棚橋眞作

陸軍大佐

 

略歴

明治27年 3月 7日 岐阜県大垣市出身

           陸軍士官学校 28期

           歩兵三十五連隊に配属

           歩兵第三十六連隊長

           歩兵第七連隊大隊長

昭和17年 3月  日 歩兵第百十二連隊長

昭和21年 2月13日 自決

 

香川縣護國神社

香川県善通寺市

遺影

棚橋眞作 命

棚橋眞作 命は陸軍士官学校卒業(第二十八期)後、歩兵三十五連隊に配属され、シベリヤ出兵

に参戦、歩兵第三十六連隊長を歴任、歩兵第七連隊大隊長として、上海付近及び南京付近の戦闘

に参加し、武功抜群により上海派遣軍司令官 松井石根大将より個人感状を授与される。

殊勲甲 金鵄勲章 功三級

昭和十六年八月 陸軍大佐に任ぜられ、昭和十七年三月 歩兵第百十二連隊長(丸亀連隊)を拝

命し、ビルマ戡定作戦を達成し、次いで第五十五師団の基幹部隊として第一次アキャブ作戦(三

十一号作戦)にて「インデン」付近で英軍第六旅団を殲滅した。

また第二次「アラカン」作戦(ハ号作戦)に於いては「シンゼイワ」に敵第七師団を包囲し、弾

薬糧食等の欠乏にも拘らず、勇戦敢闘された。

後、マラリヤに罹り内地帰還、昭和二十一年二月十三日 熊本県菊池郡西合志町黒石にて自決さ

れた。

 

辞世

國破れ 何の命ぞ たらちねの 弓矢の道を 我は行くなり

 

黒石日吉神社

熊本県菊池郡西合志町

棚橋眞作陸軍大佐 自決の地

 

世紀の自決

更新日:2011/11/27