序章
はじめに
「施設で働き続けることの誇りや喜びはどこにあるのか」
本論は、社会福祉援助技術現場実習(以下、社会福祉士実習)に来た大学生が発した上記の問いかけに対し、現時点で示しうる返答である。
社会福祉士実習を行うには、広範で多様な専門知識の積み重ねを経て最終的に行われる実習である。そのため、特に大学生にとって現場実習の意味は大きい。なぜなら、今まで学んだ学問がどのように現場で活かされているのか。学問の有用性と現場と理論の橋渡しを自己に見いだす使命感がある。学問の有用性を見いだし得ないとすれば、今までやってきたことのすべてが無駄であると思うことになるだけに、なんとか現場に専門性の手応えをつかみたいという気持ちが強い。さらに、卒業後の就職として現場を見た場合、これまで学んできたことの何が現場で活かせるかを試行する機会でもある。
ところで、現場−特に福祉施設の業務は単調である。少なくても筆者が勤務している知的障害児施設では、見守りと称して何もせず、ずっと同じ場所に職員が座っている時間が多い。あるいは、日常業務は生活過程に関わる仕事であり、排泄・入浴・食事・移動に大半が費やされている。そこには社会福祉士の求める専門性やソーシャルワークを見いだすのは困難である。
日常業務が単調であっても専門性の所在が不明確であっても、長年勤めていると慣れてくるもので、あまり気にならなくなる。これが仕事であると。いつしか、ゆっくりと確実に埋没していく。埋没していきながら、最後には自分のやっていることに無批判になり、仕事はもっぱら給料をもらうだけの手段となる。しかし、本当は埋没などはしたくないはずである。むしろ仕事に楽しさを見いだし、やりがいを得たいと考える。なぜなら、福祉従事者のみならず、社会人は一日の大半の時間は労働に費やされている。仕事に自己の生き甲斐を見いだすのは社会的な存在たる人間の本性でもある1。ただ給料をもらう手段と課した仕事には創造性も喜びもない。特に、福祉施設は毎日が生活のルーティンワークであるから、仕事がつまらなくなるのは簡単である。
社会福祉士実習に来た学生の問いかけは、シンプルであったが、深刻なものであった。その問いかけは様々な要素を含んでいた。ただ利用者と関わるのが好きだからだけでは済まされないものであった。その問いかけは、実習生にとって重要なことであると同時に我々福祉労働者にとっても重要なことである。働き続けることの誇りや喜びは、仕事自体に自分の価値を見いだし続ける何かを把持することによってもたらされる。
本論は、この問いを根幹におきながら、福祉従事者をめぐる多様な言説を整理し、再構築していく。再構築の作業は、労働者としての自律性の獲得を指向する。なぜなら、自己が自律2して働いていると確認ができなければ、労働に喜びも誇りも感じることはないからである。
研究目的
福祉施設をめぐる言説は、専門性の有無について多く論じられる。専門性の発揮とは、特に、実用性の観点から対人援助技術、昨今では、ケアプランやマネイジメント技法が論じられることが多い。また、専門性の不在に関しては「あるべき論」が先行し、それがどのように実践されうるのかということが論じられない傾向がある。少なくても、施設従事者にとって、専門性とは、実用性という観点から技法・マニュアルに収斂している。
ところで、福祉施設は多様な要素がある。それは、いわゆる間接援助技術で言うところの、管理、教育、調整だけではない。労働者と雇用者の関係、専門職としての対象理解やシステム的視点、働きがいを支える倫理などである。そして、なにより福祉施設は、組織の中で様々な運動体がある。利用者と援助者だけはなく、同僚対同僚、部下対上司、雇用者対被雇用者などである。さらに、一職員の中にも様々な要素がある。賃金労働者の自分、専門性をめざす自分、倫理性に根拠を求める自分などである。その他にも様々な要素はある。しかし、組織の中で働く自分の自律性を考えると、単に利用者対自分だけでは専門性を発揮することはできない。広く社会的な諸要素に目配せをして、自分なりに職業人としての価値を構築することが必要になる。
論文という形式を取る以上、何かを照射して、何かを棄てることは避けられない。とはいえ、労働論、組織の中での専門性の発揮のあり方、福祉の倫理などの諸要素を結合させ、できるだけ包括的に、福祉施設の働きがいを述べていくことを目的とする。
研究対象
研究対象は、福祉施設現場である。あるいは、現場を巡る言説の吟味である。なお、筆者は現在、知的障害児施設に勤務している。そのため、その近接の範囲として、障害者福祉関係が中心の論述となる。とはいえ、必要に応じ高齢者福祉関係についても言及し、広く論じることとする。
研究方法