鳳来湖の岩場を愛するクライマーの会 |
2009年3月8日 作成 |
|
|
●「残置規制」は緊急措置として始まった 2000年、岡崎市の鳳来教育林に入っていたクライマーが管理人に立ち入り禁止と言われ、鳳来全体が登れなくなったら大変だと、その場にいたクライマーたちで岩場周辺の糞尿やゴミを掃除し、さらに残置ヌンチャクと残置荷物を回収しました。それらは岩場の登攀禁止になりかねないことへの緊急的な措置として半ば強引に行われました。そして、常連クライマーと、周辺地域のクライマー代表が集まり「鳳来の岩場を愛するクライマーの会」を作りました。会では方針として、岡崎市と正式に交渉して入山できるようにするため、クライマーへ禁止エリアの入山自粛を呼びかけることにしました。そして、ヌンチャクや荷物デポも一時的に禁止としました。また、ボルト破断による事故を防止するために、危険なボルトを打ち替え、終了点の目立つスリングも着色したチェーンに変えるなど、常連クライマーのボランティアで作業が進められていきました。 しかし、その常連クライマーや「愛する会」のメンバーも、人気ルートで危険なボルトの打ち替えがひととおり終わると、ほとんど鳳来へ来なくなりました。そして入山自粛や残置の規制をしたままで、岡崎市とも交渉せず、登りにも来なくなってしまいました。活動は停滞し、最初の問題発生から5年が経ちました。 そのころ鬼岩では、ヌンチャク回収のお願いに従い、雨が降りそうになると、みんな急いで危険極まりない回収をし始め、あわや事故発生かというような光景を目にすることがありました。しかし、お願いを出した側は、こんなに厳密に、しかも長い間守らせることになると誰も思わなかったのでしょう。だから、残置禁止とは言っても、事故が起きるような危険な状況で無理に回収しなくてもいいなどの詳しい説明はしなかったし、高難度ルートに多少残置が残るのは仕方ないが、大勢の中級者がそれをまねするからやはりよくないと、ルートを限定せず、画一的に残置しないように伝えたのだと思います。5年たっても、岩場では回収のお願いが厳密に守られ、そのうえ、暗黙のうちにお互い監視し合うかのような事態になり、なんのための回収かわからなくなっている状態に愕然としました。 3年前に、活動が停滞していた「愛する会」と、現状をなんとかしなければという意思をもったメンバーで現在の新しい「愛する会」が結成されました。来れなくなった人や続ける意思のない人はやめ、本来の目的である岡崎市との交渉を完遂するための再編成でした。市の他部署にクライマーがいたこともあり、すぐに教育林の管理担当課へ話を取り付け、課長と担当者との会議を開くことができました。その後、市の懸念に対する問題を考慮して、制限付きながら入山許可の要望書を提出したものの、1年以上たっても市からの回答はなし。会としてそれ以上の交渉をしない決断を下し、昨年3月、岡崎市教育林への入山自粛のお願いをとりやめました。 その一方、3年前から新城市教育委員会へ説明に行き、アウトドアスポーツによる地域再生に取り組んでいる新城市の推進会議に出席。クライミングという文化や、鳳来の岩場の世界的な価値を説明し、ボルトを打って登る鳳来の岩登りにも一定の理解を得ています。その年の清掃活動には、教育委員会の職員も鬼岩まで歩き、クライミングを見学して理解を深められたと思います。昨年行なった岩場からの救助訓練(セルフレスキュー訓練)には、クライマー30人と新城広域消防の隊員も多く参加され、救出のためのいろいろな情報の擦り合わせをすることができました。 |
||
●現在の鳳来は事故防止が最重要課題 |
||
(鳳来を愛するクライマーの会・南裏保恵)
|