海軍艦艇殉難史  第七十号潜水艦

 

第七十号潜水艦は、大正十二年九月に神戸の川崎造船所で建造された特海中型潜水艦。

大正十二年八月二十一日、淡路島鍛屋沖で第一回深々度潜航公試運転を終え浮上時の

誤作動で前部より沈没、艦内にいた官民乗員88名が殉職した。

同潜水艦は事故後に引き揚げられ、「呂号第三十一潜水艦」として訓練に使用された。

 

佐世保海軍墓地

長崎県佐世保市

第七十潜水艦殉難海軍軍人碑

 

仮屋漁港

兵庫県津名郡東浦町(淡路島)

第七十潜水艦殉難者慰霊碑

説明板

大正12年に建造された第70潜水艦は、松方幸次郎氏がドイツより入手した設計図によって、神戸川崎

造船所で造られ、試運転中、8月21日、この沖5kmに沈没、旧海軍の関係者・造船技術者88名の尊い

人名を失った。関係者並びに地元有志、延寿寺によって毎年供養の法要が営まれている。昭和17年、

殉職20周年を記念して建碑される。

 

釈迦院

大阪府大阪市港区

淡路鍛屋沖沈没第七十号潜水艦殉難者碑

碑文

大正十二年 新造潜水艦試験潜水中 淡路島鍛屋沖にて機械故障のため浮揚できず全乗組員

海軍将卒四十六名 川崎造船所職員四十二名 計八十八名が殉難しました

同十四年八月 三回忌に当り善光寺如来像を建立 台座の銅板に各殉難者の氏名を刻み慰霊

供養を行ふ

昭和二十年六月一日の大空襲により被損 終戦直後殉難者銘記の銅板は不明となりましたが

殉難者諸士の過去帳は幸い戦災をまぬがれ当寺に保存 日々供養しております

 

艦艇殉難史

更新日:2009/06/07