茂 原

 

茂原海軍航空隊

昭和16年、海軍航空基地の建設が決定、茂原市東郷地区一帯は強制移転させられ、昭和18年に第252航空隊基地と

して発足。零戦、月光、彗星、九九艦爆などが配備された。

神風特別攻撃隊 第三御楯隊はこの基地から鹿児島の特攻基地へ前進し、南の空に散っていった。

 

終戦の当日には千葉県市原市上空の空中戦で一名が戦死している。

 

.           昭和20年 4月 3日 第三御楯隊601部隊/第一国分

.           昭和20年 4月 6日 第三御楯隊天山隊  /串良

.           昭和20年 4月 6日 第三御楯隊252部隊/第一国分

.           昭和20年 4月 6日 第三御楯隊601部隊/第一国分、第二国分

.           昭和20年 4月 7日 第三御楯隊706部隊/宮崎

.           昭和20年 4月15日 第三御楯隊601部隊/第一国分

.           昭和20年 4月16日 第三御楯隊601部隊/第一国分

.           昭和20年 4月17日 第三御楯隊252部隊/第一国分

.           昭和20年 4月22日 第三御楯隊252部隊/第一国分

 

神風特別攻撃隊 第三御楯隊601部隊

 

基地跡遺構

千葉県茂原市

滑走路跡

通称:1,000m道路

 

有蓋掩体壕

掩体壕@ 茂原市指定文化財

説明板

昭和16年(1941)太平洋戦争が始まる直前の9月に、木崎、谷本、町保、新本轡、本小轡内の約150戸と東郷小学校

及び寺社等が強制移転を命じられ、茂原海軍航空基地(戦略上は、海軍二五二航空隊)の建設が始まった。

基地本部跡はいま萩原小学校、兵舎跡は茂原中学校であり三井東圧化学鞄倦、の約1,000m道路は当時の滑走路

跡で、基地の東端はいま東郷保育所の前の通称海軍道路と呼ばれているあたりである。

この掩体壕は航空機を滑走路から誘導路を走らせてきて壕に納め、敵機からの攻撃に備えた壕である。20数基築造さ

れた中では最大の規模で、総面積365u壕の中の面積286u、高さは最大が6m70cmある。

戦時中で基地造成の人手が不足していたため当時の長生中学校や茂原農学校の生徒、周辺の人達等を動員

して急いで造った。

築造方法は、土砂を壕の形に盛って転圧して筵や板を並べ、その上に金網や鉄筋を張ってセメントを流した。その厚さ

は30〜50cmと均等ではないようである。また計算どおりのセメントが間に合わず後から付け足したのも観察できる。

50余年経た今日、茂原海軍航空基地を語る数少ない遺跡である。

平成7年8月15日 茂原市教育委員会

 

  

掩体壕A

 

  

掩体壕B

 

  

掩体壕C

 

  

掩体壕D

 

  

掩体壕E

 

茂原公園

千葉県茂原市

茂原市立郷土博物館

茂原海軍航空隊ジオラマ

 

茂原市出身戦没者 忠霊塔

忠霊塔

 

  

沖縄の石    …汐風の音さえ悲し とめどなくはふる涙                                                   

グアム島の石 …白砂を朱にそめたるつはものが 玉と砕けてここに眠る                                         

                              戦友慰霊の石 …この石はフィリピン レイテ島 カンギポット山から持ち帰ったものである

 

  

戦友よやすらかに 怒涛 雲霞 激突 叫喚 ガ島マンガン山の石 祈る(後略)                誠心                  

 

戦後五十年 恒和呼笛  …平成7年8月15日除幕

 

神風特攻隊

更新日:2008/12/07