本棚
06.1.20 『ゲームを斬る』
安田均
新紀元社
2006

久しぶりにコレクタブルな本を見つけた。作者は、日本における非電源(アナログ)ゲームの草分け的な存在。これまでもボードゲームやTRPGなどの解説本をいくつか出してきた。彼の場合は、単に作品の紹介やシステムだけに止まらず、その背景にある小説世界やこれまで積み重ねられてきたゲームそのものの流れの中でその作品を紹介する。つまり、膨大な知識に裏付けられた内容となっている。とはいっても、いかにも難しそうにもったいつけて書くのではなく、初心者でも面白いよとさりげなく勧めるソフトな語り口調で全然嫌みではない。
本書は、その時々の雑誌やWEBに掲載してきたものをまとめたもの。そして、2000年から2005年の最新のボードゲーム状況やTRPGの紹介をしている。主に、ボードゲームの方に重きを置いているのは仕方がない。というのも、2000年から2004年まで大手の玩具店もボードゲームの復刻に力を入れていて、作者はその提灯記事を多く書いていたからである。とはいえ、その含蓄は、荒俣宏ばりの博学と内容の深さと豊かさを持っている。
この本一冊で、最近のボードゲーム(海外)事情がよく分かる。お薦めの一品である。

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2005.12
06.1.10 『生と権力の哲学』
檜垣立哉
ちくま新書
2006

渋谷望『魂の労働』(青土社)とかポストコロニアル、批評理論などの知見を取り入れながら現代を鋭く抉っている。フーコーを基点にして、ネグリやドゥルーズを絡め、いまの管理社会におけるカウンターの定点を探っている。現代は、すべてを肯定して、多様性を許容し、自由に生きる権利を与えているように見える。好きなように生きることもできる。職業の選択、結婚、ライフプラン、そうしたものはすべて自己決定をして自己選択をしている。
しかし、そこには生きることを管理する権力が常に絶え間なく働いていることを見逃してはいけない。そして、その権力は外からではなく、自分の中から、他人や自己を縛り付けているのである。というのは、少し前までの定説である。本書ではさらに踏み込んで、例え、そうした管理されている眼差しに気がついたとしても、もっと大きな意味で人々は管理されていること。さらに、こうした管理を糾弾し、より良い自由を求めるようなビジョンを描いても、そのビジョンに絡め囚われて結局の所、自己の権力に屈する形になることを突き止める。
福祉業界では、利用者の主体性や自由を尊重するあまり、障害を客体化し、社会の明るみの中で配置する。それは一見解放という形を取るものの、徹底的に障害者は対象化され、社会に組み込まれることになる。つまり、決定的な不自由さを持ち込むことになる。
では、どのように振る舞うと良いのか。そこには応えはないが、本書では、書くことを通して、作者はかなり勉強したんだナァという印象を持つ。資料を吟味し、思考を重ね、批判を自らの中で受け止めて咀嚼したのが伺える良著である。

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2005.12
06.1.1 『病いの哲学』
小泉義之
ちくま新書
2006

作者はなかなか過激な哲学者である。しかし、言っていることは正しいし、そして強いメッセージとベクトルを持っている。ある意味、突き抜けている。論点は明快である。死にかけている人にも固有の生命を持っている。しかし、病み衰えている末期の人は死ぬしかないと考える一般的な見方がある。この考えに鉈を振り下ろし、死にかけている人の生を肯定する。
前に、『生殖の哲学』(河出書房新社)を書いてもいる人で、いまの生命倫理やテクノロジーの覚悟のなさを一刀両断していた。本書では、ハイデッガー、ソクラテス、レビィナスという大哲学者をこき下ろし、カウンターとして、フーコー、パスカルなどの哲学者を引き合いに出し、病人の生を深い意味で肯定していく。
ところで、福祉は突き詰めていけば、こうした生命倫理にまで降りていける学問である。よりよい死に方を模索するのではなく、障害者も痴呆老人もより良い生を享受するために働く職業のはずである。しかし、我々はそうした対象者を管理し、彼らの豊かな生を見つめているとは言えないのではないだろうか。あるいは、より良い死に方を、後味の悪くない程度に親切にしておこうと考えてはないだろうか。
そういう意味で、新書では、難しい部類の本ではあるが、一読をお薦めする。

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2005.12