峯 眞佐雄 奉職履歴

 

平成16年 8月12日 朝日新聞・山口版(夕刊)

人間魚雷・回天、初出撃から60年   

武運祈る女学生の思い、血染めの鉢巻寄贈へ

     山口・周南の記念館に元搭乗員

 

人間魚雷「回天」が44年11月 8日の初出撃から60年を迎えるのを機に、搭乗員だった峯 眞佐雄さん(80)

大切に保管してきた一本の鉢巻を山口県周南市・大津島にある回天記念館に寄贈する。

広島県立呉第一高等女学校の生徒が死を覚悟した隊員の「武運」を祈り、自らの血で日の丸を染めた。

峯さんは「平和を訴える記念館の役に立ててほしい」と願っている。

 

峯さんは、敗戦の色が濃くなった44年12月、大津島の「回天特別攻撃隊」に入隊した。

峯さんらの搭乗員5人に鉢巻を贈ったのは、当時、呉海軍工廠で回天に使われた舵の調整をしていた動員学徒の5人。

物資不足のため、古い着物の袖裏の布を利用した。

カミソリで自らの小指を切り、日の丸を描いた。

「峯少尉祈御成功」という文字と共に「轟沈」「誠心」「生けるしるしあり」など一言を添え、署名もした。

鉢巻を贈った一人、大林和子さん(76)は「死を意味する任務の成功を真剣に祈っていた」と振り返る。

峯さんも「鉢巻を頭に締めた時は『がんばって任務を果たさなければならない』と決意を新たにした」と話す。

45年8月2日、峯さんは鉢巻と共に千葉県の出撃基地に移動。搭乗するはずだった回天は、輸送途中に爆撃を受けて

沈没し、基地に届かないまま戦争が終わった。

 

「戦時中の状況を伝える貴重な資料。いつか公開したかった」

初出撃の日に合わせて毎年、回天記念館で営まれる慰霊祭には、鉢巻の存在を胸に秘めながら出席を重ねた。

年を取るにつれ、居ても立ってもいられなくなった峯さんは今年、大林さんに連絡を取った。

「記念館に寄贈したい」

大林さんは涙が止まらなかった。

「鉢巻をして戦死した仲間もいたのに、ずっと持っていることがどんなにつらかったか」

峯さんは7月、市に寄贈を申し入れた。

記念館の小川宣館長は「次世代に平和の尊さを伝えていくために、大切に守っていきます」と受け入れた。

記念館には現在、鉢巻の写真が展示されている。今秋の慰霊祭までには実物が届く予定だ。

 

峯さんが保管してきた「血染の鉢巻」

 

  

搭乗員に鉢巻を贈った呉第一高等女学校の生徒ら        鉢巻を贈られた「回天」搭乗員  .

 

目  次

更新日:2007/12/30