1799年



 ジュールダン法は前年に成立していたものの、運用開始はこの年からだった。そのため第二次対仏大同盟との戦争が始まった時、フランス軍の全兵力はわずか28万人しかいなかった。各戦線で数に勝る連合軍はフランスを圧倒し、これを次々と打ち破った。フランス軍は退却した。だが、実はそれだけ後退してもなおフランス軍は自然国境の外にいたのである。敗北はフランス人の危機というより、国内権力基盤の弱い総裁政府の危機であった。

 その機会に乗じたのが、中近東に遠征していたはずのボナパルト将軍であった。彼はより強力な政権作りを目論む政治家と組み、クーデターを策謀した。いまや軍人が政治を左右する立場に立っていた。ブリュメール18日、議場に兵隊を突入させたボナパルトはついに権力をその手中に収めた。一般に彼が権力を握ったこの時をもってフランス革命は終了したと見なされている。

 連合軍の攻勢が止まったのはボナパルトが権力を握ったからではない。互いの思惑の違いなどから連携に齟齬をきたした対仏大同盟は個々の戦場でフランス軍の兵力を下回る状態になり、結果として連合軍はいくつかの敗北を喫した。ロシア軍は事実上この年の年末には同盟を離脱し、状況は再びフランス側有利に傾く。ボナパルトはまだ十分な権力基盤を確立してはいなかったが、彼はより大胆な軍事制度改革を導入しようとする。


・1799年/戦線

[ライン戦線] [イタリア戦線] [スイス戦線] [オランダ戦線] [地中海・中近東] [ナポリ戦線] [植民地戦争]


・1799年/年表

1月26日ナポリ共和国建国宣言
3月12日フランスがオーストリアに宣戦布告
6月18日プレリアル30日のクーデター
6月22日オーストリアとイギリスが同盟調印
10月11日ボナパルトがフランスに帰還
11月9日ブリュメールのクーデター
12月24日執政政府が正式に成立



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