救護施設〜最底辺の社会福祉施設からのレポート
「福祉books5;一番ヶ瀬康子、太田貞司、緒方力、田中寿美子」
コメント
要点
現代社会と救護施設
生活保護と救護施設
歴史的な経緯を辿って
現在の状況
緊急入所
ちょっとしたコメント
この本は、1980年代に書かれたもので、当時、私が救護施設に勤めていたことから、読んだ本です。関連文献についても、驚く程、少なく、書かれていても、申し訳程度のものばかりで、唯一出版されたものとして、90年代も終わり、2000年になってしまいました。この後、救護施設の文献や書籍が増えるということはあまり想像できないのですが、まさに、福祉を考える上で、最もコアな部分であると思われます。
今読み返すと、もとろん疑問や制度的に変わってきたところもありますが、(精神保健法、介護保険など)施設のもつ歴史的なことに関する記述は、未だに古くて新しい問題であると思われます。
以下、引用です。
「救護施設はホームレスの障害者の福祉施設といってよいだろう。障害者にとって、住むところがなくなったり、急に介護する人がいなくなり自分の家に住めなくなったりしたときは、おおかたの場合、老人病院や精神病院などの病院、あるいは救護施設などの福祉施設に行くのが現状だ。障害者もなるべく地域に住み続けられるようにしようという取組が遅れているからである。」(1988年版 『住宅白書』ドメス出版、p40)
私は、少なくとも、次の3点は、まず注目すべき点であろうと考える。
- いわゆる家族制度更に家族主義が、戦後は、親族扶養の原則につながり、そのことが生活保護法における施設収容をあくまで副次的なものに限定している。それが一種の差別を生み、懲戒的な処遇あるいは利用者への圧迫になっていたのではないだろうか
- 戦前、戦後ともにいずれも施設とりわけ救護施設は、あくまでも措置による収容施設であるという点である。現在ほかの社会福祉施設はすでに入所に変ってきているのに、生活保護施設ではいまだにそのままである。…基本的な視点が変っていないことを意味するといえよう。
- 非連続的な点は、戦前に比べて、いわゆる、救護概念が狭隘化され、より限定されてきたという点である。結果として、更正できないと判断されたものを救護に閉じ込めることになっているのである。いずれにしても、救護施設は社会の進展から二重、三重取り残された人々の最後にたどり着く施設である。分類不能と決めつけられ、処遇を高める必要性を認められていないものとして扱われている施設である。言い替えれば、社会福祉の最底辺のしかも極限で差別された施設であり、棄民の施設であったといえようか。
- 日本人の生活解体化、貧困かがむしろ進んでいることの反映である。いわゆる生活解体化、貧困化は家庭の崩壊を媒介にして確実に進んでいるのである。いったいどのような人々が、そこにどんな過程を経て収容されてきたのであろうか。その過程を貫く人々の生活史の確認によって、それはより明確に示されている。
- これだけ一見豊かな社会のなかで、労働力となりえない人々、あるいはひとたび障害を荷って労働過程からはずれた人々にたいして、日本の社会福祉さらに社会保障がいかに立ち遅れてきたかということを物語る。
- 現行社会福祉制度それ自体の問題もある。…(中略)。最低基準の低さ、施設設置に金がかるなどの理由で、安易にたてられた経緯がある。
- 日本の社会福祉制度のなかで最もたちおくれ欠落していた精神障害者の福祉が、とくに救護施設には大きく浮かび上がってきている。それは、緊急救護施設問題などに象徴されているばかりでなく、…(中略)、現在の障害者福祉に制度上なじみにくい、重複障害者の場合も同じである。
なお、以上の点のなかで、内在的に捉えないといけない問題は、日本ではいまだに障害者に関して家族制度の名残が強く存在しているという点である。そのため、障害者は家の恥じとして長く隠されながら、いよいよ家族で扶養あるいは介護できなくなると放り出される。結局、救護施設にしかも家族から遠くはなれたところに、いわゆる廃人として、分断、隔離されてしまうのである。このことは、精神障害者さらに精神寛解者の場合、最も厳しくたち現われてくるけいこうであるが、身体障害者の場合も、同様のことがいえる。
生活保護と救護施設の問題について
- 生活保護法における基本理念であるいわば自立助長と救護施設における救護の現実の矛盾である。つまりもし自立を助長するならば、そのために必要な処遇、あるいは治療、そらにその他の援助をなすべきであろう。しかし、そのための設備、配慮は身体障害者福祉の諸施設にくらべて、きわめて乏しい。それは、制定当時から救護施設がいわゆる廃人を対象という意味において、つまり自立に対してきわめて否定的また消極的な意図が為政者にあったためであろう。しかし、その後障害者福祉、リハビリテーションその他の進展にともない、とりわけ心身障害者対策基本法の制定以来、あらゆる障害者の真の意味での自立を目指した福祉の在り方への基本理念が明確化、立法化されてきたのである。…(中略)。とすれば、生活保護法のなかにおける自立助長の概念を救護施設においても積極的に貫き、さらにより有効化するために努力することは、当然国各責任のもとでの今日的な課題であるといってよい。
- 救護施設の措置費に影響する現在の生活保護基準とりわけ生活扶助基準それ自体の定めかたにも矛盾がある。ことに今の生活保護基準のその基礎になった資料というのは、総理府家計調査である。この場合に、問題がいくつかある。その一つは、総理府家計調査のいわば消費実態というのは、
- いわゆるストック、つまり住宅の所得状況などはまったく無視されて、それらを前提としたうえでの家計支出調査であるということである。生活の質について何ら考慮がなされていないということである。生活の質の面で、
- すでにどのくらいの貯蓄がなされているのかどうかという状態が、まったく抜きにされて月々の消費支出だけで比較されても、それは意味がないものといえよう。
- 生活保護基準と総理府家計調査は、有業人員一人を含む四人世帯で比較がなされているが、普通生活保護を受けているものは、むしろそれよりも少人数世帯つまり母子世帯や、いわば世帯分離をしているものが多いのである。その場合に、四人で有業者がいる場合と例えば一人で暮らしている場合、その一人当りの必要経費と必要な支出とは、異なるのではないだろうか。むしろ生活保護を受けている人の生活実態を世帯類型で調べ、救護施設で暮らしている人々の状態を把握し、そこから生活扶助基準じたいの構成の仕方などを、検討すべきであろう。
- まず、戦時中の戦時立法による立ち遅れである。それは救護施設の持つ差別的制限的な取扱、画一的救護が、戦時の特殊事情、現実の要請とのずれを補うため、特別法が相次いで制定されるているが、救護施設が目指した公的扶助も、次第に分散化の傾向をたどっている事実である。本来の救護制度の対象者が特別法の枠中に吸収されることになり、いわゆる「不具廃疾者」「病弱者」および「著しい精神、身体の障害があるため、就労が困難なもの」など、きわめて限られた、社会の落伍者のみを救護する特異な制度になり、救護が一般社会より敬遠される原型が、この時期に形成されたといってよい。
- 昭和35-36年の当時の精神薄弱者福祉法、老人福祉法制定期である。身体障害者対策は、戦後まもなく生活保護法の制定と前後して制度化されている。確かに、政策的には専門福祉施設の整備計画のなかからはみ出す重度精神薄弱者や重度心身障害者を合併する。生活保護法に基づき、最低限の生活保障で、包括的に収容保護するだけの施設は、便利であり、経財政もきわめて安上がりであろう。前記の各種福祉立法があいついでなされ、障害福祉の理念が確立された時期に、最も考慮すべき重度、重複障害者が集中する救護施設が障害福祉の視座から置き去りになってしまったのである。
- 昭和45年の心身障害者対策基本法の制定である。この基本法制定により、救護施設対象者も、公的扶助の生活保護法よりも重度、重複障害者が多いだけに、障害福祉の理念に照らして、最も手厚い福祉対策の恩恵に浴すべきであったと考える。
救護施設は、多様化する行政、福祉ニーズに応え、多様な重複、重度障害者を補完的機能を含めて、幅広く受け入れてきているので、一見、総合的なサービス機能を果たしているかに思われる。なるほど、近年の救護施設は、全体的に見てもその整備拡張は目覚ましく、入所者の処遇にしても、かつての、介助、介護だけにあけくれた、画一的処遇から、個別的グループ化の方向へと、きめ細かな処遇がなされて、活気づいていることは認めよう。しかし、個個人の障害ニーズにたいして、他種類のサービスが提供できているかとなると疑問である。実情は、他の専門施設で、障害の治療、訓練、あるいはリハビリテーションの必要がなくなった症状固定者や単一障害でなく障害が複合しかつ重度であるために措置を断わられた者、…(中略)、多様な障害、社会的ハンデイキャップを持つ人達を混合収容してはいても、設備、人員、体制面で専門的なアプローチが期待されるまでには到達していないと考える。
精神障害者(寛解)の緊急入所について、
救護施設への入居者のかなりの割合が、精神寛解者である今日、精神保健法との関係を地域のなかで改めて検討していく時期にきているように思われる。ことにそれは精神障害者のいわゆる住宅問題や、生活寮などとの関連もある。さらに、いわゆるケアつき共同住宅の必要性も生じてきている。
以上のことを考えたときに、当然出てくる問題は、いわゆる救護施設内におけるケアの在り方、つまり救護の在り方について、積極的な検討が必要になってくるという点である。住宅保障の欠落という決定的な日本の社会保障の欠陥と精神障害者福祉の未発達の状況のなかで、それらの点を是正しない限り、まるで底の壊れた樽から水が漏れるように、問題は生じてくる。あるいは、それがたとえ整ったとしても、制度に当てはまらない問題を担った個々の人々の最後の受け皿として、救護施設は存在し続けていくことになるのではないだろうか。救護施設が、ホームレスの真のホームを作り出す方向で、どう脱皮するか、どのような方向に向かうかは、まさにこれからの問題であろう。世紀末の病理が深まるなかで、私たちが何を取り戻さなければならないかを、示唆してくれるのではないだろうか。また、低劣な日本の社会福祉の在り方を、根底から底上げし、意識改革を迫る突破口にもなる。そう考えている。
緊急救護施設というのは、一般には、緊急一時保護と混合されやすいが、本来は、救護施設のなかで、とくに精神障害を持ち、また寛解状態に達した精神障害回復者を、専門的に収容保護するために、緊急に整備された施設のことである。しかし、精神科医の根強い批判や反対にあい、また、乏しい医療体制に起因する施設側の処遇困難などのために、やむなく、他業種施設に転嫁したり、一般救護施設への切り替えなどの動きが出て、その数は半減してしまった。単に、救護施設の運営を困難にしているばかりでなく、精神障害回復者にとっては、緊急救護施設で専門的に、かつ集中的に社会自立を目指して社会復帰訓練を受けれた機会を奪い去られたと同じ結果を招いている。