小野寺謙介

陸軍大尉

小野寺謙介陸軍大尉

 

自決

昭和20年 9月 6日、埼玉県飯能市にある観音寺を訪れ、住職に対して「自決の場所として同寺の墓地

を借りたい」と申し入れた陸軍将校がいた。

自分達将校は作戦を誤ったばかりに、こんなみじめなる敗戦となり、上は天皇陛下のしんきんを悩まし奉

り、下万民にはみじめなる敗戦の苦痛をきっせしめ、今は死をもって御詫び申し上ぐるより他事なきまでに

立ち至りました。どうか自決の場所に境内の一角をお貸し頂きたい。

 

住職は年若くして死することの非を切々と解いたが、青年将校の決意は動かず、住職は止む無くこれを黙

認せざるをえなかった。

やがて墓地の一角に純白の落下傘を敷き、皇軍の将校として責任を達成し得ざりしを東天に謝し、従容と

して切腹し武人としての牢固たる信念を貫いた。

 

陸軍大尉、航空士官学校教官 小野寺謙介。享年二十二歳。

 

観音寺

埼玉県飯能市

  

陸軍大尉小野寺謙介自決の地

碑文

昭和二十年九月六日「敗戦を詫びる」と自刃

陸軍航空士官学校区隊長 享年二十二歳

 

世紀の自決

更新日:2002/01/21