戦艦大和

江泊山

山口県防府市

  

特攻艦隊留魂碑                                  徳山湾 三田尻沖

碑文

母なる海の記

眼下の三田尻沖は曽て連合艦隊が度繁く終結した、旧海軍ゆかりの泊地である。

第二次大戦末期の昭和二十年四月六日、戦艦「大和」以下十隻からなる「海上特攻隊」は、沖縄に来攻した

連合国軍を迎え撃つべくこの母なる海を抜錨、翌七日奄美徳之島北方海域において五百余機の敵艦上機群

と戦い、第二艦隊司令長官伊藤整一大将以下三千七百二十八名の将兵が壮烈な戦死を遂げた。

この沖合一帯はまた「回天特攻」で戦没あるいは殉職した百三十八名の若人が大津島、光、平生をそれぞれ

基地として、日夜決死の体当り訓練に励んだ聖なる海である。

これらの人々の願いは自らの命に替えて祖国と同胞の恒久の安泰を購うことであった。大廈の傾覆は一木を

以て支うる能はず、戦局の挽回はついに成らなかったが、今日の日本が未曾有の平和と繁栄を築き得た根底

には、このように高貴な犠牲的精神と行動が在ったことを我々は深く心に銘記せねばならない。

平成五年四月

 

沖縄決戦

更新日:2008/10/13