治

 

略史

昭和19年 5月  日 第345海軍航空隊明治派遣隊が訓練開始

昭和19年 7月10日 第345海軍航空隊解隊、戦闘402飛行隊編成(搭乗員練成)

昭和19年 9月  日 戦闘402飛行隊、宮崎基地へ転進

昭和19年 9月15日 第210海軍航空隊開隊(零戦、紫電、月光、彗星、彩雲、天山)

昭和19年12月13日 名古屋に来襲したB29の迎撃に参加(翌年2月13日まで14回出撃)

昭和20年 1月 5日 紫電隊にて徳島派遣隊を編成、徳島基地へ転進(阪神地区防空)

昭和20年 1月 5日 第210海軍航空隊の主任務が搭乗員練成から作戦任務に変更

昭和20年 3月31日 零戦隊・紫電隊・彗星隊が第一国分基地へ、天山隊が串良基地へ転進

昭和20年 4月 6日 神風特別攻撃隊第210部隊彗星隊、第三御盾隊(天山)が特攻出撃

昭和20年 4月11日 神風特別攻撃隊第210部隊零戦隊、彗星隊が特攻出撃

昭和20年 6月20日 東海地区の航空基地を統括する当会海軍航空隊が開隊

昭和20年 7月25日 米軍機による空襲(8月2日までほぼ毎日続く)

昭和20年 8月 3日 第210海軍航空隊の主任務が本土決戦に備えた任務に変更

昭和20年 8月15日 終戦

昭和20年11月 3日 連合軍接収

昭和21年 1月  日 基地閉鎖

 

農村公園

愛知県三河安城市

明治航空基地之碑

碑文

太平洋戦争たけなわの一九四三年四月、横須賀海軍施設部の監理の下、当時の愛知県碧海郡

明治村大字東端、根崎、和泉の三集落に挟まれた約二百ヘクタールの農地に、海軍の軍用飛行

場の建設が始められた。そして翌年三月下旬から終戦(一九四五年八月十五日)に至るまで、建

設工事と平行して海軍航空隊が航空基地として使用した。その間、配属航空隊は、訓練部隊として

練習航空隊の教育を終えた搭乗員に対し、当時の各種新鋭機(「零戦」「紫電」「月光」「彗星」「天

山」「彩雲」等)の使用に完熟させるための練成訓練を行うとともに、一九四四年十二月から翌年

四月にかけては、作戦部隊として主に名古屋地区に来襲した米陸軍長距離戦略爆撃機B-29の要

撃や、米軍沖縄攻略部隊の撃滅作戦(沖縄特攻作戦)に参加した。

また、一九四五年一月十三日早朝、この地区を襲った三河地震(東端の被害、住宅全壊七十七、

同半壊百二十一、死者二十四、重傷五、軽傷三十六、等)の際は、近隣町村被害者の救出・救援

並びに災害の復旧に当った。

大東亜戦争終結五十周年を記念し、改めて世界恒久の平和を祈念するとともに、その歴史的事実

を後世に伝えるため、この碑を建てる。

 

基地遺構

愛知県三河安城市

弾薬庫

  

燃料貯蔵庫                              格納庫基礎

 

神風特攻隊

更新日:2004/09/18