわゆるチームコンセプトであっても,トップダウンで行われる以上,緩やかな管理がなされるし,経営者の意図や目標達成のために現場監督が意見調整をし,行っているに過ぎないことを指摘している.
14) 特に,豊田は措置制度の果たした役割を再検討し,措置制度は公的責任,無差別平等の原則,最低生活の保障を具現化したものであること.措置施設職員の給与保障をなしてきたことなどを論じている.
15) EBMと反省的学問理論の両方の視点を持つべきである論を展開しつつ,EBMにおけるデータベースの蓄積と循環それ自体は,専門性を高めたい意図があるとされる.
16) 例えば,崎山(2007:157)において「そこでは笑顔ではなく,「笑顔」という意味を与えられたコードの維持が重要なのであり,それは「客に対して笑顔で接すること」を強いられ労働する人々に対して以外に何に対しても「関係を持たない」ような物神性を有する「使用価値」に転化されてしまっている」ことを指摘している.
17) 長谷川は,ホックシールドの感情疎外論を丁寧に分析し,介助する側の感情管理と表層演技と深層演技の関係について分析している.
18) 例えば,利用者からの依頼を常に受容することが慣行化されると,それ自体が労働強化となる.本来利用者ができることまでついつい手助けしてしまう.あるいは,本来行う必要のない雑用まで依頼されるといった従属化がなされる.かといって,利用者の健康や質を尊重するならば,単にこれらの要求を切り捨てることも出来ない.その結果,利用者との距離の取り方自体が分からなくなる.
19) 松川は,ケアワーク特にホームヘルプ職の労働管理戦略は,ある意味でポスト・フォーディズムの究極の形態であると位置付ける.ホームヘルプサービスは柔軟性,自己裁量性,孤立性などが合わさり,利用者の潜在性のニーズを探り,生理的レベルのみならず,情緒的レベルの満足度を高めることが求められていることを分析.
20) ケアが私事性・親密性を担ってきたのが女性であること.親密性・私事性がジェンターとして社会的支配関係と強い磁力で結びつけられている現実などを考察.
21) 杉村は,こうした生活全般に責任を持って仕事をすることを,インテグリティと呼ぶ.これは,人間の一生は変化し拡大する環境に対して筋道を取り戻そうとする努力の繰り返しの中で,人格の一貫性・全体性・誠実性の保持を求めるものである.
22) 数少ないながらも,西川は上司-部下という対比で人材育成をするのではなく,先輩-後輩の関係性の中で相互学習や経験の伝承などの育成が良い等を論じている.
23) 福祉職は,事務系の仕事は違い,テーラー的な分業原理とは異なる熟練特性がある?発展するプロセスをたどり,マニュアル化が困難であり,すべてが個別的で一回性を持つことなどを挙げている.
24) 例えば,石井(2004:85)において,「…どちらかというと現実的な価値観の確立が主となる職人気質のようなものが育ち,セールスを主とする職業人のような人や表現お上手のような人が少ないようにと感じる」など.大概,教育し育成することに対しての意識喚起として使われる.
25) 別の見方として,横田は,理論形成をするのは研究者であり,施設従事者の実践は研究者の理論形成のための道具でしかない.本質的に,研究者と福祉従事者には権力関係にある.実践者が理論無き実践を行えば,「暴力だ」と非難されるが,その反面研究者の方に実践の視点が欠けている場合,せいぜいその理論は「無力である」と言われる程度である.さらに,いくら実践者と親密な関係を研究者が築いても,その現場に様々な影響を残したあげく,結局はその場を去っていくのである.三島は,科学的根拠の確立との対比で職人芸を取り上げてきた歴史を俯瞰する.
26) 例えば「熟練した実践者が,「自ら進んで直感的に現場文脈の解釈・理解を行い,ある種の揺るぎなさと有能感を伴って,不確かで複雑な状況を自在かつ独創的に変化させていく」(横田2007:8)など
27) 例えば,「日常業務の細部には援助者として様々な思いや試行錯誤(援助技術を包含)がある.そしてそれは日常という連続体の中で,連綿と積み重ねられていく中で,その援助者だけが行える専門技術が形成される」(熊谷2009a:83)など,業務には創造的な営みがあることを論じた.
28) 加茂陽と横田恵子の日常性におけるソーシャルワークについての議論.参考にした部分は,横田の言説.横田は,利用者の持つ価値観や認識が日常に微妙に亀裂を入れ,相互作用をもたらしていること.そして,援助者も利用者も相互に変容していくことを述べている.
29) ケアの倫理は最後に無差別の生の肯定に行き着く.その倫理性を意識することが出来るならば,それは個(利用者)と個(職員)の閉鎖的な関係ではなく,社会に開かれた行為であることを意識できる.これが福祉職の社会的有用性であると考える.
30) 今村は広範囲な資料を読み込み,労働倫理の観点から,近代の労働は他者からの承認を羨望する虚栄心によって支えられていると考察している.例えば「「なんて上手なんでしょう」と褒められるためのみ労働するのである.そして人間はそうした虚栄の行動をけっしてむなしいと思わないで,虚栄心を自尊心と言い換えて[…中略…]「充実した人生」があると強烈に確信している」(今村1998:139)など.

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ジグムント・バウマン:著・伊藤茂・訳(2008)『新しい貧困』青土社

One consideration concerning the Professionals Characteristics of the social welfare institution worker

Kazufumi KUMAGAI

The working environment system, Neoliberalism (industrial plan) of a present main current, and post-Fordism (production form) have dissolved the professionals characteristic of social welfare worker.
Neoliberalism is applied and considered the focus to commercializing, fragmenting, and the worker's making to the manual. As for post-Fordism, the hand considered Emotional labor theory to hanging. It was common, and Neoliberalism and post-Fordism promoted fluidizing and making of labor flexible. Therefore, consistency and continuance (=Professionals characteristic) to which it was peculiar in Social welfare institution worker were originally dissolved.
Meanwhile, and Ethics of craftsman is considered to the clue it would be possible to work while very holding the profession. The capability, the influence, succession, and unity were considered in craftsman's ethics. Moreover, Ethics of craftsman do not need approval because of the outside on the inside the departure. It is easy for the influence and unity to be done spending time because social welfare facilities work in the group. The fact that the person is connected to the person is Professionals Characteristics of the social welfare institution worker.

Key Word: Neoliberalism, post-Fordism, Ethics of craftsman

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