伊号第三六三潜水艦

 

戦史

昭和17年  月  日 計画、建造所:呉海軍工廠

昭和19年 7月 8日 竣工、第十一潜水戦隊に編入

昭和19年 9月15日 第七潜水戦隊に編入

昭和19年10月 9日 輸送作戦/横須賀発

昭和19年10月21日 トラック着

昭和19年10月28日 メレオン着

昭和19年10月31日 トラック着

昭和19年11月15日 横須賀着

昭和19年12月10日 輸送作戦/横須賀発

昭和19年12月17日 南鳥島着

昭和19年12月26日 横須賀着

昭和20年 3月 5日 輸送作戦/横須賀発

昭和20年 3月13日 南鳥島着

昭和20年 3月30日 横須賀着/回天搭載工事

昭和20年 5月28日 回天特別攻撃隊「轟隊」/光基地発

昭和20年 6月15日 沖縄南東海域にて雷撃により輸送船一隻撃沈

昭和20年 6月28日 内地着

昭和20年 8月 8日 回天特別攻撃隊「多聞隊」/光基地発

昭和20年 8月12日 ソ連参戦により配備を日本海に変更

昭和20年 8月16日 大東亜戦争終戦

昭和20年 8月18日 内地着

昭和20年10月29日 佐世保へ回航中、日向灘で触雷沈没

昭和20年11月10日 除籍

昭和41年 1月26日 サルベージにより浮揚、解体

 

呉海軍墓地

広島県呉市

碑文

伊号第三六三潜水艦は第二次世界大戦中 回天特別攻撃隊にあるいは孤島への物資輸送に参加し

勇戦奮闘したにも関わらず終戦となり 米軍

の命により昭和二十年十月二十九日 呉から佐世保に回航の途中武運拙く宮崎沖にて触雷し 艦長

木原少佐外三十三名同艦と運命を共にした

ここに殉職乗員の遺徳をしのぶと共に冥福を祈って関係者一同 本碑を建立する

 

  

伊三六三潜殉職者之碑

 

愛知県護國神社

愛知県名古屋市中区

伊363潜の遺品

名古屋タイムズ/平成九年十月三十日

52年目の鎮魂

太平洋戦争の終結直後、なぞの爆発事故で沈没、三十四人が死亡した特攻潜水艦「伊号三六三」の乗員が

「平和な時代に再会できるように」と艦内で書き残した名簿が、命日に当たる二十九日元乗員の手で愛知縣

護国神社に奉納された。

名簿は木原栄艦長が発案、終戦三日後に乗員が海軍の便箋などに自筆し、ガリ版印刷したという。北海道

から福岡県まで全国二十三都道府県を本籍地とする八十三人の氏名や帰郷先の地図などが載っている。

当時二十一歳の元乗員は、人間魚雷「回天」を搭載した潜水艦特攻部隊「多聞隊」に所属。

終戦直前の十九四五年八月、米軍の本土上陸を阻止するため沖縄に出撃し、最後は潜水艦ごと米機動部

隊に体当りする作戦だった。ソ連軍参戦で方針が変わり、九州に引き返して長崎県の佐世保港で終戦を迎

えた。

その後、連合軍の指示で沈没処分されることが決まり、木原艦長ら残りの乗組員で広島県呉港から長崎県五

島沖に向かう途中の同年十月二十九日宮崎県日向灘沖で爆発を起した。浮遊機雷に触れたためとももいわ

れる。

元乗員は「今では生存者も少なくなり、わたしも年を取った。分身のように大事に保存したきたが、多くの人に

戦争を知ってもらえるよう奉納し展示するのがいいと思った」と話している。

 

東京都戦没者霊苑

東京都文京区

伊号363潜水艦 ラッパ(来歴不明)

 

潜水艦部隊    回天特攻隊

更新日:2009/06/07