海軍砲術学校

 

 

沿革


明治40年 4月20日 海軍砲術学校開設(横須賀)

昭和16年 6月  日 館山砲術学校開設、従来の砲術学校は横須賀砲術学校と改称

昭和18年 4月15日 横須賀砲術学校長井分校開設(予備学生、予備生徒教育)

昭和20年 4月15日 横須賀砲術学校栗田分校開設(練習生教育)

昭和20年 4月15日 館山砲術学校を横須賀砲術学校館山分校と改称

 

分掌

横須賀海軍砲術学校

海上砲術の研究(艦船に搭載している大砲に関する教育)

 

館山海軍砲術学校

陸上砲術(陸上の対空射撃)、陸戦隊関係戦術

特別陸戦隊の養成が課せられ、海軍初のパラシュート部隊が編成された。

 

館山海軍砲術学校と訓練に向う予備学生隊(真継不二夫氏撮影)

説明文

昭和18年10月、この館山海軍砲術学校へ入学した海軍第三期予備学生は1,440名であった。

かれらは全て全国の官公私立の大学、高等専門学校より馳せ参じ、選抜されて入隊した学徒である。

昭和18年10月 8日入校式が行われ海軍第三期兵科予備学生を拝命、直ちに日夜の猛訓練が開始

された。

翌昭和19年1月末基礎教程を修了、引続き術科教程に入り、陸戦、対空、化兵の各班に分科し、夫々

第一戦指揮官としての専門教育を受けた。同三月末、あるいは五月末術科教程を修了。卒業式が行わ

れ、即日海軍少尉に任官し、戦雲まさに急を告げる太平洋全域からインド洋に亘る前線に赴任し、激烈

なる戦列に身を投じたのである。この隊列(写真)の中にも多数の戦没者がいる。

戦没者は比島、硫黄島を第一として各地域の部隊および艦船における戦没者は次のとおりである。

 

大和 9、武蔵 6、山城 6、長門 5、扶桑 3、那智 3、大鷹・大鳳・熊野・羽黒・葛城     各1

 

グアム、テニアン、パラオ、比島方面、インド洋方面、ビルマ、ビアク、ボルネオ、セレベス、ラポール、南

漢島、マレー方面、スマトラ、舟山島、東シナ海、モルッカ諸島、マリアナ群島、黄海、内南洋、アンポン

ニューギニア、ペリリュー島、サイパン方面、硫黄島、東シナ海方面、台湾方面、沖縄方面、南西諸島方

面、千島、内地近辺     合計229名。

 

この外基礎教程後他術科へ転出後戦死者 若干名。法務死 若干名。

 

ここに館砲校全景を伝える希少な写真を展示し、「鬼の館砲」といわれた猛訓練を受け、勇敢敢闘の末

倒れた万余といわれる将兵・同期生たちの護国の想念を偲び、深き感謝と鎮魂の想いを捧げる次第で

ある。

 

館山海軍砲術学校跡

千葉県館山市

パラシュート訓練用プール

 

ボイラー室跡

 

館山海軍砲術学校跡 平和祈念の塔

 

    

館山海軍砲術学校跡 平和祈念の塔

 

    

四一式山砲、20センチ・ロケット弾(噴進弾)

 

  

平和の鐘                                   戦地を示す標識

碑文(平和の鐘)

たった一つしかない命 たった一回しかない人生

この尊いものを若くして祖国に捧げられた諸勇士に感謝と尊敬の思いを込め

この平和祈念の鐘の音を捧げます

 

安房神社

千葉県館山市

海軍館砲三期会献納 染井吉野桜

 

館山海軍砲術学校 第三期兵科予備学生 戦没者慰霊碑

 

  

海軍落下傘部隊慰霊碑

 

術科学校

更新日:2009/10/01