児 玉

 

略史

昭和18年10月 陸軍熊谷飛行学校 児玉教育班として開設

昭和19年 4月 児玉教育隊と改称、学徒動員の特別操縦見習士官が入校

昭和19年10月 児玉基地と改称、各分科飛行部隊および特別攻撃隊の基地となる

 

児玉工業団地

埼玉県児玉郡上里町

児玉飛行場之跡碑

碑文

(前略)

昭和十九年十月児玉基地と改称、第一四四飛行場大隊が配備され、各分科飛行部隊及び、特別攻撃隊

の基地、拠点となって帝都の防衛、硫黄島攻撃、或は太平洋近海を遊撃する敵機動部隊に対する攻撃等、

重要航空作戦の任にあたった。昭和二十年八月十五日大詔を拝し戦局を結ぶ。児玉基地は、映画「日本

の一番長い日」によって全国民に伝えられたが、祖国日本の栄光を背負って戦った。児玉飛行場は尊くも

又悲しい無限の教訓を残して、その思い出だけを住民、軍関係の記憶に留めて日本と運命を共にし、三年

有余の歴史を閉じた。

我が民族の限り無い雄叫びは、歴史の試練に苛まれ乍らも、同年秋、百十余名の入植となり、農耕地にす

ると同じに一部は工業団地として開墾し今日に至る。戦後三十五年を閲し、当時の留魂、姿を偲ぶ何物もな

く、追想のみ錯綜し物心共に漠々たるものを覚ゆる時、此の縁故ある地に生存する有志の悲願が凝って記

念碑建立の声こんこんとして湧くが如く起る。

幸にして地元同志の篤志と物心両面の援助と、更に碑建設の諸般に亘り住民各位の甚大なる協力を受けた

ことは、まさに天佑神助と信じ共に感謝するところである。

茲に熊谷陸軍飛行学校、第一練習飛行隊第一四四飛行場大隊の関係者並びに地元有志の発願により、児

玉飛行場を飛び立ち祖国の為に散華された幾多将士を始め、教育訓練中殉職した戦友の冥福を永久に祈り、

再び戦争を繰り返さないことを願いつつ、世界の平和と日本の繁栄を祈念してこの碑を建立する。

  

児玉飛行場之跡碑

 

      

第十五輸送飛行中隊 発祥の地記念碑

 

  

焼夷弾の残骸

 

陸軍特攻隊   八月十五日

更新日:2007/04/22