学徒出陣

 

神宮外苑の陸上競技場で行われた「出陣学徒壮行会」

 

学徒徴兵猶予停止

太平洋戦争が始まってから二年余の昭和18年12月、文科系の学生に対する徴兵猶予が勅命

によって停止された。

学校で軍事訓練を受けていた学徒は即戦力として期待された。政府は学徒出陣を国民の戦意

高揚と不満解消に利用し、学徒出陣の壮行会は全国各地で行われた。特に10月21日に東京・

明治神宮外苑の陸上競技場での壮行会は文部省主催で行われ、東條首相兼陸相、嶋田海相

以下65,000人が見守る中を77校の学徒が雨の中を行進し、新聞が大々的に報じた。

 

ペンを捨て銃を取った学徒の総数は何人だったのか。政府機関にも大学にも正確な記録は残さ

れていない。概数として約10万人(陸軍8万、海軍2万)と言われているのみである。

戦死者の数は更に不明で概数さえ示されていない。

敗色濃い前線で彼等が投入されたのは、あらゆる種類の特攻作戦だった。

 

嶋田繁太郎海軍大臣、東條英機総理大臣兼陸軍大臣

 

  

雨の中を行進する出陣学徒                出陣学徒を見送る女子学生

 

国立競技場

東京都渋谷区

  

出陣学徒壮行の地

由来

昭和十八年十月二日、勅令により在学徴集延期臨時特例が交付され、全国の大学、高等学校、

専門学校の文科系学生・生徒の徴兵猶予が停止された。この非常措置により同年十二月、約十

万の学徒がペンを捨てて剣を執り、戦場へ赴くことになった。世に言う「学徒出陣」である。

全国各地で行われた出陣行事と並んで、この年十月二十一日、ここ元・明治神宮外苑競技場に

おいては、文部省主催の下に東京周辺七十七校が参加して「出陣学徒壮行会」が挙行された。

折からの秋雨をついて分列行進する出陣学徒、スタンドを埋め尽くした後輩、女子学生。征く者

と送る者が一体となって、しばしあたりは感動に包まれ、ラジオ、新聞、ニュース映画はこぞって

その実況を報道した。翌十九年にはさらに徴兵適齢の引き下げにより、残った文科系男子およ

び女子学生も、軍隊にあるいは戦時生産に動員され、学園から人影が絶えた。

時流れて半世紀。今、学徒出陣五十周年を迎えるに当たり、学業半ばにして陸に海に空に、征

って還らなかった友の胸中を思い、生き残った我ら一同ここに「出陣学徒壮行の地」由来を記し

て、次代を担う内外の若き世代にこの歴史的事実を伝え、永遠の平和を祈念するものである。

萬朶の桜/学徒出陣五十年記念植樹

 

品川寺

東京都品川区

出陣学徒「まことの鐘」

銘文

萬世太平至誠永輝

大東亜戦争に於ける戦没学徒の赤誠を敬仰する国民の衆志に依り英霊に回向し 此のまことの鐘

を鋳て之を全国各地の名刹に納む

思ふに身を挺して国難に当りし学徒の思公血誠は此の鐘の響と共に永く人の心に伝わりて滅する

ことなかるべし

  

 

予備学生

更新日:2002/12/15