故地探訪  鹿屋

 

野里小学校跡

鹿児島県鹿屋市

桜花 別盃之地

碑文

神之池基地及びその他の基地より志願して来た特別攻撃隊員は、日本最南端の九州鹿屋の野里村

小学校に結集、昭和20年3月21日より同年6月22日まで出撃を継続し散華していった。

神雷部隊の後続は竜巻部隊と呼称、その中には櫻花隊、攻撃隊、爆戦隊があった。

私もこの時海軍報道班員として野 里村の百姓屋に住み、隣家にあられた特攻隊育ての親岡村基春司

令の謦咳に接し、戦況の推移を具にこの眼に焼きつけたが、連日、紅顔の還ること無き出撃隊員を、

血涙で見送った辛い思い出がある。

この若き戦士達の鎮魂を希い全日本人の感激を籠めて撰文と為す。

於世田谷空中庵茶経室 山岡荘八

昭和53年3月吉日  建立者元櫻花隊員 小城久作 妻泰子

 

建碑由来

建碑者小城久作君は此の鹿屋で特攻隊員として祖国の危機に参加した同志の霊を葬い、今後このよう

な戦争の無い平和国家日本への祈願を籠めて、戦後33年目に漸く私財を投げうって私との約束を果た

して呉れた。

この野里村 の宿舎は私が海軍報道班員として岡村司令と寝食を共にし度々の空襲にも逢って具に隊員

たちの生活を見聞きして来た、思えば切なく懐しい土地である。

本来自分の名前は出さないという小城君の希望であったが彼の純一無雑な心情から発した建碑であるだ

けに敢えて私は記名するように助言した。

特攻隊訓練の地茨城県の神之池にも建碑する。

くだくだしいことは言わないがこの碑を見て改めて今後の若い人達の何かの心の支となり尊い散華の跡

を末長く見守って行って頂けたら小城君としても此の上ない喜びであろう。

山岡荘八

 

神雷部隊

更新日:2009/12/12