1801年
戦争は事実上この年で終わった。対仏大同盟は再び崩壊し、わずかに残ったイギリスでも対仏強硬派の代表であるピットが辞任した。欧州から見れば辺境に当たる地域で続いていた戦いも終結し、平和への動きが広がっていた。既に革命は終わっていた。革命のために行われていた戦争もまた終了しようとしていた。
この戦争の間に、フランス軍は完全に様変わりしていた。戦争が始まった時に存在していたかつての国王の常備軍、志願兵、そして危機に応じて集められた徴募兵などの区別はすでに消えており、その兵士たちも以前のような訓練は受けていないが情熱だけあるような者ではなかった。そこには10年近くに渡って戦い続けたベテランの兵士たちとプロフェッショナルな軍隊とが残っていた。
勝利を重ねることで権力に近づいた男が、今やその軍隊を縦横無尽に扱える地位にたどり着いていた。彼にとって勝利は権力維持のために必要なものであった。そして彼の下には、革命の10年間によって欧州で最も強くなっていた軍隊が存在した。それは近代的な意味での国民軍だった。
・1801年/戦線
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イタリア戦線
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地中海・中近東
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植民地戦争
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・1801年/年表
2月8日
イギリスのピット首相辞任
2月9日
リュネヴィル条約、フランスとオーストリアの講和
2月21日
イギリスの金融経済危機
3月18日
フィレンツェ条約、フランスとナポリの講和
3月24日
ロシア皇帝パーヴェル1世暗殺
7月16日
コンコルダ調印
10月1日
ロンドンの予備協定調印、フランスとイギリス講和へ前進
10月8日
フランスとロシアが和平条約
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