戦時徴用船

資料提供:秦  一生様(財団法人日本殉職船員顕彰会 常務理事)

財団法人 日本殉職船員顕彰会

〒102−0083 東京都千代田区麹町4−5 海事センタービル

TEL 03−3234−0662

FAX 03−3234−0682

 

商船

開戦時の日本商船は世界第三位の船腹だったが、米英と比較すれば八分の一に過ぎなかった。

これらの船舶は戦時海運管理令によって、陸軍徴用(A)、海軍徴用(B)、民間船舶運営(C)に区

別された。

太平洋戦争における船員の損耗率は43%と推定され、陸軍の20%、海軍の16%を大きく上回

っている。

こののような大きな犠牲の背景には、日本海軍が大艦巨砲主義による艦隊決戦を作戦の中心と

し、輸送船団の護衛や敵輸送船団への攻撃には殆ど目を向けなかったという事実がある。

  

船団を組んで南方へ向かう輸送船           空爆で沈んでいく日本商船            

 

機帆船

昭和17〜18年、商船の喪失が増え輸送船が不足してきたのに伴い、機帆船の徴用が増えてい

った。機帆船の徴用は陸軍暁部隊によって行われた。戦争末期には国によって緊急建造され、船

と名のつくものは手当り次第に徴用されていった。

しかし戦後整理された資料は殆ど無く、船の徴用隻数、喪失状況、戦没人数などの実態は、今日

なお不祥の部分が多い。

被雷して沈没寸前の機帆船

 

生存者の手記

瀬戸内海をを航行中に陸軍の船に停船を命じられ、そのまま徴用になったり、荷役中に下士官が

来て係船場所を指定し、「ここに行け」と言われるだけで徴用になる。陸軍は手当り次第船を集め

ていたようだ。

ある日、陸軍の下士官が乗船して来て、「本船を陸軍暁部隊に徴用する、ついては船と乗組員の

検査をする」と言って簡単に船を見たあと、「全員合格、明日全員出頭せよ」と命令して帰った。こ

の間5分で終わった。

 

関係者の談話

戦争に参加した機帆船の死傷者は、8,300人と発表されているが、実は10,000人を超えて

いると推測される。彼らの多くは空中から撃ちまくられる銃弾の不気味な音を船底に身を伏せな

がら聞いた。彼らは戦う何物も与えられておらず、ただ小さな船の底でじっと死の来るのを待つ

ばかりであった。戦いながら死ぬのは易いが、敵のなすがままに死なねばならないことは、軍人

以上の精神力を必要とした。

 

漁船

漁船も多くの船が徴用され、10,000人を超える船員が犠牲となっている。

大型の漁船は、商船同様に徴用され輸送船団に組み入れられている。軍によって改装され海防

艦として使われた漁船(キャッチャーボート)もある。

小型の漁船は、約400隻が海軍の洋上監視艇として徴用され、さらに多くの漁船は作戦地域の輸

送のために徴用されている。鰹・鮪のトロール船は軍の食糧確保のため、陸軍糧秣廠に漁労を目

的として徴用された。

米艦載機の猛爆を受けて沈みつつある漁船改装船

 

第二十三日東丸

昭和17年4月17日、米空母「ホーネット」から発進し初の東京空襲に向かうドーリットル指揮のB−25

中型爆撃機の編隊を発見。「敵艦見ゆ」の第一報を発進、さらに次々と六通の情報を送信したが、敵

艦載機に撃沈され全員戦死している。

炎上する第二十三日東丸

 

第八大洋丸

昭和18年9月、焼津の南方洋に突如浮上した敵潜水艦と20分にわたり交戦している。

 

第五福一丸

昭和20年2月、硫黄島に向かう敵艦隊を発見し、「われ敵機動部隊を発見せり」と第一報を打電。

刻々と状況を報じたのち「われ敵空母に体当りを敢行す、天皇陛下万歳」の無電を最期に消息を

絶っている。

 

海防艦

昭和17年8月、ガダルカナル島に米軍の上陸を許した日本軍は、ガ島を奪回すべく優秀船に

よる一次、二次の輸送船団を編成し、軍の増援や補給を敢行した。この船団による輸送は、巡

洋艦や駆逐艦、さらに輸送船には陸軍砲兵隊が乗船するという強力な護衛のもとに行われた。

しかし米軍は航空機による徹底した攻撃を行い、二次にわたる輸送船団17隻のうち12隻が撃

沈、損傷を受けた。戦局の悪化に伴い輸送船の被害は日増しに増大し、昭和18年に入ってか

らは南方からの油槽船(タンカー)の被害が増大した。

ここに至って、初めて軍は輸送船の護衛強化策を打ち出し、昭和18年1月に海軍は「海上護

衛司令部」を設置し、海防艦の緊急建造に力を入れた。陸軍は船舶専門の「暁部隊」を設置し、

徴用船に乗船して戦う船舶砲兵隊を設置、また陸軍士官学校に船舶工兵科を設けた。

しかし制空・制海権を完全に奪われた状況で、性能の悪い急造の海防艦の護衛では、殆どその

成果をあげることはできず、遅きに失した。海防艦に乗っていた海軍軍人は殆どが高等商船学

校出身の士官であり、一万有余名が海防艦と運命を共にしている。

 

徴用船の戦没者(推定)

船   種

喪失船舶

戦没者

商船関係

3,575隻

30,500人

2,070隻

30,100人

漁   船

1,595隻

7,240隻

60,600人

 

満池谷墓地

兵庫県西宮市

新日本汽船 戦没船員慰霊碑(右)

 

戦時徴用船

更新日:2006/06/18