クロファードの報告2
1795年10月26日
リンブルクの司令部、10月26日
閣下、
ケルンへ行軍していたジュールダン将軍の左翼縦隊が、ノイヴィートへ退却した全兵士たちと同様、ラインを渡ったことを閣下に謹んでお知らせします。
いまや集結した異なる部隊の報告によれば、オーストリア軍は敵の退却の間、全部で捕虜4000人、大砲30門、弾薬車200両を奪ったようです。敵は運び出す時間のなかった大量の軍事物資を破却しました。彼らの死傷者数を正確に推測するのは不可能ですが、特に彼らに対して多くの場所で農民たちが蜂起しているため、その数はかなりのものになるはずです。この機にフランス軍が行軍した地域全ては、彼らの略奪行為を示す明白な痕跡を残しています。この侵攻を嘆く十分な理由が無い村はなく、そうした家もほとんどないと言っていいでしょう。その期間が短かったとはいえ、その影響は今後長年にわたって感じられるであろうからです。
住民は牛、穀物、そして何であれ発見された価値あるものを略奪されました。多くの場所で持ち去れないものは破壊されました。女子供ですら殺されました。要するに明白なやり方で証明されている多様な残虐行為のみが、人々にあらゆる人道的な感情を失わせることにつながったのです。
国境線におり、防御を提供する目的で様々な場所に駐留していたプロイセン兵の守備隊は、恨みと侮辱の言い回しとともにフランス軍から虐待され追い払われました。
敬具
C・クロファード
グレンヴィル卿殿
google book "A collection of state papers, Vol. III. Part II." London Gazette p46
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