洗  足  池 (公園)
(2007.12.11)

 
広さが30万平方メートル余りの湧水池で流れ込む川はない。昔から風光明媚な池として知られ、江戸の頃には安藤広重の絵になって、江戸近郊の名勝として有名であった。 また病気治療のため身延山を下りた日蓮が池上宗仲の屋敷に向かう途中でこの池に立ち寄って足を洗ったという伝説があり、 その時に袈裟をかけたと言われる”袈裟掛けの松”(ただし3代目)も残っている。 かつては”千束の大池”と呼ばれていたらしいが、日蓮にまつわる伝説によって、いつの間にか”洗足池(せんぞくいけ)”と呼ばれるようになったという。 現在は大田区立の公園(洗足池公園)となっていて、手漕ぎや足漕ぎのボートが浮かび、洒落たレストランもあって、家族連れで訪れる人も多い。 また東京でも有数の桜の名所なので、花見時には大変な賑わいとなる。
 余談になるが私もここで花見をしたことがあり、運悪く花冷えにぶつかって震えながら冷たいビールを飲んだ記憶がある。

 1860年(万延元年)に咸臨丸で渡米、その後江戸幕府の軍艦奉行と陸軍総裁を兼任し、西郷隆盛との話し合いで江戸城の無血開城を果たしたことなどで知られる 勝海舟(夫妻)の墓所が洗足池東岸にあり、大田区の文化財となっている。
 海舟は洗足池の風光がたいそうお気に入りで、晩年になってこの地に別荘を建てて千束軒と呼び西郷隆盛と国の将来などについて語り合ったという。 墓も海舟の遺言によって建てられたものである。

 勝海舟の墓所に隣接して西郷隆盛留魂碑がある。西南戦争で隆盛が戦死したとき、その死を悼んだ勝海舟が自費を投じて当時の東京府南葛飾郡の浄光院という寺に碑を建てた。ところが1913年(大正2年)に荒川の改修工事があり、碑のあった所が河川敷になることになったために現在の場所に移されたものである。碑には隆盛の漢詩が刻まれている。

 池の西岸に千束八幡神社があり、1184年(元暦元年)の宇治川の合戦で磨墨に乗ずる梶原景季と先陣争いをした佐々木高綱の愛馬”池月”(いけづき)の伝説が残っていて、境内に池月の像がつくられている。
 相州石橋山の戦いに敗れて安房へ逃げた源頼朝が、再び挙兵して鎌倉に向かう途中、この洗足池で宿営した。そのとき一頭の駿馬が捕らえられて頼朝に献上された。それが”池月”だということである。
 なお、ここからそう遠くない距離に磨墨塚がある。

 
参考資料:学生社刊 大田区史跡散歩


所 在 地 東京都大田区南千束2丁目
交   通 東急池上線洗足池駅下車 徒歩5分