筆者:南裏 健康
掲載:『Free Fan』No.30、2000年9月
 
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まずは、身近なところから

 1980年以降、日本のフリークライミングの場は古くからのゲレンデを離れ、クライマーは時流に適した岩を求め、次々に新しいエリアを開拓していった。それは、今までの様に露岩に新ルートを引くというより、まさに開拓という言葉がぴったりなほど、アプローチの整備からルート完成に至るまで、土木作業に近い行為によって成ったエリアも少なくない。これらの新しい岩場の多くは、開拓者の個人的な細いパイプで地元や地主とつながっていればいいほうで、多くはいつ立ち入り禁止になってもおかしくない状況にある。

岡崎の山

 フリークライミングの先駆者となった世代、いわゆる団塊以降の世代は、政治や社会に無関心になるよう教育されてきた。加えて、フリー至上主義が、上の世代との間に確執を生むこととなり、山岳会などから離れて活動し始め、その世代断絶がいっそう社会性をなくすことにつながった。クライミング自体も、スタイルなどを確立していく試行錯誤の時代であり、今日にぎわった岩場が、明日にはもうだれもこないという風景も見られた。個人にとっては、なおいっそう暫定的なものととらえてクライミングをしてきたことだろう。そういう背景から、地元、地主との交渉などを後回しにしてきた経緯もある。
 そのようなモラトリアム集団であったクライマーも、いい大人になり、今や社会の中核となるような立場の者も多くなった。クライミングの層も広がり、自分達の子供のような世代も岩場へ来るようになった。彼らの将来を考えると、禁止の看板を横目にこそこそと登っているという状況は、精神的にもいい環境とはいえない。それは我々にとっても同じだ。
 約20年がたち、揺籃期が終わって、こういう状況をなんとか打開しなければならない時期がきたのではないだろうか。
 今、我々に何ができるだろうか? 当然ながら、まずは美観に配慮しての行動、環境汚染への配慮、地元の人々へ理解を促すべく、交流をはかる・・・等々。
 他へ理解を促す、その前に、自分がちゃんとクライミングのことを理解しているのか。もっと深く考えてみよう。自分の周囲、身近な家族にさえ理解してもらっていないような状況では、他人に理解を促すことなどできない。自分が本当にクライミングを理解し、人に説明できるくらいでなければ。そしてまずは、自分の家族を理解させておくこと、それがひいてはくだらない訴訟問題につながることを防ぎ、クライミングが文化として社会に受け入れられることにつながる。
 クライマーは、個人の責任においてクライミングを行うという自覚を持つこと。これがクライミングを容認させる、絶対条件となる。
 今、鳳来のことで問題提起があって、なんやかやと動いているが、これを一時的なこととせず、今後も努力を続けていかなければならない。長い道程の第一歩を今踏み出したところだ。

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